第9話 交換したのは死にかけの猫
「クラン立ち上げの書類一式確認できましたのでこれから正式な受理まで数日お待ち下さいね。ゴホンッ、ジークさんクラン立ち上げおめでとうございます」
ギルドセンターのお姉さんの笑顔を見るなんて、随分久しぶりな気がする。
空瓶を売った予想外、いや奇跡的な収入のおかげで俺はクラン立ち上げ手続きの一切を完了することが出来たのだった。
ナマビールありがとう!
ナマビールありがとう!
謎のお姉さんはもっとありがとう!
何度もナマビールと黒ローブのお姉さんに感謝する。
ナマビールがもたらした恩恵はとても大きなものだった。
昨日得た金貨三枚をその日のうちに換金所に持って行くと、相場があがっていたのか三枚合わせて三十一万ゼルでの換金となった。三枚の金貨は札束に変わり、その分厚い束を懐にしまうとなんだか自分が只者ではない気がしてずっとドキドキしていた。
大金を持つと調子にのるのは人間の本分のようで、今日は豪勢にいこうか、少し良い宿でも取ろうかなんて早速悪魔の誘惑をうけたが、グッと堪えてギルドセンターに直行した。
これからなにかと入用も増えるだろうし、無駄使いは決して良くない。
ギルドセンターを出て、渡された申請の控えを眺めてにやける。
『 登録クラン名 銀ビール』
うんと悩みはしたが、俺を二度も救ってくれたナマビールの名前をクラン名に入れることにした。一度目は俺の命を救い、二度目は俺の冒険者人生を延命してくれた言わば命の恩人? だから。
そして瓶の買い主である女性のローブについていた、煌めく銀色の糸がとても印象深かったので、その二つを掛け合わし『銀ビール』と命名したのだった。
いわばナマビールとお姉さんの混合。
あのときのドラマチックな経験も恩も、絶対に忘れないようにしなきゃ、そんな思いが詰まっている。
実は『 銀 』と色をつけ足したのはもう一つの理由も関係している。
それは、色が名についたクランは繁栄していくというのが俺たち冒険者の中でジンクスとして言い伝えられているから。
Sランクの黒虎だって『黒』
他の有名クランでも『白の騎士団』『狩猟団青犬』なんてのもあったりするくらいだし。『銀』とついただけで『ビール』はあまりかっこよくは無いかもしれないが、俺はこの名前をなんだか気に入っている。
「俺もクランマスター、もといリーダーってやつか、ひとりだけど」
マスターとかリーダーというとなんだか照れ臭い。
うん、極力名乗らないようにしよう。
「あれだけ夢見ていたのになあ。考え方を変えればこうも簡単に夢は叶うもんだな」
とても不思議な気分。
昔は漠然と「クランを立ち上げて有名にしてやろう」なんて事ばかりを考えていた。だけど自分の能力の低さに自信を持つことができず、自分にはまだ早いまだ早いと思っているうちにいつの間にか「もうダメだ」と諦めてしまっていた。
それが今はどうだろう?
