第11話 拾ったのは黒虎の幹部

『黒虎のミヤビ』


 彼女が黒虎に入団したのは、確か三年くらい前のことだったと思う。


 そして俺がミヤビの存在を始めて知ったのは当時の冒険者新聞に、シャーロットがシークレットスキルを会得したという記事のように『十五歳の少女 黒虎入団へ』と一面を飾ってたのを見たことがきっかけだった。


 数あるギルドの頂点に君臨する黒虎に歴史上最年少で入団したミヤビが名をあげ、幹部と呼ばれることになるのに時間はかからなかった。理由は単純、世界でただ一人の攻撃性魔法スキル『大魔道士』を会得しているという強みと加え、彼女はアイドル性を兼ね備えていたからだ。


 輝く銀色の髪と抜群のスタイル、整った顔立ちと歯にモノを着せぬサバサバとした性格。そして魔導士の概念を壊す『ローブを着ない』派手な出で立ちは、いっとき女性冒険家の間で流行化したことだってある。ミヤビに憧れる女性冒険家はとても多いのだろう。あの控えめなシルクでさえミヤビに感化されたのか「スカート(短い)で冒険に行ってもいいか?」と真似しようとしていたくらいなんだから。


 そんな超有名人は今、目の前で全裸を晒し眠っている。

 

 しかも耳と尾は獣のままの姿で――


 猫が人に変わりそれが黒虎の幹部だった、平々凡々な人生を歩んできた俺に重なったサプライズに何から考えていいのか情報量が多すぎてしばらく石のように固まっていた。それから一時間程、何ができるわけでもなく少し落ち着きを取り戻した俺はぼんやりとミヤビのことを眺めている。


 夜も完全に明けてしまったが、眠気はとうに消し飛んでいた。


「――なんだろうな、ほんと」


 言うと、銀色の猫耳が音を捉えたのかぴこぴこ動く。眠ったままでも外敵から身を守るための動物的な本能ってやつなんだろうか。たまに揺れる尻尾も合わせて見ながら、――こういった仕草は猫そのものだな、と思う。


「獣人なんだ……な」


 獣人について、正直おれもあまり詳しくは無い。

 でも確かに言えることは獣人は既にこの世界には存在しないとされている種族だということ。しかも、姿を消したのは百年以上前の話だ。


 歴史上、数百年も昔は人間も獣人も同じ社会で生きていたという。種は違えど共存し合い、文化の発展や今の社会を構成する礎になったとかなんとか。でも、そんな共存関係にあったはずの獣人は歴史の表舞台から姿を消さざるをえなくなってしまう。どこかの国の王族だか一部貴族の阿保な思想によって獣人はモンスターであると定義づけられ、共存関係は一気に崩壊し血を血で洗うような酷い争いが始まってしまったからだ。


 結局その争いを制したのは人間――

 残った獣人は人ならざる存在、モンスターとされ酷い差別や迫害を受けることになる。そして一人残らずその姿を消す。


 言い方を変えれば俺たち人間が獣人を滅ぼしてしまった。


 それから長い時が経った今、獣人の迫害や差別の歴史は繰り返してはいけない過去の過ちとして、俺なんかが知れるほどには語り継がれている。でも偉い学者さんが論じ合っても結局のところ獣人が人間の一種なのか、それとも人ならざるものなのか、明確な答えは出ていない。


 なんでも人間には猿から進化してきたというルーツが証明されているが、獣人にはそのルーツが無い。モンスター同様に突如湧き出した、言わば『創り物のような存在である』という当時の迫害を煽動した奴らの言い分を覆す根拠が示せていないというのが大きな理由。


 俺が知っているのはこの程度。


 だけど例えば今誰かに、獣人は人かモンスターかどちらだと思う?

 と聞かれたとしても俺はなんだっていいだろうと答えるだろう。


 百年以上前のことなんかは知らないが、今目の前で寝息をたてている子はただの可愛い女の子にしか見えない。整った綺麗な顔にただ猫の耳と尻尾がついているだけ、ただそれだけ。


 でも、世界はそれをどう捉えるのだろう。

 もし冒険者新聞の記者が今の状況に遭遇したのであれば、出世は間違いなしと感極まり失神するほどの大事件なのかもしれない。


『黒虎のミヤビは獣人だった!?』『宵越しの珍事、猫と全裸のミヤビ!』


 夢想するキーワードに『獣人』と紐づいているのに気づき、自分に対してちょっとした嫌悪感を抱く。


 この子が獣人だったとして、今までそんな情報が出回っていないことから察するに、正体を隠し必死に生きてきたんじゃないだろうか? 辛い思いをしてきたんじゃないだろうか? そう考えると言わないまでも好奇の視線で彼女を見てしまった自分が情けない。


「お前もなにやら訳ありなのかもな」


 俺が言葉を発するたびに、ピコピコと動く耳はやっぱり可愛い。

 うん、獣人だろうがなんだろうがなんだっていい。そう、それでいい。


 気持ち良さそうなモノが近くにあると、人間は直感的な行動をしてしまうみたいだ。目の前で動く柔らかそうな耳はさぞ手触りが良いのだろう、ちょっとなら良いだろう、触ってもいいだろう、と軽く撫でてしまった。


 上質な綿に触れたときのような軽く滑らかな手触り。


 ちょっとクセになりそう。

 

 もう少しだけ、もう少しだけ、と耳を指でこねくり回していると尻尾もふりふりと動き始める。


 尻尾はどんな手触りなんだろう。

 きっと耳以上にふかふかに違いない。


 手を伸ばし、動く尻尾に手を伸ばす。

 

