第22話 鷹の爪とシルクとウェスカー
「ねえ、君は大丈夫?」
宿のベッドに腰かけミヤビは言った。自分の尻尾を手櫛で手入れをしながら。
何が大丈夫かまで聞かれなくても、何を気遣わせてしまっているかは分かる。
「俺は大丈夫、それよりも迷惑かけて悪かった。あと――ありがとう」
ミヤビは「ふうん、そう」と言ったあと「別に、気にしないで」と尻尾に視線を落としたまま小さく呟いた。
騒然とした場から抜け出し、オラクル中心部の喧騒から外れた宿に駆け込むようにして入った俺たち。あれから、お互い口数は少ない。
オラクルを離れて少しの時間しか経っていないのに、オラクルは俺にとって第二の故郷と呼べるほどに馴染みの深い街だったはずなのに――知り合いの一人もいない初めての街にやってきたような、そんな疎外感が身を包んでいた。
「そのさ、アイツがウェスカーだとして君はどうする?」
尻尾に落ちていた視線がこちらを向く。
深い青い瞳。鋭くとも威圧感は無い、穏やかな光が灯っていた。
「正直、頭の整理が追い付いていない……かな」
宿についてから、実はそのことばかりを考えていた。
マサハルのこと、いやウェスカーのことを。
数カ月前に『鷹の爪』にやってきたあの男。
――前のクランでは役に立たなくて、みんなの迷惑にならないように頑張るよ、そんなことを言って違和感無くギルドに溶け込み、次第に内側から全てを変えていった男。俺がオラクルから飛び出るきっかけとなった男。
そんなマサハルが――ラフレシア事件の重要参考人、突如として姿をくらませたウェスカーだった。事件の主犯が事実として奴なのであれば、大悪党と呼んでも遜色無いだろう。将来を期待された若き冒険者たちの人生を奪い、Sランククランを破滅へと追い込んだのだから。ぐるぐるとあいつの嫌な顔が頭の中を周っている。
なんでアイツが弱小な『鷹の爪』に潜り込んでいたのか、これから何をしようとしていたのか真実は分からない。分からないまでも、善行をしようとしていたわけではないとはハッキリと分かる。人を見下した目つき、嫌らしい笑み、全部が自分の思うようになると考えているような言動。今更ながら考えて、それらマサハルの特徴を繋ぎ合わせて悪人の素地を持っていると呼ぶには十分だった。
何でみんな気付かなかったんだろう。
もちろん俺だってシルクとの情事を目撃し、あいつの腹の底を見るまでは『悪人』と気づきもしなかった。それでも、冷静に奴の言動を振り返ってみればおかしな点はいくらでもある。Sランクスキル『超位回復魔術師』を持ちながらもクランを追放されたという違和感。引く手数多であろう高位スキルを持ちながら弱小クランに加入した理由など。
マカラスが妄信する程までに懐柔されているのには、『マサハルのお陰で鷹の爪が大きくなる』以上の何かが理由があるように思えた。
「なあ、ミヤビ。あのさ超位回復って……過剰に使うとどうなっちゃうんだろう。その、ラフレシア事件でも過剰な治癒が原因とか騒がれていたと思うんだけどさ」
素朴な疑問。
中毒状態を引き起こしてしまうとまでは知っている。けど、それがどのように作用してどんな症状になるか、までは知らなかった。
再び毛繕いに勤しむミヤビに問いかける。
うーん、と顔をあげ首を一周回したあとミヤビは答えた。
「――君は回復スキルを使われる時どう感じた?」
「え? 俺か?」
回復してもらっているとき、か。
致命傷と呼ぶような傷を負ったことは今まで一度だって無いが、ゴブリンにやられた細かな傷ならいくらでもある。そのたびにアイツの――シルクの回復スキルで癒してもらっていた。あまり意識したことは無かったけど、どうだったんだろう。何を感じたんだろう、そうやって今までのことを思い返してみる。
「そうだな……なんだろう。もちろん痛みが和らいでさ、眠りに落ちる時みたいに穏やかな気分になって……気持ちが良いっていうか心地良いっていうか、安心するっていうか」
語彙力が無いのか、月並みな言葉しか出てこないんだけど、『安らぐ』っていう表現が一番の近いかもしれない。
「そう。回復系のスキルって二つの作用があるの。直接的に傷を修復する作用と、興奮や不安を和らげる脳に直接働きかける作用のふたつ。治して癒す、だから治癒スキルとも言うよね」
ああ確かにその通りかも。
