第5話 逃げ出した
賑やかな夜の街を全速力で走り抜けた。
住み慣れた街、愛着の有った街。
初めて訪れた時はどこまで広がっているんだろうと思うくらいに壮大に感じていた街のはずなのに、今じゃとてもちっぽけに感じている。
それから、草原に伸びる雑な舗装をされた土の道をふらふらと歩く。
走って走って走り切った俺の肺は酸素を欲しがり心臓はバクバクと激しく鼓動している。汗にまみれた身体に夜風があたり、身体の熱を冷ましてくれた。
あのやろう
ふざけんな
ゆるさない
くそったれ
ぶちのめしたい
だけどなんで
いつから
ちくしょう
なんであんなこと
ちくしょうちくしょう
もう会えない
街にも戻らない
寂しい寂しい
だけどあいつら
ゆるさない
胸の中で怒り、疑問、悔しさ、色々な感情が混ざりあっていた。
でも街を走り抜けて街の明るい光が小さくなっていくのを自分の後ろに見た途端、猛烈な寂しさがこみ上げてきた。
もう戻れない。
もう、戻らない。
「もう……会わないんだよな」
あの街にはシルクとの思い出が詰まりすぎている。
毎週食材を買いに足を運ぶ市場も、たまに贅沢をしようと外食する歓楽地区も踊る珊瑚礁も、街を横断するように流れる小川も、全部がシルクとの思い出に溢れているから。
初めて街に足を踏み入れた時、育った村とのあまりの違いに二人で目を丸くして「大都会ですね」とシルクがわくわくとした声をあげたのを覚えている。
俺もそうだった。
大きな門、あふれる人々、洗練された街並み、筋骨隆々な男たちが退治した大トカゲを担いで歩いてる。そんな様子に、ここから俺の冒険者人生が始まるんだなーなんて感動に打ちひしがれていた。
だけど、そんな阿呆な俺とシルクが現実を突き付けられるのもとても早かった。
この街の普通の宿に泊まるだけでも俺たちの想像を超えた金額だったし、食材のひとつひとつが村では考えられない金額で売られていて俺たち二人の所持金を合わせても一週間持つか持たないか。初日から俺とシルクは衣食住の食住に大きな試練を課せられることになったから。
最初の一年はキツかった。
金は無いわ、職は見つからないわで何度村に帰ろうかと悩んだことか。
だけどそのたびシルクと二人で乗り越えてきたんだ。
生活を切り詰めて、お互い無い知恵振り絞ってさ。
味がついてんのかついてないのか分かんないような野菜のスープ飲んでさ。
それでマカラスのクランに入ってシルクとも恋仲になって、少しずつ余裕も出てきてさ。
「はは……ほんとにキツかったなぁ……あの時は……」
ふと、自分が泣いているのを知った。盛大に鼻水まで垂れてきた。鼻水と鼻血が混ざって赤いスライムみたいになって地面に落ちる。
だせえなあと思いながらも一向に涙は止まらない。
「はあ、これから……どうすっかなぁ……」
シルクにもマサハルにも、マカラスや他の連中の顔を見なくて済む場所はどこだろう。
啖呵を切って飛び出したものの何も考えてはいなかった。
でも、はじまりの街で足踏みするのはもう終わり。
とにかく次の街へ進むしかない。
今歩いている道をずっと真っ直ぐに2日ほど歩くとメーテルへ辿り着く。
行ったことはないが、俺たちの街よりも規模は大きく漁業が盛んな街だと聞いたことがある。とりあえずはメーテルに向かい、これからのことを考える他無いか、そう考えた。
財布の中を広げて全財産を確認すると擦れた札が七枚と小銭が少し。
合計で七千八百ゼル。今利用しているボロ宿が一泊千五百ゼルなので、もし千五百ゼルで泊まれる宿があったとしても食費も考えれば3日と持たない絶望的な所持金だ。
ああ、昔となんも変わんないな、俺。
