第12話 獣人のミヤビとクランを追放されて幼馴染を寝取られた俺

「――あの、ありがと。助けてくれたみたいで」


「いや、それは全然構わないんだけどさ」


「うん……」


「……」


「その、ミヤビ……さんは……」


「べつにミヤビでいい……」


「あっ……はい」


「……」


「……」


 ――沈黙が苦しい。


 子供のように泣き出したミヤビが落ち着くまで一時間近くかかったと思う。

『痛いことしないで』と繰り返すミヤビに状況説明をしようにも、耳を塞いで完全防御の体勢を取るもんだから、どうもこうも出来なくただ彼女が落ち着くのも待つしか無かった。


 落ち着いた頃合いを見計らって、ミヤビに「自分がなぜここにいるのか、どんな状況だったのか、俺は誰なのか、何故そうなったか」を出来るだけ詳細に説明をした。幸いにも俺の説明に少しは納得してくれたのか、ひとしきり泣いた後で疲れてしまったのか分からないけど、ミヤビは毛布を体に巻き付けベッドの上で大人しく座っている。ピンと天に向かって立っていた猫耳も今やしおらしく垂れ、耳だけみても悲しみが伝わってくるようだった。


 取り乱し方からして、彼女は俺なんかには理解できない程の深い心の闇があるんじゃないかと思う。咄嗟に耳を尾を隠したあの様子を思い出すと胸が痛い。


 時折ミヤビが鼻を啜る音だけが部屋に響く。


「ミヤビさ……ミヤビはどうしてあんなケガしてたんだ?」


 触れて良い話題かどうかを見極めるのは難しいけど、あんな大怪我を負ってしまった理由くらいは気になってしまう。隣に座っているのは黒虎の幹部であることは勿論承知の上。それでも自分より年下の女の子が何か大きな事情を抱えているのではないかと思うと、できることならば手助けがしたい、そんな気持ちが芽生えている。

 

「言いたくないなら無理に言わなくても大丈夫だから」


「あまり――」


 ――言いたくない。

 そう続くと予想し、「あ、聞いたら駄目な話題だったかも」

 やっちゃったーと胸が大きく弾んだがミヤビは数秒間を置き言葉を続けた。


「覚えてなくて。その、ガルニのおっさんと喧嘩して飛び出したまでは覚えてるんだけど――」


 ガルニのおっさんと喧嘩して。


 同じクランメンバーなのだから喧嘩のひとつやふたつあってもおかしくないのだけど、俺のような一般冒険者からしてみれば冒険者新聞の超有名人同士が喧嘩したなんて別世界の話を聞いているような気分だ。それでも、冒険者の頂点にいる二人の現実が垣間見えた気がして少し胸が高鳴る。


「飛び出したあとのことは、その、なんで自分が怪我していたのかも覚えてない……」


 口ぶりからして、ミヤビが大怪我を負ったのはガルニとの喧嘩が原因ではないことは分かった。あれだけの傷がつく喧嘩であれば、もはや喧嘩では無く殺し合いと呼ぶものだろう。二人の喧嘩がどのように行われたのかは知らないけど、互いの命を奪い合うようなものでは無かったことを知って安堵する。


 でも、だとしたらなんでミヤビはあんな大怪我をしたんだ?


 鋭利な刃物で斬られたかのような、深い傷を思い出した。


 誰でも知っているとおりミヤビは黒虎の幹部。

 今でこそ弱っているもののミヤビにあれだけの深手を与えることが出来る人間がいるなんて考えにくい。もしかしたらモンスターという可能性もあるけど、メーテルの街近辺で高ランク帯のモンスターが現れるなんてのは現実的では無いし、仮にモンスターだったとしてミヤビとやり合えるだけのモンスターがいるなんて聞いたこともない。だって最高討伐ランクのドラゴン種でさえ黒虎の面子の前では赤子も同然なのだから。


 だとしたら一体なにが原因で……


 未知との遭遇。今まで黒虎のメンバーが食物連鎖の頂点であり、それ以上の存在なんているはずない、そう勝手に思い込んでいた。でも事実はそうではない――俺が今まで知らなかった世界の裏側が見えた気がして、背筋に寒気が走った。