回復スキルを持っている冒険者であれば常識なんだろうけど俺にとっては初耳な情報だった。「なるほど」と相槌を打つ。
「だから傷が無い状態で回復スキルを使うとどうなるか、なんだけど。傷を修復するエネルギーが無い分、脳に作用するエネルギーに転換されることが多いの――つまり精神への作用が大きくなる」
精神への作用と聞いて胸元が熱くなった。
マサハルが来てからおかしくなってしまったマカラス、ギルドメンバーたちの顔が浮かぶ。
「それって……精神をコントロールすることにもなるんじゃ。その、相手を安心させるとか信頼させるとか、さ」
「ううん。君はもしかしたら、クランの人たちがウェスカーのスキルで精神を支配されているかもって思っちゃうかもしれない。でもね、超位回復なんて全力でぶつけられたら快楽とか心地よいとか、コントロールされるとか、そんな次元の話じゃない。そう――地獄の苦しみを味わうことになると思う」
地獄の苦しみ、か。
それがどれ程のものなのか想像は出来ないけどラフレシアのメンバーが『超位回復』をきっかけに中毒症状を引き起こしているのだとしたら、その効力は余程のものだろうと思った。それと同時に、仲間であったはずのメンバーに凶行に及んだ犯人の冷酷さに背中が冷える。
そして、ミヤビは今の間に俺が何を思ったのか見抜いているようだった。何に対しての気遣いなのか「ごめんね」と一言落として続けた。
「だから、ちょっとしたヒーリングなんかで良いのであれば超位回復じゃなくても良いの。普通の回復スキルで十分。もしヒーリング効果で精神をコントロールされくらいなんだったら、元からその人の精神が弱かったってだけ」
「そっか……いや、そうだよな。そんな簡単に心を支配するなんて出来ないもんな」
「まあ、それを目的として回復スキルを使うんであれば、何にしろ悪いのは使う側。しかも、ウェスカーが君のクランで何か良からぬことをしていた可能性は高いし、これから何かしようとしていたのかも。それで、アイツのせいで君の生活が狂っちゃったってことも十分ありえる」
アイツのせいで俺の人生が大きく変わったことは間違いない。
でもミヤビの言うようにマカラスも鷹の爪メンバーも、少なからず欲があったのには間違いがないのだろう。欲に溺れたところをマサハルに巧みに突かれただけ。だからこうなった。いや、マサハルがいなかったとしても何かがきっかけで遅かれ早かれ――同じことになっていたと思う。
ありがとう、もう大丈夫と言いかけた時。
声のトーンを落としミヤビは口を開いた。
「だから――わたしのことは気にしなくても良いよ。君のしたいようにすればいい」
その言葉の意味が一瞬分からなかった。
ミヤビは穏やかな瞳でじっと俺を見据えている。
――したいようにすればいい
少し間をおいてから、ミヤビの言わんとすることを理解する。
それはマサハルが悪人なのだとしたら、それがきっかけで俺がクランから追い出されたのだとしたら、再び『鷹の爪』へ戻ることが出来るんじゃないのか。そう言いたいのだろう。それ以上のことを言うわけでも無く彼女は黙って俺の答えを待っているようだった。いつもと変わらぬ整った凛とした顔。表情から感情は読み取れない。
でも、ペタリと垂れた猫耳が彼女の心の全てを物語っていることに気付いた。
本人は猫耳が垂れていることに気づいていないのか気丈な振る舞いを見せている。
ガラルドにコケにされた時も、マサハルに罵声を浴びせられた時も、彼女は俺を庇うようにしてくれていた。「今まで会った中で心のある人間だ」とそう言ってくれた。
これまで誰かにそれほどまで想われたことなんてないのに。
飾りでもなんでもない、心からの言葉。
そこまで言ってくれたミヤビにこんな悲しい顔させるなんてな。
自分のことばっか考えちゃってさ。
あーあって感じだよ、本当に。
「――ミヤビ」
垂れた猫耳がピコりと反応する。
「あのさ。確かにマサハルがマカラスたちに対して何かしていたのかもしれないけどさ」
「……うん」
「ミヤビの言うように妄信していても精神を特殊な力で支配されているなんて、そんな感じはしなかった。だから結局はアイツら心の底で……俺が……不満だったんだろう」
自分で言うのも空しいもんだけど。
そう。俺は要らない奴だった。
マサハルをきっかけにして押し出された存在。
俺にとって代わる人間なんていくらでもいて、今回はそれがマサハルだっただけ。
