第17話 絶対に会いたくない奴ら

 道行く馬車。


 天気は雲一つない晴れ。


 でも、俺の気分は超曇り、というか土砂降り雷雨。


 最悪な気分。


 どうしてこうなった。


「ああー最悪、最悪、最悪だ!」


「ねえ、もうひとつ食べてもいい?」


「まじで嫌、まーじで嫌。まじで嫌っ!」


「ねえ」


「なんでオラクルなんだよ。なんでオラクルなんだよ、なんでオラクルなんだよ!」


「食べていい?」


「だってまだひと月も経ってないんだぞ……それなのに、それなのにっ!」


「ねえ、もうひとつ――」


「ああー! もう! ひとつでもふたつでも! 全部食べちゃって!? 全然OKよ!? どうせ無くなったってオラクルで買えばいいんだからさっ! そう! オラクルでさっ!」


 このっ、やっぱり食いしん坊!


 と、言いたいところだけど今はそんなこと言って怒ったミヤビを宥める余裕もないし、菓子パンを嬉しそうに頬張るミヤビを見て、ほんわか癒される気分にもなれない。頭の中は『これから向かう最悪の街オラクル』のことでぐちゃぐちゃ。どこにでもありそうな道が段々とオラクルに近づいているように見えて吐き気さえしてくる。


「そんなに焦らなくていいじゃん。歩きでメーテルに帰ってくれとか言われないだけまだマシだよ」


 一口で菓子パンの半分を齧り取り取ったミヤビがモゴモゴ言う。


「違うんだよ違うんだよ違うんだよ……ダメなんだよ、オラクルに寄るのだけは絶対嫌なんだよ……」


「さっきからずっとそれ。仕方ないじゃん、通行証取りにギルドセンター行かなきゃなんだからさ。その、メーテルのギルドセンターに通行証の発行手続き取りに行くのを忘れてたのはごめんけどさ」


「いや、俺もすっかり忘れてたから……別にミヤビが悪いわけじゃないし……違うんだよ……通行証忘れてたって、別にオラクル以外なら立ち寄っても全然良いんだよ……」


「なんでそんなにオラクルに寄るのが嫌なわけ? なんかあったの?」


「……その、この前の話の街だから」


「え? なに? この前の話って?」


「俺が追放されたクランはオラクルにあるのっ! というか俺が逃げ出してきたのはオラクルからなのっ!」


「――あ」


 とミヤビは脳内図書館で数日前の出来事を思い返しているようだった。数秒固まった後、何を思い出したのかやや口角があがったのが見えた。多分ミヤビの脳内図書館に貯蔵されてある俺の本は『追放されてきた優男に幼馴染を寝取られてクランを追放された男のヤバい話』なんていう長ったらしく寒いタイトルに違いない。


 昨日までの真剣なミヤビはどこいった。


 王都に向かっているはずの荷馬車は今、オラクルの街に進路をとっている。始まりの街から抜け出したはずなのに、しかも飛び出してから数週間しか経っていないのに、こんな短期間で再び始まりの街に帰還することになるとは夢にも思わなかった。


 狭い荷台の中では最悪だ最悪だと朝からずっと何度も悩み、頭を抱えている俺と菓子パンを頬張るミヤビの異色の組み合わせ。


 何故オラクルに向かっているのかと言うと、理由はとても簡単。


 俺たち二人は王都に入る為の『通行証』を持っていないから。


 オラクルからメーテルに、その他の街に軽々しく移動するのとは訳が違う。この国の中核である王都に足を踏み入れるのであれば、ギルドセンターから発行される『通行証』が必要になるってのは常識中の常識だった。通行証の手続き自体は何も面倒でも難しいものでもない。ただ少し時間がかかるだけ。王都での目的と所属しているクランの証明さえ出来れば手続きの二日後には通行証が発行される。だから手続きさえ済ましてしまえば、後は受け取るだけで何も問題ないはずだったのに。


