第8話 瓶と黒いローブの女と幸運

 クランを自分で立ち上げてみようか、そう思ったのはメーテルに滞在して三日目の夜のことだ。


 きっかけはとても単純で、ギルドセンターに何度足を運んでも俺を受け入れてくれそうなクランが見つからなかったから。しかも今の手持ち金は二千ゼルしかない。


 クランを立ち上げるといっても、それは冒険者を志した頃のように夢や希望に満ちたものではない。多少のワクワク感はあるが、どちらかというと最後の悪あがきに近い。


 自分を受け入れてくれそうなクランが無ければ作ればいい。

 ただ単純にそれだけの理由。


 メーテルについてから、これまでのことこれからのことを色々考えた。

 

 シルクのことやオラクルでの出来事、今までの冒険者人生を振り返り現状と照らし合わせると「冒険者人生もそろそろ潮時かな」と思うようになった。


 今までどんなに辛いことがあっても「村に帰る」なんて選択肢は出てこなかったけど、いつまでも現実から目を背けていい歳でもない。


 であれば冒険者人生にケジメをつける為に、子供の頃から夢だった自分だけの組織を立ち上げよう、それでダメなら村に帰って冒険者からは一切足を洗い、なんとか一人生計を立てて細々と暮らす、そう覚悟を決めた。


 明日の朝、ギルドセンターで立ち上げを申請しよう。

 その足で依頼を受けてゴブリン狩りにでも行けば、先ずはその日暮らしからでも生活は維持できるだろう。






「へ? クランの立ち上げにそんなお金かかるんですか?」


「え? ええ、はい。預け金は一ゼルからで大丈夫ですが、公正証書の作成に十万ゼルかかりますね。あと印紙の購入に五万ゼルかかるので最低でも十五万ゼルです。それで受理から正式な立ち上げまで最短で三日はかかりますよ?」


 多分俺は今とても間抜けな面をギルドセンターのお姉さんに向けていることだろう。

 愛想笑いをしようとしても恥ずかしさからぎこちない笑みしか作れない。


 この数日俺の相手をしてくれている担当のお姉さんの顔が、次第に曇っていくのが分かる。


 きっと、全部バレてる。


「えっと、ジークさん? 大丈夫ですか?」


「え!? あっ! ええ! 大丈夫ですよ! ええ! 勿論!」


「それで、立ち上げは申請されますか……?」


「あっ……ちょっと出直してきます……」


 根本的に金が無いんだから申請も立ち上げもできるはずがない。書きかけた書類を慌ててお姉さんに返すと、逃げるようにしてギルドセンターから飛び出した。


 クランを立ち上げるという決心。

 自分の人生に区切りをつける為に覚悟を決めたはずなのに。

 

 現実を突きつけられた俺の覚悟は五分で砕け散ったのだった。

 いや砕けも散ってもいない、ただ叶わなかっただけ。


――最悪な気分


 なんて愚かだったのか


 自分でクランを立ち上げる決心なんて糞食らえだ。

 預け金一ゼルあればOKなんて、誰かから聞いた情報を鵜呑みにしてしまっていた自分が本当に愚かしく思える。


 普通に考えればクランの立ち上げがポンポンと毎日のようにできるはずないじゃないか。俺みたいに思いつきで立ち上げようとする人間なんて山ほどいるだろうし、無条件でクランが作れるなんてあり得ない話だろうに。


 自分のアホさ加減、いかに無知であったのかを思い知らされた。

 

「ああ……終わった……」


 天を仰ぎ大声でバカヤローと叫びたい気分だ。

 勿論自分に対してさ。


 そして所持金は残り千ゼル丁度。

 こんなことなら朝飯は抜くべきだった。

 

 今の手持ちじゃ宿に一泊することもできないし、村に帰るまでの金にもならない。

 クランに所属していないのでゴブリン狩りなどで報酬を得ることもできない。

 つまり八方塞がり。

 無職って、怖い。


 このままではメーテルで浮浪者になるか無謀に街を飛び出して野垂れ死ぬかのどちらしかない。


「残りの金でどうにか、どうにかならないかな……いや無理か……」


――大トカゲの財布があればな


 やっぱりあれを無くしてしまったのが致命的だった。

 売ってしまえば村に帰るまでの費用くらいにはなっただろうにさ。


 財布の中には千ゼル札が一枚。

 その千ゼルでどうしようか考えていると、ふとヒモで腰に括り付けたナマビールのガラス瓶が目についた。


 空瓶は今や水筒代わりに使っている。


 これ、売れないのかな。 


 ただの思いつきでも、俺の手持ちで売れる可能性が高いのはこのガラス瓶しかなかった。


 手に取り日にあて眺めてみるが、滑らかな曲線に精巧な作りをしているし、更に言えば異国の物。

 たしか異国からの漂流物はコレクターに高値で売れる場合があると聞いたこともある。中身の入っていない空き瓶なので価値があるかは分からないが、この際、多少の金になればなんでもいい。


