第18話 最低な一日
俺の初めてのクラン『鷹の爪』
マカラスが数年前に立ちあげたこのクランのことは、恐らくリーダーであるマカラスに次いで、俺が誰よりも知っている――
村を出て、その日暮らしに近い生活を続けていた俺に、明日はどうしようなんて不安で夜も眠れない俺に、手を差し伸べてくれたのはマカラスだった。毎日ギルドセンターに通ってクランの募集に応募しても受け入れてくれるギルドが見つからず途方に暮れていた俺たちに、唯一受け入れてもいいと手を差し伸べてくれたのは、アイツだった。
『行くあてもやることも見つかんないなら、俺と一緒にやらねえか?』
大型の獣みたいにデカい図体、日に焼けて真っ黒な肌。
威圧感を放つ風体には似つかわしくない子供っぽい笑顔でアイツはそう言った。
『俺もこの前クランを立ちあげたばっかりでさ、上手くいくか分からないが、どうだ?』
俺なんかで本当に良いのか? 咄嗟にそう聞き返したことは今でも鮮明に覚えている。いくら立ち上げたばかりだとは言え、クランを大きくするのに必要なのは優秀な人材のはずだからさ。
『もちろん。俺たちには特別な才能は無いかもしれないけどよ。やり方はいくらでもあるはずだ。ここからギルドをデカくしようぜ』
なんて暑苦しく言うマカラスと、その日のうちに入団祝いとかいって立ち上げメンバーを交えて朝まで酒飲んだっけ。肩組んで、夢だけ一丁前にでかくて「冒険者新聞に載ってやろうぜ」とか「もしかしたら有名になれるかも」とかアホみたいに騒いでさ。
大した金にもならない簡単な依頼をこなす度に祝いだ祝いだって毎日酒飲んで酔いつぶれてさ。弱小ながらマカラスの人柄に触れてかぽつぽつと人数も増え始めてさ。
飲み屋でスカウトしたとか言ってエミルダを勝手に連れてきて『お前が惚れたから連れてきたんじゃないのかよ』なんてツッコミどころも山ほどあったけど、少しづつクランらしい形になり始めてさ。
もちろん全てが順風満帆だったわけじゃない。人が集まり始めれば月並みにも悩みだって出てきて、金策だったり、メンバー同士の統率の難しさだったりさ。『こんなへっぽこクランやってらんねえ』とか、『こんな野郎と一緒にいるのはごめんだ』なんてメンバー同士で喧嘩して、そのまま抜けていったやつもいたっけ。
でも、それでもなんとか、五年間みんなで力を合わせてやってきた。
自分から抜けていった奴はいれど、メンバーの誰かを一方的にギルドから追い出すなんてことは一度だって無かったはずだ。
餓鬼の飯事みたいに見えるかもしれないけど、できるだけメンバー皆が仲良く楽しく。――それが『鷹の爪』の良いところだったはずだろう。
なんで、こうなっちゃったんだよ。
お前はそんな嫌らしく笑うやつだったか?
お前は自分の為に仲間を見捨てるやつだったか?
なあ、マカラス。
ほんとどうしたんだよ。お前。
◇
「――いや、絶対――マカラスさんには――っすよ。まじ負けないっすから」
「ちょっとガラルド――みたいに飲み過ぎてもしらないから」
「今日ぐらいはいいじゃないか、エミルダ。祝いの日なんだから――」
「うん、今日は――に、羽目外させてやろうや」
「でしょでしょ! 絶対マカラスさん潰してみせるっす」
「はあ、そんなこというなら、潰れたガラルドの介抱はお願いするわね」
「いや、エミルダ。それは勘弁してほしい」
「――ちょっ! みんなしてそれは無いっすってまじで!」
「ははは、冗談だガラルド。よし今日は盛大に楽しもう。お前なんかに潰される俺じゃねえ。そうだな、試しに生エールを――」
「あいたっ! ちょっと急に止まらないでくださいっす! マカラスさん!」
見知った面子と知らない顔。
「どしたんすかいったい」
宴が始まる前から、高揚した気分が溢れている幸せそうなやつら。
「ちょっとマカラス、なによ急に?」
そりゃ念願かなったんだから浮かれ気分も仕方ないかもな。
「なんで……」
「え?」
「戻ってきたのか……」
お前たちの中で、俺はもう死んだ奴とでも思っていたんだろう?
俺がいなくなったって誰も何も思っちゃいないんだろう?
