第23話 はじまりの街オラクル

 ひとり、オラクルの街を歩いている。


 最後にもう一度だけひとりで街を周ってみようと、そう思ったから。


 ミヤビには悪いけど、ここからは俺の時間。


 心配かけないように眠る彼女には何も言わず、置き手紙だけを残して宿を出た。


 察しの良い彼女のことだからきっと分かってくれるだろう。

 もし、機嫌を損ねてしまったのであれば豪華な朝飯でも御馳走してご機嫌取りでもすることにしよう。


 華やかで賑わいを見せていた夜の街も鳴りを潜め、夕方にあれほどの騒動があった大通りにも今や出歩く人の姿は無い。灯の落ちた店たち、『準備中』と書いた吊り下げ看板のかかった踊る珊瑚礁。エリーダさんには悪いことしてしまったな、と心の中で詫びて真っすぐに伸びる石畳の道を進む。


 道の脇に転がる汚れのついた串、くしゃくしゃになったどこかの店の案内チラシ、割れた瓶の破片、酔っ払いの吐瀉物、夜風が運んでくるのは生ものが腐ったような鼻をつく匂い。


 意外と、汚い街だな。

  

 夜の街を歩きながら思う。


 今までそんな風に思ったことは一度だって無かったけど、何故か今些細なことさえ目についてしまう。なんだろう、俺が村を飛び出すときに感じたものとなんだか似ているような気がする。あの日も今日も、当たり前が当たり前でなくなることに、もしかしたら少し怯えているのかもしれない。


 何に注目するわけでも無く視線を街のあちこち彷徨わせていると、初めてこの街にやってきた当時のことが脳裏に蘇る。


「あれから五年、か。なあ――時間が経つのは随分早いもんだよな」


 誰に言う訳でもなく呟く。

 ふいに出た、ただの独り言。

 

 ちっぽけで何も無い村から飛び出す同然にオラクルの街にやってきたのは、たしか俺が十六になってすぐのこと。


 村を飛び出した理由――そう、俺は凄い冒険者になりたかった。

 かっこよくて頼もしくて誰からも好かれる有名人になりたかった。


 村に時折やってくる詩人の兄ちゃんから世界で活躍する冒険者の話や、そんな化物本当にいるのかよって夢に出てきそうなモンスターの話を聞いて、そんなヤバい奴を相手に出来る冒険者になることがずっと昔から俺の憧れであり、夢だった。


 でも、俺に発現したのは戦闘スキルでもなんでもない夢を追うには無謀な最弱スキル。俺はショックだったけど、両親や村の人々は「まあ、こんなもんでしょう」と割り切っていた。多分、俺が冒険者として名を馳せたいなんて現実を知る前の子供が一時見る幻のようなものだろうと、そう思っていたことだろう。


 それでも俺はいつか何か起こるって、何かできるって思って人並みには努力をしたつもりだ。毎日毎日飽きもせずそこらへんに落ちている何かを鑑定しては練磨に励んでいた。誰もが役に立たないスキルと言っても何かとんでもない秘密が隠されているんじゃないかって子供ながらに妄想して。「今俺の鑑定スキルは薬草のグレードが見極めるくらいに成長しただけ」なんて、いつか恥ずかしそうに言った気がするけど、当時は微かな成長でさえ猛烈に嬉しかったのを覚えている。


 だから、いつか俺にもできる、俺も誰かから話を言い伝えられる程に有名なやつになってみたい、そう思って、我慢できなくて、何かを疑うことも無く、それで十六になったとき村を飛び出した。親や周りの『無理だからやめなさい』なんて冷ややかな言葉を無視して、さ。


 今考えれば中々に無鉄砲なやつだよ。


 村には無い、見上げるほどの正門を潜って視界に飛び込んできたのは新しい世界。誰も俺たちのことなんて見ちゃいないのに、何だかジロジロ見られている気がして田舎から出てきたやつだ、余所者だなんて思われたくなくて、当分は外を歩くのにも肩ひじ張りっぱなしだったっけ。余所者だなんて思われたくない癖に、街に来てから数日は自分たちの泊まっている宿の場所が分からなくなるから街の見取り図開いて歩いてんだからほんと笑える話なんだけどさ。


 この街に初めて足を踏み入れたときの高揚感は、当たり前のように今はもう無い。思い出そうとしてみても、あの時の感動がどんなだったのか今ではもう良く分からない。それくらいに、気づけばオラクルは俺の当たり前にある日常の一部になっていた。 


 俺のはじまりの街オラクル。


「もう、さよならだな」


 仲間に拒絶され人の腹の底を知り、街全部が俺を否定しているような気がして変な寂しさが身を包んでいたけど、こうやって誰もいない街を歩くと確かにオラクルは俺の慣れ親しんだ街だった。


 ポイ捨てされたゴミも、酔っ払いの胃液も、怪しい店の勧誘チラシも、この匂いも、全部俺の良く知るオラクルのもの。


 こんな街二度と来るか!と、逃げるように飛び出したあの日とは少し違う感情が芽生えている。もうオラクルに戻ってくることはないだろう、と不思議とそう思えた。


 はじまりの街から本当の意味で、今日俺は一歩踏み出す。



 だから――



 最後くらいはケジメをつけなきゃ、な。


 ギルドの奴らとか、シルクのことだってどうだっていいんだけど。

 自業自得という言葉がふさわしいと思うんだけど。

 アイツらを助けたいなんて全然考えていないんだけど。


 アイツが何をしようとしていたなんてもうどうだっていいんだけど。


 アイツがこれからどうなろうと、どうだっていいんだけど。


 どうせ悪党なんだから法的な裁きを受けることになるだろうけど。


 俺が関与したってもう仕方ないことなんだけど。


 でも、何か嫌なんだよね。


 眠ろうと思っても寝付けないんだよね。

 頭の中がぐちゃぐちゃなんだよね。

 意味不明だよね。アイツらのことなんてどうだっていいって考えてるのに、どうしても納得がいかないんだから。

 どうでも良いアイツらの顔が浮かんでくんだから。

 最低最悪なアイツらの顔が本当にしつこく浮かんでくんだから。

 

 だってしかもほら、アイツの顔面に届いたのは枕だけなんだから。

 あの日も今日も俺の拳はアイツに届いてないんだから。


 ああ、あとそうだ。これはエリーダさんに迷惑をかけてしまったことのお返し。

 どうせアイツのせいで店は大赤字なんだろうし。


 そう、これは自分の分とエリーダさんの分。

 そうしよう。


 アイツがこれから何をしようしているとまでは分からない。


 けど、今何をしようとしているかくらいは分かる。


 あんなやつのこと分かっていても何も嬉しくないんだけどさ。


 忘れかけてたけど、いつか思ったように俺はやっぱり物語に出てくるような主人公になりたい。


 アイツなんかじゃない、絶対に。

 

 そんなこんな考えながら、オラクルにやってきたときに初めて潜った大きな正門に向かい歩く。



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