クランが有名になんかならなくてもいい。
自分の冒険者人生のケジメをつけるためだから頑張らなくてもいい。
そう目的を変えてしまえば簡単に夢は果たせるのだと知った。
手段の目的化と言ってしまえばそれで終わってしまうかも知れないが、クランを立ち上げたいと思っていた夢はきっかけひとつであっけなく叶ったのだ。
まあ俺の場合、そのきっかけは恋人を寝取られてクランを追放されたっていう情けない話だから決してカッコ良くはないんだけどさ。
「さて、銀ビール立ち上げの初日くらいは祝いをしなきゃな。まあ、ひとりだけど」
――ひとりだけど
と自虐気味にいうのがなんだか可笑しくて吹き出す。
側から見れば気持ちの悪いやつだが今日ぐらいは許して欲しい。
ひとりだけでの立ち上げ会は街の歓楽街にある、飲食店で行うことにした。
店を決めたきっかけは店に掲げられた店名が『浮かぶ珊瑚礁』だったからだ。
オラクルの『踊る珊瑚礁』と酷似したネーミングが胸を刺した。
どちらがどちらを真似したのか、たまたま似てしまったのか理由は知らないが、珊瑚礁をどうにかしたい人達が多いようだ。
店のドアを開けた途端にエプロンを身につけた可愛らしい少女が元気いっぱいに出迎えてくれた。一日の疲れなんてふっとびそうなほどに愛らしく純な笑顔。
「いらっしゃいませ! えっとお一人様でしょうか?」
「ええ。ひとりなのでカウンターでも構わないよ」
「今の時間暇なんで、テーブル使っちゃってください」
少女の言うように店内には空いたテーブル席がいくつか余っていたので、この時間は暇というのは本当のことなんだろう。
であれば気遣い無用。
俺は軽く礼を言って、促されるままテーブルについた。
「お飲み物はどうしましょう?」
「えっと、とりあえず生エールで」
メーテルに来てから四日目になるが、生エールを飲むのも、まともなご飯を食べるのも随分と久しぶりだ。
極限状態で過ごしてきたせいか空腹にも耐性がついていたが、厨房から香ばしい匂いに刺激され俺の空腹耐性は音を立て崩れ落ちた。
「とりあえず生エールおまたせしましたっ!」
少女が運んできた泡立つ生エールを持ち、誓いの言葉を口にする。
クランを立ち上げたら誓いの言葉、即ち今後の活動方針、信念を口にするのが習わしだからひとりきりでも実行しなきゃいけない。
あまり人に聞かれても恥ずかしいのでぼそぼそと小声ではあるけど、大きく息を吐いて誓う。
「銀ビール設立おめでとう。銀ビールは全員が力を合わせて困難を乗り越えていけるような、そんな組織にしていこう。絶対に仲間を裏切らない、蔑まない、虐げない、そんな優しいクランにしていこう。じゃあ、乾杯」
乾杯といっても誰とも杯を交わすことは無い。
円形の広い卓にただ俺ひとり。
たった一人のお祝い会。
言い終わり、生エールを一気に流し込む。
――ぬるいけど、やっぱり美味い。
ナマビールとどちらが美味い? と聞かれたとして、環境が違うので答えにくいものの、やっぱり俺は生エールの方が好きかもしれない。ぬるいのが残念だけど染み渡るアルコール感は生エールの方が優秀だ。
注文した料理がテーブルへ運ばれてくるのと同じくらいの時間、満員とまではいかないが店にも活気が出てきた。
店にくる人は冒険者ギルドの面々のようで、そこらへんはオラクルの「踊る珊瑚礁」となんら変わりはないようだ。
一日の疲れを互いに労い談笑を交わす冒険者たちの姿。
豪快に酒を飲み笑い仲間と過ごす楽しい時間。
やっぱりみんな幸せそうだ。
卓に並ぶ料理に手を付ける。
魚の街だけあって魚介系の新鮮さはオラクルよりも良い。甘味が強くて、生臭さもなくて身の歯ごたえは抜群だ。
「ああ……美味いな」
料理を口に運び、生エールで流し込み、息をつく。
――なあ、美味いだろ?
ほら、こっちも食べてみろよ。
マカラス飲み過ぎだってば。
おいおい、シルクそんな持ち方してたらこぼすぞ。
ほらな、言わんこっちゃない。
それで明日はどうする?