ふと「こんなに金持ってたっけ?」と疑問が浮かんだ。
というのも今後のことを考えれば絶望的であることに変わりは無いが、財布の中身が意外と多かったから。
節約の為に不必要に財布に金を入れておくことは滅多に無い。
基本はシルク管理なので、用があれば都度シルクから小遣いをもらうような仕組みだった。小遣い制に不便はあるが「あれば使ってしまう」精神のもと出来るだけ節約にいそしんでいた。そんな俺の財布にゼル札がこんなに入っているなんて。
「シルク……」
あちこち擦れの目立つ黒い財布に目を落とす。ブランド物ではないけれど、大トカゲの革が使ってある上等品。使い過ぎてボロボロになって誰かに「そろそろ替えたら?」と言われても俺はとても大切に使っていた。
だって、この財布はシルクが初めて俺にプレゼントしてくれたものだから。
俺がマカラスと飲みに出掛けるのを案じてこっそり財布に忍ばせてくれたのかもしれないし、財布に金を忍ばせていればマカラスと二次会まで行った俺が帰らないと考えたのかもしれない。その真意はもはや分からないがこれ以上この財布を持っているのも辛かった。
財布から中身だけを抜き取りパンツのポケットにねじ込む。
そして、数年間どんな時も持ち歩いていたその財布を脇道にそっと置く。
冒険の時も、デートの時も、いつも肌身離さず持っていた大切な財布。
「お前に罪は……ないんだけどな。ごめんな……今までありがとな」
なんか身体の一部が無くなった気がして悲しい気分になるがグッと堪えて先へ先へと歩き続ける。
「あーあ……こんなことなら、退職金でも受け取っておくんだったな……」
ぼんやりと夜空を眺めながら呟いた。
◇
「水……水が飲みてえ……」
メーテルまであと一日の距離まで来ていた。
野宿で夜を明かし、あれこれ考えながら朝から歩き続けている。
雲ひとつない晴天に恵まれ頭の真上に上った太陽はぽかぽかと暖かい。
でも勿論気分は晴れずどんよりとした気分が続いている。
しかも今後のことばかり考えていたが、今のことを考えていなかった。
水も食料も持っていないという致命的なミスを起こしていることを気づいてもいなかったから。自分のアホさ加減に虚しくなってくる。
空腹には慣れているので一日何も食べなくとも大丈夫だろうと思ってはいたが、水が飲めないのがこんなにも辛いとは思ってもみなかった。昨日だらだらと全身から汗を流してしまったこともあり、寝起きから激しい喉の渇きに悩まされている。
メーテルまでに水を補給できる場所はなさそうで、いくら歩いてもだだっ広い草原が広がっているだけだ。花が咲いてでもいれば蜜を吸うことも出来るのだろうけど一面真緑の雑草しか生えていない。試しに雑草を喰んでみたものの強烈な苦味のせいで余計に喉が乾くことになった。
ゴクリと喉を鳴らすたびに乾いた喉が張り付き痛い。
「水……水……このご時世に水に飢えて死ぬなんて洒落にならんぞ……」
水を飲みたい頭に反して差し込む日差しから汗が滲み出る。
「ああ……生エールが飲みたい……生が……エールが……」
贅沢を言ってる場合ではないだろうが、冗談でも言わなければおかしくなりそうだった。行商人でも通りかかってくれれば問題は解決されるのだが一向に人の姿を見つけることはできない。叫んでみようか? とも考えたが乾いた喉で大声など出そうにもなく、さらには余計に喉が渇きそうだったのでやめた。
太陽の向きが進行方向に落ちてきた。
直射熱が体温を急上昇させくらくらと目眩までしてくる。
「これは、結構やばい……」
日差しから身を隠すように道から外れ草むらに倒れ込む。青臭い匂いが鼻についた。顔に手を当ててみると汗さえ出ていないのか肌は乾いてカサカサ。