「――ジーク」
どこで買ったのか分からないような、派手な銀装飾が入ったメイル。
お前はそんなに力を誇示するような奴だったか?
なあ、マカラス。
マカラス、エミルダ、メンバーの全員の視線が一点に集まる。
ここにいるはずがない、ここにいるのはおかしいと言わんばかりの視線を向けられるのは、覚悟していたとは言え気持ちがいいもんじゃない。
「ジーク、いつ……戻ってきたんだ?」
いつも糞もあるかよ。
俺だって戻ってきたかったわけじゃない。
お前らの顔なんて見たかったわけじゃない。
「なんだ、その元気そうで良かったわ。なんつーかその……」
元気そうでよかった?
それが安心している奴の表情かよ。
「ジーク先輩――戻ってきたんすか? ……出ていったのに?」
「ガラルド。ちょっと黙ってろ」
「あっ、さーせんっす。マカラスさん」
そっか、お前もいたな――ガラルド
去年『鷹の爪』に入団したばかりのガラルド。
俺を侮蔑するような目つき。
わざと穴を開けたという細身のパンツにジャラジャラとアクセサリーをつける言わば今風の青年。そんな格好で冒険にくんなと注意しても「これが今流行ってんすよ」といつも同じような格好をしてくる調子者。悪人では無かったが良くも悪くもノリが軽く、自分より下だと認識した人間には高圧的になってしまうのが癖だった。
不注意やらかして、俺やマカラスに注意されたとしても、その度に「さーせん、さーせん」とヘラヘラ笑っていたのを思い出す。そんなガラルドは今、俺の全身を舐めるようにして見て、面白いモノを見たような顔つきに変わっている。間違いない。この感じからして奴のカースト内で『お前は格下だ』と認定を押されてしまったんだろう。
まあ、もうどうでもいいけど。
「出ていったのに……戻っ……の? まじ笑え……」
まあ、これの反応も想像通り。
でも、落ち着こうとしたはずの腹の中が再びざわつきはじめてくるのが分かった。
わざと聞こえるように話してるのか、ただ単に声がでかいのか知らないが丸聞こえだ。コイツの性格からしてきっと前者なのだろうが。
「おい、だからガラルド。あまり喋るな」
早速マカラスから注意を受けているが、ヘラヘラとした態度を改めることは無いようだ。「さーせん、さーせん」と軽く笑う。
「その、隣にいるのはシルク――じゃねえよな」
シルク、と聞いて頭の毛穴が開いた。
不快だ。不快だ不快だ不快だ不快だ。猛烈に不快だ。
アイツの名前なんて二度と聞きたくもないし、俺と並び立っているわけがない。
寝ぼけたことを、言うな。
「は? アイツが俺の隣にいるわけないだろ。何馬鹿なこと言ってんだよ」
「いや、その戻ってきたならアイツのところに行くんかと思ってよ……」
笑える。
人間面白くなくても笑いって出てくるんだって初めて知ったよ。
なんで、俺が。なんで俺がなんでわざわざアイツに会いにいく必要がある。
二十年共に生きて、必死に積み重ねてきた全てをぶち壊した女に。
幼馴染だからって言って散々俺に甘えるだけ甘えてきた女に。
挙句の果てには、俺を裏切って他の男に走った奴に。
ギルドを追い出されるよりも辛い地獄を見せてくれたアイツに。
いい思い出のひとつだって残さず、俺を捨てたアイツに。
「あんな奴、知るかよ。そういえばアイツはどうしたんだよ。いないけどさ」
「ジーク。あんな奴なんて言うなって……そりゃ、すまねえ。お前には悪いことしたけどさ。シルクにはそんなこと言ってやんなよ……お前がいなくなってずっと気に病んでさ。今日も宿から出てこないんだから、さ」
「黙れ! アイツが気に病もうがなんだろうが俺には知ったことじゃない!」
「だからそう言うなって! シルクだってお前が突然消えて心配してたんだ!」
何が突然消えて心配してる、だ。
馬鹿にしてんのか、本当に。
突然も何もないだろうに。
アイツが俺に何をしたのか、あの女が俺の目の前で何がしたのか。
俺と寝食共にした部屋で。
俺のベッドの上で。
気持ち良さそうに腰振っていたことを。
こいつらは何も知らないってのか?
はあ? ふざけんなよ?
――まさか、まじでこいつらは知らないのかよ?
まさか、まさか俺がアイツを置いて逃げ出したなんて思ってんのか?