そうやって笑い、言葉を交わす仲間はもういない。
一人きり、一人だけの時間。
今までであればシルクがマカラスが、そして沢山のメンバーたちがここにいた。今日のゴブリンほんとに気持ち悪かったですねーなんて、シルクが言わなさそうなキツいこと言ったりして、みんながそれに笑って。
来週はどんな依頼を受けようかとか。
ライバルクランに負けないようにみんなで集めた情報を話し合ったりとか。
誰かの色恋沙汰に皆でアホなアドバイスを出したりして、さ。
――だめだだめだ
そう考えてしまったのが、間違いだった。
今まで必死に堪えてきた辛さがこみ上げてきてしまった。
気を緩めてしまえば無様にも泣いてしまいそうだった。
これからどうなるかは分からないが、とにかく俺は今ひとりだ。
何をするにしても一人で乗り越えて行かなきゃダメなんだ。
いかんいかん。まずいまずい。
女々しく考えるのはこれで終わりにしよう、何度もそう思ったはずだ。
込み上げた辛さを誤魔化すために俺はアルコールのキツい酒を何杯も何杯も飲み干した。
◇
たった一人での立ち上げ祝いを店が閉店する時間までやってしまった。
やっていたと言っても半分は寝てたんだけどさ。
いつのまにかテーブルに突っ伏して爆睡していたところを「閉店ですよお客様」と店主と思わしき男に起こされた。飲んでいる最中に寝ていたとなればすぐさま追い出されてもおかしくないのだが、閉店までそっとしておいてくれたのは店主の優しさなんだろうか。どうやら珊瑚礁系列のお店はみんな人が良いようだった。
会計を済まし店から出るとすでに深夜。
今日は天気も良かったので雲ひとつなく月明かりで辺りは程々に明るい。そして夜風にあたっても寒くはなく酔い覚ましには丁度いい気温だ。
もつれる足を必死に動かしながら宿屋を目指して歩く。
「飲み過ぎた……明日は地獄だろうなこれ」
昼間は人で賑わっていた大通りも、流石にこの時間帯は閑散としており、街の外れから聞こえる犬の鳴き声がよく響く。
メーテルに来てからまだ数日ではあるが、なんとなく街の構造も分かり始めてきた。親父からもらった見取り図を広げなくとも宿屋までの最短の道が頭に入っている。
宿屋の通りに出るはずの、細い路地に差し掛かる。
建物と建物の間にある木箱などが散らかった雑多な路地。
陶器の破片でも散乱しているのか歩くたびに破片を粉砕しバキバキと音がなる。
「夜遅くにうるさい」なんてクレームでも入れば面倒だった。半分閉じた瞼を必死に持ち上げ、出来るだけ静かに道を進んでいく。
―― 空気が弾けるような乾いた音
静寂が切り裂かれたのは突然のことだった。
決して俺が木箱に突っ込んで破壊音を立てたわけでは無い。
頭上から、何かが転げ落ちてくる。
それは木箱の真上に落ち、寝つきの良い子供でも途端に目を覚ましてしまいそうなド派手な音を立てた。
突然のことに「うおっ!?」と叫び声が出てしまう。
「え……なに、何が落ちてきたんだ……?」
アルコールで火照った頭が途端に冷静さを取り戻す。
代わりに心臓に火がつき、どくどくと大きく弾む。
「ちょっと、怖いじゃん……なんだよいったい……」
路地は月明かりが届きにくく暗いので、遠目からでははっきりとは分からなかったが恐る恐る飛来物に近づくと、その正体が何かを認知できた。
それは、苦しそうに息を吐く銀色の毛をした猫。
舌はだらしなく垂れ下がって呼吸は荒くとても苦しそうだった。
「落ちちゃったのかよお前……」
建物の屋根まで数メートルはある。
猫の身体のサイズからすると結構な高さ。でも猫は着地がうまいんじゃなかったかな、着地に失敗するなんて間抜けな猫だなんて考えながらも猫に手を伸ばす。
「大丈夫か?」
抱えるようにして猫の胴体に手を回すと、嫌に冷たい感触。
手のひらについたそれを見てみると、べったりとした血がついていた。
慌てて猫を抱えたまま月明かりの照らす通りまで出ると、猫がかなりの重傷であることを知る。
落ちただけではこうはならないだろうと思うような深い傷。