 ――どうやらそれが間違いだった。


 本能がそうさせたのか、反射的なものか分からないが尻尾に手を出した途端、気持ち良さそうに閉じられていた瞳が大きく見開かれた。

 

「うあ゛っ!?」


「ひぇっ!」


 何事かと発せられた言葉は、猫のような「にゃん」でも女の子のような「やん」でも無かった。ドスの効いた低い叫び声をあげられ俺も真後ろにすっころぶ。


 目を見開いたミヤビ。


 穏やかで気持ち良さそうな表情から一変、鋭い眼光が瞬時に俺に向けられる。

 獲物を仕留める前の大型動物のような、子を守る出産後の母熊のような、殺気をはらんだ眼。先ほどまで大人しく俺に撫でられていた耳は天に向かって真っすぐに立ち、尻尾の毛は逆立って二倍近くに膨らむ。


 今にも飛び掛かってきそうな殺気に、落ち着きを取り戻していたはずの俺の頭が再びパニック状態に陥った。


 流石黒虎の幹部というべきなんだろうか。ゴブリンオークの姿を見たあの日でさえ、ここまでの恐怖を感じてはない。全身の血が途端に冷えきる感覚に吐き気さえしてくる。


「あのっ……ミヤビ……さん。俺は別に何もしていない……た、たた助けただけだ……」


 一歩説明を間違えれば今にもやられそうな気配が漂う。


 怖い、とても怖い。


 でもおかしくない? 別に俺が何かをしたわけではないし、むしろ助けた側だ。

 猫に恩返しされるのでは無く命をとられるのは絶対に御免だった。なんとか彼女が今の状況を正確に理解できる説明を必死に考える。


 でも、うまく声にならない。


 全裸なことに気付いているのかいないのか、彼女にとっては目覚めたら生まれたての姿の自分と目の前にいるのは見知らぬ男。状況を把握しようとしているようで、身体だけは俺に向けたままミヤビは視線だけを左右に散らす。


「あんた、だれ」


 ミヤビの第一声目は震えるほどに冷たい声。

 ミヤビ好きには堪らないご褒美なのかもしれないが、嬉しくもなんともない。

 まじで怖い。

 

「お、おれの名前はジーク……君が凄い傷を負ってたから」


「その、ちょっと説明を……」俺が言いかけた時だった。


 行動を起こそうと考えていたのか、じりじりと体勢を変えていくミヤビの手が自分の膨らんだ尻尾に重なり元から大きい目がより見開かれる。


 そして彼女の身体が大きく跳ねた。

 ベッドが軋み、ほこりが舞う。


 ――やばい、殺されるかも


「――だから助けようとしただけだってばあ!」


 突然のアクションと恐怖で反射的に身構える俺。

 黒虎の幹部とやり合うイベントなんてまじで要らない。

 肝心なときに『創造』は何も発動する気配さえないし、全く持って最悪。

 超回復を使おうにも即死したら意味をなさない。


 てんぱりすぎて、慣れ親しんだ鑑定スキルを発動してしまった。


 火事場の馬鹿力でなんとかなればいいけど、鑑定スキルじゃ万が一にもこの窮地から俺を救ってくれることはないのに。


 ああ、終わったかも。


 一瞬走馬灯が見えた。


 生まれ育った村のこと、冒険者として初めて倒したゴブリンのこと。オラクルの街、踊る珊瑚礁のエリーダさんの笑顔、生エール、仲良かったころのメンバーたちの思い出。


 ――数秒の間


 身構え恐怖に慄いた俺とは対照的にミヤビがとったのは襲い掛かってくるわけでも、スキルを発動させるわけでもない予想外の行動だった。

 

 警戒心全開の顔から一変。

 血の気がひいた青白い顔色に変わっていく。


 そして自分の尻尾を「なんでここにあるの?」と、まるで信じられない物を見るかのように凝視し始めると震え始めた。まるで俺のことなんて一瞬のうちに忘れてしまったかのように一点を見つめている。


 赤子が泣き出す前のように顔が大きく歪み、膨らんだ両耳を押しつぶすように隠し身体を小さく丸めたのだった――


 人に慣れていない小動物のような反応。

 先程までこちらが狩られる側だったのが、逆にこちらが狩る側になってしまったみたいだ。


「あの……だから俺は……」


「痛いことしないで! 痛いことしないで! 痛いことしないで! ごめんなさいごめんなさい! ごめんなさい!」


 突然の叫び。

 理解出来ず、かける言葉が見つからない。


「もう痛いのは嫌なの! 嫌なの! なんでもしますなんでもしますなんでもします……だから……痛いことしないで」


「いや、だからなにもしないって……」


「嫌なの! もう嫌なの!」


「あの、落ち着いて……おれは君になにもしないから……」


「ごめんなさいごめんなさい」


 俺の弁解虚しく、ついには泣き出した。

 その様子に戸惑う。


 冒険者新聞で何度もインタビュー記事が載っていたが、高飛車で高圧的な彼女の印象とは全く違うものだ。今だって、昨日だって「ありえねー」とかなんとか不機嫌そうに言ってたじゃないか。黒虎の幹部としてSランクモンスターと何度もやりあってきたんじゃないか。


 そんな強大な力を持つ彼女。

 今はただのか弱い女の子にしか見えない。


『――鑑定終了』


 咄嗟に発動させた役に立たない鑑定士スキル。


 無機質に結果だけを表示している。


 鑑定物:モンスター

 レベル:不明

 部類 :混合種

 組成 :不明


「ミヤビ……」


 命乞いをするようなその様子を前に、何もすることが出来ずにただ立ちすくむ。



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