 そんな当たり前のことをすっかり忘れていた俺。というかミヤビも忘れてるし。メーテルで食材足りるかなとか夜は寒いから羽織物がいるかな、なんて考える前にもっと大切なことを忘れているってなんで気付かなかったんだろう。


 もう、最悪。


 『通行証』が無いことに気付いた俺は自分勝手ながら荷馬車の主にメーテルまで戻れないか?と打診してみたが結果は当たり前のようにNO。


「王都に行くのに通行証忘れるなんて聞いたことないですよ」なんて言った商人の顔は面白いネタを拾ったと言わんばかりにほころんでいた。商人仲間の間で二日三日酒の肴にされること間違いなし。


 でも流石に不憫だと思ったのか、荷馬車の主から「少しは遠回りになるけど、オラクルだったら立ち寄ってもいい」「それが無理なら徒歩でメーテルに戻ってくれ」と俺にとって究極の選択肢を提示してきた。普通に考えればとてもありがたい話だ。王都に向かうはずなのに途中で別の街に寄るなんて商人にとっては非効率極まりないことだから。


 まあ、追加で二人合わせて一万ゼルを提示してきたのだから、ちゃっかりお小遣い稼ぎをされている訳なんだけどさ。とはいえこちらが悪いのだし何も言うことは出来ない。


 今更メーテルまで徒歩で戻るなんて二日は歩きっぱなしになってしまう。流石にミヤビを地獄のお供にするわけにはいかないと、不承不承ながらオラクルに立ち寄る選択肢を選んだのだった。


 選んだのだから文句を言うなと誰かに言われそうなもんだけど、やっぱり嫌だ。年甲斐もなく朝からずっと喚きっぱなしだった。


「嫌だとは思うけど、別に長居する訳でもないんだからさ。仕方ないと思って諦めてよね」


「だってさ、俺がオラクルから飛び出してまだ数週間だぞ? 万が一クランの連中に見つかったらそれこそまた逃げ帰ってきたのかと笑われちゃうって……」


 飛び出して数週間で戻ってくるなんて、ちょっとこましな旅行でもしてきたくらいの短い期間だし、家出少年でさえもう少し頑張るだろう。もしメンバーに見つかりでもしたら笑われるどころか変なあだ名でも付けられそうなもんだ。


「君は気にしすぎなんだって」


「いやいや気にするだろ普通」


「大丈夫だって、君は笑われるようなことしてないから。何かあっても大丈夫」


「ああ……見えてきた……オラクルが……おえっ」


「いや、まだ全然オラクル見えてこないから。変な顔するのやめて」


 えずきそうな俺に冷たい言葉が飛んでくる。


 オラクルの気配が近づくにつれて、心臓の動悸が一層激しくなっていく。


 もう、いっそのこと一生着かないで欲しい。







「ああ、ついちゃった」


 ただいま、オラクル。

 見慣れた正門、見慣れた大通り、見慣れた市場。

 数週間ぶりのオラクルは何も変わりなく懐かしさもなかった。

 

「へえ。わたしオラクルに来るのって実は初めてなんだよね。なんかメーテルとは違う匂いがするね」


 メーテルを出る時と同じ黒いローブ、頭には大きな帽子を乗っけたミヤビが動物のように「この匂いはなんだなんだ」とクンクン鼻を鳴らす。時折ローブの腰部分が盛り上がるように見えるのは細長い尻尾が中で暴れまわっているからだろう。


 身動きを制限される荷馬車から降りて身体を動かせることが気持ちいいのか、初めてのオラクルに興奮しているのかよく分からないけど余程機嫌が良いようだ。


 そんなミヤビとは対照的に、俺は誰にも顔を見られないように馬車の主人から借りた、どこぞの土産だという麦わら帽子を深く被り出来るだけ身を小さくしている。


 日も落ち始めた時間帯にオラクルに到着したので、街全体が夜の顔に変わる準備をし始めている賑やかな雰囲気に満ちていた。冒険者ギルドの依頼を終えた冒険者が、根城とする街に戻ってきてひと時の団欒を過ごす時間。街中に冒険者が溢れる時間。