出血が酷く、銀色の毛がどす黒く染まり身体の半分以上は血に塗れていた。
詳しくは分からないが鋭利な物で切り裂かれているような傷にも見える。
他の動物と喧嘩でもしたのか、もしかしたらメーテルの悪ガキたちによって身体を切られたのか分からないが苦しげに呼吸を繰り返す猫がとても可哀想に見えた。
「可哀想に……誰がこんなこと……医者に……医者に連れていかなきゃ……」
医者に、と思ったが時間が時間だ。この時間から診察をしてくれる医者なんていなさそうだし、しかも相手は猫だ。明日にしてくれ、なんて門前払いをくらうのが妥当だろう。
どうしようどうしようと考えていると、荒い呼吸を繰り返していた猫が血を吐いた。荒かった呼吸もだんだんと小さく細いものへ変わっていく。
――どうにかしなきゃ
どうする、どうすると考えても良い案なんて浮かんでこない。
今まさに命を落としかけている猫をただ茫然と見ているだけしかできない。
「俺に……回復のスキルがあれば……」
鑑定士のスキルなんて使い物にならない。
俺にシルクや、そしてマサハルのような回復スキルを使うことができればこの猫だって助かるかもしれないのに。
猫一匹とはいえ、目の前で苦しんでいる誰かを助けることも出来ない自分の無力さが憎い。
マサハルがゴブリンの巣でメンバーを治癒した時のあの光景が脳裏に蘇る。深い傷を一瞬で治癒したあのスキル。
やつは最低最悪の野郎だけど、今あいつの力がここにあれば……アイツみたいなすごいスキルがあれば――
『交換しますか?』
「……え?」
俺が意図したわけでもないのに、突然開くステータスメニュー。
直接頭に響く無感情な声。
『創造』スキルの真下に表示される文字がチカチカと点滅を繰り返している。
「……交換ってなにと……なにを……?」
『交換しますか?』
俺の問いかけは虚しく独り言で終わる。
相変わらず文字はただ点滅を繰り返すだけだ。
時が止まったかのような感覚。
初めて目の当たりにする『創造』の発動。
今まで何度『創造』と念じてきても何も起こらなかったスキルが、今まさに発動されようとしている。
それによって何が起こるのかわからない。
でも今はただ猫が助かればそれでいい。全く意味が理解できないものの、今このタイミングでスキルが発動しようとしているのであれば何かが起こるかもしれない。
その望みにかけるしかない――
「交換……する……」
口で言えばいいのか、念じればいいのか分からないが俺は震える声で『交換』を了承した。
そして数秒の間。
点滅を繰り返していた文字が赤く光る。
――パチン
何かが頭の中で弾けた。
それは一瞬のこと。
『認証』と文字が浮かんだ後、ステータスメニューにあるスキルが無機質に追加されたのだ。華々しい音楽がなるわけでも天から光が降り注ぐわけでもなく、さも元々そこに存在していたかのように、ずっと俺の一部であったように。
「……これ……マサハルの……」
生唾を飲み込む。
ステータスに追加されていたのは『超位回復魔術師』
あの日マサハルのステータスメニューで見たモノと全く同じもの。
自分に何が起こったのか、一瞬のうちに理解することができた。
――『超位回復』が使える
口では説明できないが、自分が鑑定士スキルを使う時のように漠然とした「スキルが使える」といった実感が全身に溢れていた。
高鳴る心臓がやけに煩い。
酔いすぎて夢でも見ているのでは無いかと錯覚さえしてきた。
冷たくなってきた猫の身体に手をあて『超位回復』と念じると、歩くように、手をにぎるように、口をひらくように、極自然にスキルが発動する。
あの日見た、緑色の柔かな光が両手からあふれ出し猫の身体を包んでいく。
命を取り戻していく猫の身体に触れながら、
誰かを癒すのってこんなに気持ちがいいんだと、そう思った。
こんな気持ちになるのも初めてのことなのに、なんだか昔からこんなことをやってきたような既視感があった。
◇
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