マサハルが悪人だなんてアイツらにとっては予想外のことかもしれないけど俺からしてみれば関係の無い話。
「ああ、自業自得だ。アイツに騙されて、騙されていると気付かずに、信頼して。あとはミヤビの言う通り好きにやってくれたらいいさ。俺には関係ない」
「そっか」
「ああ、不思議なもんでさ。馴染みのあるクランだったとは言えもうどうだっていいって思うんだよ。ギルドのこともメンバーのことも、もちろんマカラスのことも、さ」
「うん」
「ざまあみろって、そう――そうざまあみろってそう思えるんだよ」
アイツらがどうなろうとどうだっていい。
Bランクに昇格する話が立ち消えたってどうでもいい。
痛い目見て懲りればいい。
鷹の爪が解散しようが知ったことじゃない。
怒りはあっても悲しむ必要なんて微塵も無い。
立ち上げ当時から一緒にやってきた俺の言うことなんて聞かずに、力あるやつに愛想振りまくような奴らだ。元から信頼関係なんて無かったんだ。
心のどこかで俺はクランについてきている備品以下の存在として思われてたんだ。
なのに俺がアホみたいにアイツらのことを信用してしまっていただけ。
結局は俺もアホ。
アイツらはもっとアホ。
ざまあみろ。ざまあみろだ。
シルクだって、あの女だってそうだ。
俺との将来に不満、不満だ?
お前の信じた男は仲間を再起不能にするような大悪党じゃないか。
二十年同じ時間を過ごした俺よりも大悪党に惚れてしまうくらいにアホな女。
アイツだってどうにでもなればいい。
唯一アイツには会ってなくても会いたいとさえ思わない。
「マサハルは悪党だ、気をつけろ」なんて言葉をかけたいとさえ思わない。
不思議とマカラスやメンバーに向ける以上の腹立たしさが沸き起こってこない。
裏切られたときの悲しみを天秤にかけるほどの想いさえ残っちゃいない。
いや、元から無いんだ。
あの日あの時オラクルでアイツの情事を目にしたときの憎しみさえも、今やどうだってよく思える。好意を寄せる相手に裏切られた悲しみや憎しみなんかじゃない。きっと俺自身がコケにされたことに対する怒り、ただそれだけなんだ。
まあそんな奴を一応は信じていた俺がアホだっただけ、それだけ。
アイツだってマサハルがいなくても、それこそ遅かれ早かれ俺じゃない誰かに走っていたことだろう。
隙間風の抜けるボロ宿での生活も、味がついてんのか分からないような薄味のスープも、買いたい服も買えないような懐事情も、将来性の無さも、ずっとずっと不満だったんだ。
俺以外の誰かと巡り会うことをただ待っていたんだ。
アイツにとって俺は、より良い物件が出てくるまでの仮住まいみたいなもんだったんだろうよ。自分が気に入ればなんだっていいんだ。
過ごした時間なんてどうでもいいって、そう思ってたんだ。
どうにでもなれ。本当にさ。
後二日もすればこの街からもおさらばだ。
俺はもう絶対にオラクルには戻ってこない――
「だからミヤビ。俺は大丈夫だからさ。これからもよろしく頼むよ」
俺のことを信じてくれている彼女を絶対に裏切らない。
些細なことに戸惑ったりなんか絶対にしない。
初めて会った時と同じように、俺はミヤビに笑ってみせる。
「うん。なら良いんだけど、さ」
ミヤビの瞳に浮かんだのは悲しそうな色。
沈黙に俺はまた何か言葉を間違えたのだろうか、と焦る。
少しして、悲し気な様子のミヤビから出たのは予想外の言葉。
「そんな悲しそうに泣かないで」
「え?」
誰が?
泣いてるって、誰が?
振り返ってみても当たり前のようだが誰もいない。
ミヤビは俺を見つめたまま。
「ずっと泣いてるじゃん。君」
言われて目元に指先を這わせる。
生暖かい。
ふと下を向くとシーツにいくつもの丸い染みが落ちていた。
「え? ちょっと、なんだこれ。いや全然悲しくなんか無いんだけど」
ざまあみろって。心の底からそう思っている。
シルクもマカラスも鷹の爪も、全員ざまあみろって。
あんな悪人に騙されて良いように使われて。
組織をデカくしたいなんて欲につけこまれて。
俺を、追い出して。
今日なんて赤の他人を見るようなそんな目を向けてきた奴ら。
悲しいなんて感情一切ないはずなのに。
なにこれ、なにこれとただ涙をぬぐう。
◇
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