アイツを一人残して。クランを抜けてくれって言われたことに腹を立てて。
ひとり逃げ出したんだと、そう思ってんのか?
蒸発した情けない奴だと、そう思ってんのか?
なんだそれ、なんだそれ、なんだそれ。
そこにいるだろうよ、俺が姿を消した原因となった当事者が。
人の女を寝取って王様気分の男が。
鷹の爪をおかしくした張本人が。
胃の中のモノ全部ぶちまけちゃいそうだ。
晩飯を食べる前で良かったよほんと。
「最高に面白いよ、マカラス。お前らは本当に何も知らないんだな。なあ、俺が逆上して勝手にオラクルを飛び出したんだと、そう思ってんだろ?」
「いや、その。まあなんだ。でも勝手にいなくなったのはお前じゃねえのか? 俺はクランから抜けてくれとは言ったがよ……街から出ていけなんて……」
「本当に知らないんだな。まじで笑えるよ。なあ、お前からここで話してやれよ。おいマサハル!」
あの日、俺が最後にコイツを見た時と同じ顔。
まるで俺になんて興味がないといった余裕の顔。
人の女を寝取った奴がこんな顔できるわけがない、普通誰もがそう思うような自信に溢れた顔。
「――なんのことかな?」
「なんのことかな? じゃねえよボケ!」
なんでこいつはこんなにも余裕でいられるんだ。
なんでこいつは人間に向けてそんな冷たい目をむけられるんだ。
なんでこいつは自分が全て正しいなんて顔ができるんだ。
なんでこいつは、なんでこいつは――自分が、悪であると微塵とも思っていないんだ。
頭に血が上りすぎて眼球が飛び出そうだ。
あの日のことをもう一度掘り返すのも、人前で声高らかに言うのもダサいと思っていたが、もうどうだっていい。
良い機会だ。全員にコイツの本性を暴露してやる。
コイツが、シルクが俺に対して何をしたのか、全部暴露してやる。
「何余裕ぶってんだ。てめえとシルクが浮気しやがったからこんなことになってんだろうが!」
「――え?」
全員の視線が俺とマサハルを行き来している。
そうだろうよ。
お前らの英雄マサハルはとんでもない糞野郎なんだから。
「おいマカラス! お前はマサハルマサハル言ってるけどな! こいつはそんな善人でもねえしお前らの救いの主でもないんだ! いい加減気づけよ!」
「……なんだそりゃ。なあ、マサハルさん。ほんとうか?」
――は?
「マサハル、さん。だと?」
こいつはどこまで馬鹿になったんだ。
こいつはどこまで間抜けなんだ。
こいつはもう、俺の知るマカラスじゃない。
マサハルが加入してから「はいはい」と二つ返事をしていたがいつの間にか地べたに腹ばいになって媚び売るまでになったなんて。こんな最低なやつのことを俺はもう知らない。
「なあ、マサハルさん。ジークの言っていることは本当なの、か?」
「――そんなことある訳無いじゃないですか。ねえジークさん、クランを追放される虚しさは僕には良く分かる。辛いよね、悲しいよね。でもね、その腹いせにありもしないことを吹き込むのは良くないんじゃないかな」
「よく、よくそんな嘘を……」
「僕のことを悪く言うのはまだ良い。でも、シルクさんのことまで巻き込むのはダメだ。君たちは長年共に時間を過ごしてきた幼馴染なんだろう? やめなよ。シルクさんのことを悪く言うのは、さ」
「お、おっお前」
この野郎と言おうとして、言葉が詰まる。
息がはけない、言葉がでない。
言葉が出ないのが、怒りからなのか驚きからなのか、それともどっちもなのか、もはや分からない。息を吐くように平然と嘘をつくマサハルに殺意にも似た感情が芽生えてくる。
握りしめた拳が熱い。
――もういい。あの日の、続きだ。
今度は枕じゃない、絶対にその顔面に拳を叩きこんでやる。
「ふっ、ふざけんなお前!」
「それで、暴力ですか?」
「おいおいおい! ジークやめろって!」
「ちょっと、みなさんお店の前で喧嘩は辞めてくださいっ!」
エリーダさんも息を何が起こっているのかようやく理解したのか、仲裁に入ってくる。エリーダさんには悪いけど、こいつは俺がどうにかしなきゃ気が済まない。
「ジークもちょっと落ち着けって! 俺には何のことなのかさっぱり分かんねえよ!」
「だからマサハルがシルクと寝たんだって何回言わすんだ! お前が俺をギルドから追い出したあの日にっ! マサハルがシルクとなっ!」