 最後の望みにかけ、俺は古物商に話を聞いてみることにした。





「ほお。これはいいガラス使ってますねえ。そして技術も良い。どこで見つけた物ですかな?」


 白髭を蓄えた古物商の店主が唸る。

 店主のその反応を見て心臓が大きく弾んだ。

 

 まさかまさかとは思っていたが、この感じいけるかもしれない。


「知人から土産として貰ったものでね。どこの国の物かはわからないそうなんだけどさ。かなり珍しいモノだって聞いてるよ」


 落ちてた、なんて言えるはずもないのでとにかく出まかせを話す。

 あまり大袈裟な嘘はボロが出てしまいそうなので、どうとでも取れるような言葉を選んだ。


「元々は何が入っていたのですかな?」


「詳しくは知らないけど、お酒? だったかな。なんでもナマビールとかいう……知人からはそう聞いている」


「ほう。酒、ですか……生エールは知っておりますが、ビールというのはわかりませんなあ……」


 ふーんと店主は険しい顔で上下左右をまじまじと眺め、時折瓶の底を指で弾いたりしている。長く培われた経験から編み出された鑑定技法なのかもしれないが、側から見るだけでは何して、何を見定めているのかよくわからない。


 でも、今は店主の動きがなんだってかまわない。

 ただただ空瓶が少しでも高値で売れますようにと、ドキドキと祈るだけだった。


「うーむ、なるほどなるほど」


 しばし空き瓶と睨めっこをしていた店主は納得したように大きく頷く。

 そして手元にあった紙にサラサラと査定した金額を書き出した。


「こちらの金額でいかがでしょう?」


 一瞬言葉を失う。


――ありえない


 提示された金額は俺の想像を遥かに超える物だったから。

 あまりの衝撃に空いた口が塞がらない。


「この金額ではご不満ですかな?」


「よ……よ、四万ゼル……」


 たかが空き瓶ひとつに四万ゼルなんて信じられない。

 いや、嬉しいのは嬉しいのだけど、この瓶にそんな価値があったかと思うと少し怖くなった。


「いやはや、私もこれが何かはわからないのですがね。とにかくこの瓶の出来が良い。酒瓶のコレクターも王都には多々いると聞きますのでこちらの金額は妥当かと」


「そ、そうなんですか……」


 こんな酒瓶を買おうとするなんて、酒瓶のコレクターってやつは変人が多いのだろうか。

 

 よろしければこちらに、と店主は契約書を差し出した。

 署名しようとするが手が震えてしまって上手く名前が書けない。


 四万ゼルあれば馬車を使って村に帰っても半分はお釣りが残るし、二週間はメーテルに滞在することだってできる。


 俺の今までの小遣いが月一万ゼルだったことを考えると驚くほどの大金だ。


 一瞬「やっぱ二週間メーテルに滞在してギルド募集を待とうかな」なんて情けない考えがよぎったがすぐに拭い捨てた。


 冒険者であることはもうやめるんだ。

 四万ゼルは村に帰るまで、少し贅沢するために使おう。

 五年間冒険者としてやってきた自分を労う為に使おう。


 なんとか悪魔の誘惑を拭い去り、ようやく署名欄にペン先を落とす。


「素敵な瓶ですね。こちらはあなたの?」


 透き通った声。

 どこかで嗅いだ甘い匂い。


 突然真後ろから声をかけられ「はい!?」と声を上げてしまった。


 振り向くと、真っ黒なローブを身につけてフードを深くかぶった女性らしき姿。

 女性らしき、というのもフードが顔を隠すようにしているので声で判断するしかなかったからだ。背丈は俺よりも低くローブの上からではあるが華奢な体躯をしているのがみて取れる。


「突然すみません。そちらの瓶が素敵だなと思いまして」


 ローブの下から出てきた細い指先がナマビールの瓶に向けられる。


「それで、こちらの持ち主様はあなたかなと」


「ええ、俺が今から売ろうかと思っている空き瓶ですが」


「そうですか。それは良かった」


「それで……どうしましたか?」


「すみません。差し支えなければその瓶を私にお売り頂きたいのですが、いかがでしょう?」


「へ?」


 突然の言葉に驚いた。

 驚いたのは俺だけじゃないようで、店主も「待った、待った」と声をあげる。


「ちょっと、お客さんはもう売るつもりでいるんだ。商売の邪魔をされちゃ困るよ。こちらも鑑定までしたんだからさ。鑑定した時間も無視して横入りなんてルール違反ですよお客さん」