 そしてそんな俺を更に混乱させるかのようにミヤビは言う。


「……あたしがクランを勝手に抜けようとしたから、罰があたっちゃったのかも」


 ――頼むから、平凡な人生を歩いてきた俺に圧をかけるのはやめてくれ


「へ?」と間抜けな俺の声だけを残して、再び沈黙がやってきた。





「抜けるって……へ? 黒虎を?」


 会話のキャッチボールとしては0点の長い間の後、ようやく言葉を還すことが出来た。

 

「うん、黒虎を」


 ミヤビは平然と言うが俺は今衝撃に震えている。


 だってそうだろう。自分の良く知るアイドルの引退宣言を公になる前に本人の口から直接聞くなんてなかなか体験できることじゃない。しかも「抜けようと思っている」ということはまだ正式に抜けていないということだ。Sランククランの内々の話を俺なんかが聞いてしまっていいのかと、パンドラの箱を開けた気がしてならなかった。


「それはなんで……?」


 ついて出た言葉は平々凡々な問い。

 というかこれくらいしか返せない。


 俺がクランメンバーなのであれば『なんでだよ!? もっと俺たちとやろうぜ?』とかなんとか思い出を語りながら話を膨らませることも出来るのかもしれないが、赤の他人の俺にはその理由を聞く以外の気の利いた対応は見つからない。


「ごめん。それは今は言えないんだけど、どうしても納得いかないことがあってさ。そう、いろいろとね」


 どうやら話したくないデリケートな話題のようで。


 クランに入るのも辞めるのも人それぞれだし、大きいクランだからといって辞めるのに明確な理由が必要な訳でも無い。さらにそのクランに入った人間にしか分からない事情なんかも絡んでくる。いくら黒虎の幹部とはいえミヤビにも色々と思うところがあるのだろう。


「そうか……そうか、なるほど」


 俺は「へー」とか「そっか」とか「なるほど」なんて間抜けな返事をするしか出来なかった。


「なんか、ごめんね」


「いやいや、無理に話さなくても……」


「……」


「……」


 俺ってこんなに会話下手だっけ?


 再びの沈黙に耐えきれずいると、ミヤビの尻尾が蛇のようにクネクネとベッドの上で波打っているのが目についた。


 尾からミヤビに視線を戻すと、バッチリ目が合う。

 泣きはらした大きな猫目。涙がつたった跡。


 視線を反らし何か言いたげな様子。


でも「あの……」と言葉の後が続かない。


 なんとなく彼女が何を切り出したいのか分かっている。

 しばらくモジモジしていたミヤビだったが、意を決したように口を開く。


「それよりさ、あの……他に聞くことないの? ……その見た目とか。わたしの」


 ミヤビからしてみれば自分が何で大怪我をしていたのか、黒虎を抜けると言ったことなんて二の次で、それよりも『自分のことについてどう思うのか』が、ずっと気になっていたのだろう。ミヤビの猫耳は俺から出る言葉を逃さまいと、息を吐く音にさえ反応し垂れたり立ったりを繰り返す。


「――正直に言うとさ。まあ、気になるっちゃ気になる。だって俺も見るのはじめてだからさ。その、猫の耳とか尻尾がついている人」


「そうだよね……やっぱり変だよね」


 丁寧に言葉を選んだつもりだった。

 自分の本心『なんだっていい』という気持ちが変に伝わってしまったのか、ふりふりと波打っていたミヤビの尻尾が途端に大人しくなってしまう。


「いや! 違う違う! 変とかでは無い! 本当に!」


「いいの、慣れてるから。昔から……お父さんに言われてたんだ。絶対に人前でその格好を見せたらいけないって。だからずっと隠してたの、スキル使って耳も尻尾も見えなくしたりしてさ」