 今の俺からしたら一番危険な時間帯。


「ねえ、あれなに? あの木箱の中身。見たことない果物ある」


「ちょっと、ミヤビ声がでかい。もっと抑えて抑えて」


「おっと、ごめんね」


 誰の真似をしているのか、おっさんのように手刀を切り頭を下げるミヤビ。


 なんだ、この子は酔ってんのか。

 そんな浮かれ気分のミヤビに今からの予定を説明する。


「ギルドセンターに寄る前に宿屋に行こう。あまり贅沢は出来ないけどさ。この街のボロ宿は大体俺の馴染みだから、出来るだけ俺の行ったことの無いランクの高い宿にしよう」


 中ランクの宿屋になると一泊五千ゼル程かかるがこの際仕方ない。ボロ宿ヘビーユーザーの俺のことを知っている宿屋の主は多いから。


「ん。わかった。でも、ご飯は?」


 もうっ!と言いたい気持ちをグッと堪える。

 ミヤビを自分の我儘に付き合わせていることに少しの罪悪感。


「宿屋に入ったら部屋で盛大に贅沢なモノ食べよう。だからごめんな」


 折角初めての街に連れてきたのだから、美味い飯屋でメーテルからの長旅?を慰労したいところではあるけど、とにかく外には出たくなかった。


 ある程度グレードの高い宿であれば人気店の料理を部屋までデリバリーしてくれると聞いたことがあるからミヤビには悪いが、それで我慢してもらうことにしよう。


 ミヤビのローブの裾を引き、大通りを出来るだけ避けて小道からオラクルの街を進んでいく。


 どうにかバレませんように。どうにかバレませんように。

 誰に声を掛けられても無視を貫く。そう決めた。


 宿屋までの道のりがえらく長く感じる――





 恐れていた事態に直面したのはオラクルの名店『踊る珊瑚礁』の横を通り過ぎようとした時だった。


「――あら? ジークさん、よね?」


 ふいに名前を呼ばれて心臓が跳ねる。


 人間面白いもので、決して名を呼ばれても反応しないと決めていても不意打ちをくらうと反射的に行動してしまうようだ。つい「はい!?」っと間抜けに振り向いてしまった。

 

 声の主は踊る珊瑚礁のエリーダさんだった。

 客の呼び込みをしていたのか、買い出しの途中かは分からないけどエプロン姿のエリーダさんは「そうよね?ジークさんよね?」と訝し気な顔を向けている。


 居酒屋の店員は客の顔をよく覚えているとは言うが今日ばかりは都合が悪い。

 人の流れに身を隠すようにしていたのだが、ばっちり見つかってしまった。


「あらあら! やっぱりジークさんだ! 久しぶりじゃないの!」


 エリーダさんが満面の笑みを浮かべながら近づいてきた。


「どこ行ってたのジークさん! ジークさんが最近こないなーって主人と話してたのよ! でもジークさんが元気そうでなによりだわっ!」


「ちょっ、エリーダさん。ちょっと声が大きい――」


 ジークジークとでかい声で言われる度にドキドキと心拍数が上がっていくのが分かる。人違いだと通せば良いのに他人に気を使ってしまう肝の小さい奴だと自分でも思うけど、無視することも出来ずにか細い声で応答する。


「最近街で顔を見ないと思ってたのよね!」


「ちゃっとまあ、色々あって――」


「そうなんだっ! もう、寂しかったわよお」


「だからその声が……」


「えっとそちらはシルクちゃん……じゃないわね」


 大きな帽子に隠れたミヤビの顔を覗き込むようにして声をかけるが、ミヤビは咄嗟に俺の後ろに隠れる。その様子から隣にいるのが別人だと判断したようだ。いや、なにか嫌らしい想像でもしているのかエリーダさんは口元に手をもっていき「あらあら、まあまあ」と繰り返している。「大丈夫よジークさん。私言わないから」なんて小声で言われるが断じてそんな関係では無いし、不安の種はそこでは無い。