「ルール違反? まだこの方はお売りになってないように思えますが」


 視線の動きは分からない。

 けれど彼女はきっと署名欄が空白になっている契約書に視線を流しているのだろう。


「今まさに、お客さんは署名をするところだったんだ。あんたが声をかけるから署名が中断しただけさ」


「そうですか、ではこうしましょう? 鑑定した時間を無視した、というのであれば私があなたに鑑定料とやらをお支払いします。そして瓶は私がこちらの方からこの空き瓶を買い上げます。それではいかがでしょう?」


「ほお? そこまで言うならそれでも構いませんよ。では鑑定料として六万ゼル、お支払いいただけますかな?」


 店主は蓄えた口髭を撫でながら、驚くべき値段を出した。


 ――いくらなんでもふっかけすぎだ


 この瓶の買値より高値じゃないか。


 商魂に口を挟むのは申し訳ないが、流石にそれは酷いだろう。


「ちょっと、店主さんそれは」


「ええ、構いません」


 俺が口を挟むのを遮るように、彼女は懐から一万ゼル札を六枚店主に差し出した。


 まじかよ、何が起こってるんだ?

 たかが空き瓶ひとつだぞ? 

 

 空き瓶をめぐる戦いが少し怖くなってきた。


 店主は怪訝そうに差し出されたお金を受け取るとゼル札の枚数を確認し、日の光に照らし見つめる。指でこすり厚みを確認し、手持ちの一万ゼルと見比べたりしている。


 どうやら偽札と疑っているみたいだ。


 しばらく独自の偽札鑑定。

 結果は白だったようで店主は満足そうに頷くと「毎度」と頭を下げた。


 交渉――成立。


「そちらの空き瓶、私にお売り頂けますね?」


「あ、ああ……構わないが……」


「ありがとうございます。ではこちらで足りますか? もし不足であれば仰ってください」


 差し伸ばした手に独特な重み。

 上品に輝く金貨が三枚乗っかった。


「……はあ!?」


 またしても俺より先に声を上げたのは店主だった。


 俺に至ってはあまりの驚きに声が出ない。


 なぜなら金貨一枚の相場は十万ゼルに近い。三枚あるということは三十万ゼルだ。

 空き瓶ひとつに三十万ゼルをポンと出すなんて、到底信じられなかった。


「もちろん本物の金貨です。安心出来ないのであれば換金所までお付き合いもしますよ?」


「い、いや……大丈夫……です」


 ドキドキと激しく鼓動する心臓のせいで目眩がしそうだ。

 これはもしかしたら夢でも見ているのかもしれない。


「これでお取引成立ということで」

 

 彼女は涼やかに言うと、呆然とする店主の前に置かれたナマビールの小瓶を優しく手にとり、用は済んだとばかり身を翻す。


 翻したローブが太陽にあたって一瞬煌めく。


「あっ……あの! その小瓶は一体……」


「ただの趣味ですのであまりお気になさらず」


 瓶が買えたことが嬉しかったのか、店主とやり取りをしているときの冷たい感じではなく、いささか柔らかい口調だった。


「そう……か……あっ! あとローブに何かついているみたいだけど」


 黒いローブの肩についていたのは銀色の糸のようなもの。

 さっきから太陽の光を浴びて煌めいているのはそれが原因だった。

 せめてものお礼と思って彼女の肩を差し示すようにジェスチャーで伝える。


「え? ああ、ありがとうございます。先程ヤンチャな猫ちゃんと戯れてしまいまして。その毛では無いでしょうか? でも、教えてくれてありがとうございます」


 彼女は肩についたそれを指先で摘むと風に流すかのように宙へ放つ。

 空に何かを還すように美しく滑らかな振る舞いで、まるで演劇の主役のように見えた。


「ありがとうございました」


――ではまたお会いしましょう


「え? ごめん、またってどういう」


 俺の声が届かなかったのか、彼女は振り返ることは無く大通りの人混みの中に消えていく。人と人の間をすり抜け、溶け込むように。

 

 彼女の姿が無くなっても俺は呆然と突っ立っていた。


 なんだか夢でも見ている気分だ。


 偶然拾ったガラスの小瓶。

 一度は命を救われ二度目は俺の覚悟を繋ぎとめてくれた。


 これまでの人生で、こんなにドラマチックなことがあっただろうか?


 いや、多分ない。

 金貨を懐にしまうこともせず、強く握りしめる。


 これで、これで、クランを立ち上げることができる。

 終わりに向かうゴールになるかもしれないけど、ようやく俺はスタートラインに立つことはできる。


 第二の人生が今から始まる。


 そう強く思った。



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