「……てことは、そのミヤビのお父さんも……生えてるのかな? その、耳とか尻尾とか」


「ううん、何も生えてないのお父さん。本当のお父さんじゃないから」


「そう、なのか……」


「でもさ、たまに気が抜けるとスキルがかかっていないことなんかもあってさ。それで昔まだあたしが小さい頃に村の人に見つかったこともあったんだ」


 昔を思い出すようにして、元気なく垂れ下がるふわふわの耳を手を当てた。


「そしたら知らない人たちが沢山家にきて、獣人の生き残りだなんだって騒いで――」


 獣人の生き残り。


 そのキツイ言葉に、それ以上は言わなくても、それから何が起こったのか何をされたのか想像がついてしまう。自分がその場にいた訳では無いが奇異な目を、蔑んだ言葉を発せられた幼いミヤビを想像すると辛くなってくる。


「これまでも、これからも隠して生きていかなきゃいけないのに……」


 過去を思い出してしまったのか、落ち着きを取り戻していたミヤビの声が震え始めた。


「黒虎のメンバーにも隠してたんだけどな……」


 これは、まずい。


「あの! 今日会った俺のことなんて信じられないかもしれないけどさ。安心してほしい! 君のことは絶対に誰にも言わないし、俺は本当になんとも思っていない!」


 相手に信じて貰うためには先ずは自分のことをさらけ出す。

 自分の弱いところも恥ずかしいところも全部。

 誰かの信用を得るにはそれしかない――って酒場の酔っ払いが言っていた。


 その言葉を思い出して、間髪入れず俺は話続ける。


「しかも俺、メーテルの人間でも無いんだよね! この街に知り合いなんて一人もいないんだ。それどころか話し相手さえいないんだから、誰に話すなんて絶対できないしさ!」


 ミヤビは悲しげな顔のまま俺を見つめている。


「だから、その」


 まだ足りない。

 これではミヤビが泣いてしまう。


 どうするか、どうすればこの重い空気を打開できるのか。

 泣きそうなミヤビを如何にして笑わせるか、俺は全神経を集中して考えた。


 そうして導き出した答えは、


 『俺史上最高に笑える話をする』だ。


 残念ながら、ありふれた人生しか送ってきていない俺の『最高に笑える話』はひとつしかない。しかもそれはつい最近あった出来事で、正直墓場にまで持っていきたい話。それでも目の前にいる悲し気な女の子に元気を出してもらうにはこれしかなかった。


――ええいままよ


「実はさ、この前クランを追放されたんだ俺!」


 切り出す。


「……え? 追放って――」


 ミヤビに話す隙を与えない。


「お前の能力じゃ役に立たないから出て行ってくれってさ! リーダーとは長い付き合いでほぼ設立メンバーに近いんだぜ? それなのに俺を追放するって言われてさ。しかもクランから出て行けって言われた同じ日、てか一時間後なんだけど。幼馴染みの彼女が浮気してたんだよ。目の前で。クランを追放されて同じ日に幼馴染を寝取られるのが被るなんて信じられる!?」


 変な汗が滲みでる。

 だけどもう止まれない。


 走り切るしかない。


「同じ村で育った幼馴染みでさ、生まれてから二十年近く同じ時間を過ごしてきたんだぞ? 何年も何年も一緒に頑張ってきたのにさ、いつの間にか浮気してんの。ガチャって宿屋の扉開いたら素っ裸で男の上にまたがってて。浮気した理由が、俺とじゃ将来が不安でした、だってさ。そりゃ甲斐性は無かったけどそれなりに頑張ってたんだけど。しかも間男殴ろうとしたら逆に顔面殴られちゃって鼻血噴き出て。 でも、まあ……彼女は俺のこと信じているなんて勝手に思って……それで……目の前で……他の男に抱かれてて……しかも財布も持たずにメーテルまで徒歩できたもんだから……当分まともに飯も食えずでさ……クランも俺を受け入れてくれるところなんてなくて、それから、それからずっと一人で」


 シルクとのことなんてあまり良い思い出なんて無いはずなのに。

 長年連れ添ったからといって特別良い思い出なんて無いはずなのに。


 情けなさからか、いつの間にか泣いてしまっている自分に気付く。


 そう、ずっとひとりでやってきた。

 ミヤビの孤独に比べれば大したものじゃないかもしれないけどさ。


「まじ笑えるって感じだろ……ははは……はは」


 なにやってんだろ、俺。

 笑える話をするって決めてなんで泣いてんだろ。


「……まあこんなだから安心して欲しい」


 多分今相当間抜けな面を彼女に向けている。

 