 一秒でもこの場から離れたい。ただそれだけ。


  頼むからどいてくれ、エリーダさん。


「えっと、まだ皆さんは到着されてないみたいなんだけど先にお店に入って待ってる?」


 店に案内するように手招きをするエリーダさん。

 「皆さん」と言われて、胸が一瞬痛んだ。


「いや、俺はちょっと今日は大丈夫です」


「そうなの? あら、今日よね? 皆さんのクランのお祝い会は」


「ギルドのお祝い……?」


「あれ? だからジークさんも久しぶりにいらっしゃったのかと。この前マカラスさんが予約されてたの。鷹の爪のメンバーでお祝い会をするって。だからお店は貸し切りにしてくれって……」


 鷹の爪のお祝いと聞いて心臓が大きく弾んだ。


 そして察する。


 俺の所属していた『鷹の爪』が今どうなっているのか、今日躍る珊瑚礁で何が行われるのかを。


 ああ、そういうことかよ。


 そうかアイツら俺がいなくなってBランクに昇格したんだ。

 俺がいなくなったからアイツらはBランクに昇格したんだ。


 俺がいなくなってまだ数週間。

 

 ――いやアイツらにしてみれば関係無い話なのかもな。


 あれだけ頭を下げていたマカラスが、俺がいなくなった翌日にでも嬉々としてギルド連盟にランクアップ手続きをしていたかと思うと、なんとか笑い話にして忘れようとしていたあの日の悔しさが腹の底から湧き上がってきた。


 ギルドを「脱退してくれないか」と言われた惨めなあの日を。

 俺がいることが鷹の爪の足を引っ張っていると間接的に言われたあの日を。

 人前で辱められたあの日のことを。


 今までの人生が全て変わってしまったあの日のことを。 


 メンバーに会いたくないと怯えていた自分からは想像もつかない程の、強烈な感情が沸き上がる。


 こんな感情、随分と久しぶりだ。


 今思えば、なんで俺がオラクルを飛び出さなきゃいけなかったんだろう。


 なんで俺だけが逃げるようにしてこの街からいなくならなきゃならなかったんだろう。


 立ち上げから一緒にやってきた仲間を無常に切るようなクランが昇格だと?


 アイツらは仲間を見捨てて、俺のことなんかお構いなしに今から酒を飲み、笑い、未来のことを嬉しそうに話すんだろう。


「ジークがいなくなってよかった」なんて馬鹿笑いでもしながらさ。


 ほんと、ふざけんな。


「――大丈夫?」


 握りしめた拳に冷たい感触。

 ミヤビが俺の握りしめた拳に手を重ねてきた。

 ふと、我に返る。


「あ……ミヤ――」 ビと正体を言いかけてしまうほどに、ミヤビと一緒にいることを忘れてしまうほどに頭に血が上ってしまっていた。


 大きく息を吐く。


 ちがう、ちがう。


 俺はもう前に進むって決めたんだ。

 あの日のことはもう気にする必要なんかない。  

 そうだろう? そうだろう? 

 もう俺がアイツらに、この街に固執する必要なんてないんだ。

 怒りや悲しさなんてもうどうでもいいんだ。

 アイツらがどうなろうが俺にはもう関係ない。


 それでいい、それでいい。

 未だに火照る顔、弾む心臓。


 それでも必死に自分に言い聞かせる。

 

 ――これ以上ここにいるのは良くない。


 重なった手の平を握りしめる。

 

「ああ、ごめん。大丈夫だ。そろそろ行こう」


「エリーダさん、ちょっと急ぐんで――」と平静を装い、この場から離れようとした矢先の事。


「あ!」とエリーダさんは声をあげた。


「ほら、マカラスさんたちいらっしゃったわよ!」


 今日はつくづく運が悪いみたいだ。


 振り返ると大通りからやってくる見知った顔ぶれ。

 肩を組み楽しそうに笑っている。


 ああ、本当に最悪だ。


「マカラス」


 マカラス、エミルダ、見知ったメンバーたち。


 そしてその中心には俺の人生を百八十度変えてくれた男の姿。



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