「妄想もいい加減にしてくださいよジークさん。それと、いい加減にしないと僕もそれなりの対応をしますよ?」
「やってみろ馬鹿野郎!」
「だから落ち着けって! お前もお前だろう!? 何も言わずに出ていきやがって! マサハルさんに文句があったなら直接俺に言ってくればいいだろう!」
「俺はそんなこと言ってるんじゃねえよ! 大体何がマサハル『さん』だよ! お前はいつからそんなに情けなくなったんだ!」
「だから! みなさん喧嘩はお店の前では――!」
「マサハルさんに文句があるなら今更言うんじゃねえって!」
どいつもこいつも話にならない。
「俺が言いたいのはそんなことじゃない! だからっ……」
――何の騒ぎだよ
――おい、喧嘩だよ
――クラン同士のいざこざだって
――やべえ、面白そうじゃん
「女寝取られた兄ちゃん最高だぞー!」
「ああ!? うっせえ――」
どこからか飛んできた声に怒鳴る。
鼻息荒く、マサハルの襟首を掴んだまま辺りを見回すと、街行く冒険者たちが足を止め俺たちを囲んでいるのに気付く。面白いモノ見たさに集まった冒険者が事を知らずとも適当な野次を飛ばしている。
「もうっ! みなさん! 本当にやめて! ジークさんも! お連れの方ほったらかしにしてっ!」
エリーダさんの叫びで一瞬我に返る。
お連れの方――
振り返ると冒険者達の輪の中にも混ざれずお店の前でポツンと取り残されたミヤビが目に入った。深く被った帽子、俯き彼女は微動だにしない。いつの間にか握っていたはずのミヤビの手を振りほどいていた。『大丈夫?』と気遣ってくれた彼女の手を、無意識のうちに。
あれほど熱くならないと決めていたはずなのに、俺の目的はこいつ等と喧嘩することじゃないのに。
俯き、人形のように口を開かないミヤビがどんな顔をしているのか想像がつかない。無関係とはいえ野次馬に囲まれた屈辱から声を出すことも出来ないのかもしれない。
俺は一体何をしているんだ――
なんで、なんでいつもこうなるんだ。
これじゃ何も変わってないじゃないか。
初めての街に来て、知らないやつらの喧嘩を見せられて、放置されて。
彼女をどんな気持ちにさせてしまったんだろうか。
俺はミヤビからの初依頼を受けている最中じゃないか。
彼女の手を握りしめていたはずの俺の手は、いまだマサハルの襟首を締め上げている。ミヤビの冷たい手のひら、心配そうな声を思い出して、力が緩む。
「賢明な判断ですね、ジークさん。喧嘩はやめましょう」
――やるんだったら、折ってましたよ
マサハルがつぶやく。
「もういい……お前らとは、もういいよ」
何を言っても通用しないマカラス。
嘘ばかりつくマサハル。
集まった野次馬。
無関係のミヤビを巻き込み見世物のひとつにしてしまったこと。
マサハルの顔面に一発拳を叩きこんでも何も変わらない。
どうせ全部俺が悪者。
そう考えて途端に空しくなってくる。
こいつらと関わっていても仕方がない、仕方が無いんだ。
無理やりにでもそう割り切るしかなかった。
「あの、ごめんな。もう行こう」
置き去りにしてしまったミヤビの手を取る。
相変わらず冷たい手。
彼女は何をいう訳でも無く、ぎゅっと手のひらを握り返す。
「もう、あとは好き勝手にしてくれ。もう俺のことなんて放っておいてくれよ」
「待てよジーク! あのさ。俺たちのもついにBランクに上がれたんだ。だからよ、また落ち着いたら戻ってきても大丈夫なようにするから。お前の面倒も見られるくらいにでかいクランにするからさ! だからもう少し待っててくれや!」
面倒を見てやる、か。
最高に侮辱的な言葉だよ本当にさ。
もう勘弁してくれ。
頭の中がぐちゃぐちゃなのをなんとか整理している最中なんだ。
もう人の心を踏みにじるようなことは辞めてくれ。
「ああ、折角だけど遠慮するよ。お前らの世話になるつもりなんて無い。俺は自分でクランを立ち上げたんだ。だからお前らは好き勝手やってくれ」
「――え? お前が……クランを……立ち上げた?」
ああ、わかってる。
その後に続く言葉をね。
◇
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