 鼻水が垂れて涙でぐちゃぐちゃになった残念な男。

 いきなり話初めて突然泣き出すよくわからん男。

 追放されてきた優男に幼馴染を寝取られてクランを追放された男。

 

 とりあえずもう何も喋りたくない。

 俺に宿屋の親父のようなコミュニケーション能力があれば、と自分の口下手さを恨む。

 こうなればもう後は勢いしかなかった。

 情けない面で微笑む。


「あの、笑っていいよ」


 ミヤビが息を漏らした。

 肩を震わせ、笑い始める。


 失笑

 嘲笑

 

 面白くなくとも色々な笑いがでるとは思うけど彼女が見せたのはそれらとは全く違うモノ。


 ミヤビは本当に楽しそうに笑った。


「なにそれ、うけるね」


 多分、話自体は面白くは無かった。

 でも必死さが伝わったのか、俺の顔が面白かったのか、何がツボに入ったのかは分からないがミヤビは満面の笑みを浮かべている。


 垂れていた猫耳も左右に動き、ベッドの上で暴れる尻尾。


 というか笑い過ぎな気がする。


「笑えるとは言ったけどそんなに笑わなくても……」


「ごめんごめん。てか、それこそわたしみたいな他人に話してよかったの?」


「だって……また泣き出しそうだったから」


「そう。面白いね、君」


 これでもかと笑ったミヤビ。


 目尻に溜まった涙。

 それを拭うと「よし」とミヤビは独り言のように大きく息を吐いた。


「ジーク、だよね? 君みたいな人、はじめて。助けてくれて、ほんとありがと」


 急に名前を呼ばれて顔が熱くなる。


「命まで助けてもらってまたお願いするってのも申し訳ないんだけどさ。君に相談したいことがあるんだ――いいかな」


 突然のことに俺は数秒固まる。

 ミヤビがこれ以上こんな俺に何を相談したいというのだろう。

 もしかしてまた同じ話をしろっていうんではなかろうか。

 だとしたら、もう絶対に話したくない。一瞬の不安がよぎる。


「できることと、できないことがあるけど……」


「んっと、王都まで一緒にきてもらいたいんだけど。勿論それなりの御礼はするからさ」


「王都ってクルージ?」


「そう、王都にあたしの借りている家があるの。そこに戻りたくて」


「……王都くらい別にひとりでいけるだろ」


「恥ずかしながら、実はわたしも一文無し」


 なるほど、先日までの俺と同じ境遇のようだ。

 まあ、俺の金が無いのとは少し理由が違うようだけど。


「それと、君のおかげで身体は治っているんだけど上手くスキルが使えないんだよね。簡単な魔法くらいは使えそうなんだけど、耳も尻尾も隠せそうになくて。だからその、一人はちょっと怖い」


 黒虎の幹部でも怖いなんて言うことがあるんだな。

 ふわふわの尻尾がベッドの上でぱたぱた音を鳴らしていた。


「もし君がいいって言うんであれば、最大限の御礼をする。命を助けて貰ったことの御礼と合わせてね」


 もちろん王都へは行ったことがない。

 行き方もよく知らないし、いくらかかるのかも分からない。

 しかも俺がなんの役に立つのだろうか?

 道中の賑やかし程度にしかならないかもしれない。


 慣れないこと初めての街、不安しかない。


 だけど、ミヤビの提案に少し胸が高鳴っているのを感じている。


 誰かにこんなに頼られるなんて随分と久しぶりだったし、さらに俺は今やひとりのクランのリーダーだ。


 非公式ではあるが、言わばこれが銀ビールにとってはじめての依頼ってやつじゃないだろうか?


 自分たちのためじゃなくて、誰かの為のクランにしようと誓った。

 誰かの役に立って誰かに喜ばれて、優しいクランにしよう、そう決めた。


「……ちょっと、考えてもいいか?」


「もちろん」


 とは言うがなんとなく答えは決まっている。


 知らないことから、不得意なことから逃げてはダメだろう――


 何かが始まりそうな予感。


 長く止まっていた時間が少しずつ動いているような、そんな気がしていた。



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