身体を横にすればいくらか楽になるかと思ったがそうでも無さそうだ。酒に酔った時のように耳が鳴り、大地が上下左右に揺れているような感覚までしてきた。
このまま夜まで待つ方がいいのか、いや誰もこの道を通らなければ結局は同じだ。
少しでもメーテルへ近づかなきゃ。
乾いた身体に喝を入れ、なんとか立ち上がろうとする。だけど腕も足も、腹筋にも力が入らない。結構やばい状況。「水に飢えて死ぬなんて」と冗談半分に言ってはいたが割りかし冗談では済まなさそうだ。
水が飲みたい、水が飲みたい、水が飲みたい、水が飲みたい、水が飲みたい。できれば全身を冷やしてくれるようなキンキンに冷えた水が飲みたい。いや、贅沢は言わない。ぬるくてもいいから水が飲みたい。
人間とは面白いもので、ここまで強く願うと妄想よりも直近の実体験の記憶が呼び起こされるようだ。
直近の実体験といえば踊る珊瑚礁でマカラスと飲んだ生エール。緩いが泡の弾ける生エールが喉を通過すると、それはそれは美味い。乾いた喉の細胞ひとつひとつにぱちぱちとした泡が染み渡るような快感も味わえる。
ジョッキに入っていても良いが、瓶をラッパ飲みにするのも良い。茶色い濁った瓶に直接口をつけ、なんなら最後の一滴までそのまま飲み干すのだ。これだけ喉が乾いていたらすぐに酔ってしまうかもしれないが、無性に生エールが飲みたくなってきた。人間死の間際には口にしたい食べ物を浮かべるというが俺の場合はまさか生エールとはな。
ゴクリゴクリと喉に染み渡って弾ける泡
やや辛口の癖のある味
生エールが冷えていたら最高なのにな
寝る間際、「あ、今寝はじめた」と自分で理解できる現実と夢の境目に立たされたような感覚がしてきた。眠気、まどろみ、全身が軽い。苛立ちもストレスも、疲れも無い。ぐわんぐわんとした揺れも収まっている。
「ああ、死ぬ時ってこうなんだ」ふいにそう思った。誰かが死ぬときは寝ている時の感覚だよと訳の分からないことを言っていたのを思い出す。当時は何を言っているのか分からなかったが、今ならそいつの言いたいことがわかる、そんな気がした。
愛する幼馴染みを寝取られ、信じていたギルドから追放され、さらに脱水で死ぬ、か。
なんて情けない人生だったんだろう。
次の人生はもうちょっとうまくやりたいな。
――そう覚悟を決めた時だった。
ゴンッ! と頭に受けた痛みに眠気もまどろみも消しとび身体が跳ね起きた。
「いてえ!」と痛みを帯びたデコをさする。ふっくらとコブはできていたが血は出ていなかった。
誰かにふまれた? 叩かれた? 何か落ちてきた? とあたりを見回すが人影は無い。どうやら「何かが落ちてきた」が正解のようだ。
身体のすぐ横、草むらに埋もれるようにそれは転がっていた。太陽の日差しを受けてキラキラと光っている。
「なんで……こんなとこに……」
見覚えのあるガラスの瓶。
中にはチャプチャプと液体が波打っている。生エールの瓶のように見えた。
手に取り360°回転させてみる。瓶の造形は精密にできており、凸凹していたり歪みは一切無い。美しいほどの曲線、ここまで精密にできたガラス細工を俺は見た事がなかった。
瓶の正面には冒険者新聞のざらついた紙に異国語が印刷されている。
これもまた初めてみる言語だった。
俺はふらつく頭をおさえ「鑑定士」スキルを発動させる。今まであまり役に立ってこなかったスキルなのであまり期待はしていないが、何か安全なものであればすぐにでも口に含みたかった。
鑑定物:ナマビール
レベル:無し
部類 :飲料
組成 :水、アルコール
つらつらと頭に情報が入ってきた。生エールでは無いようだが飲料に間違いは無さそうだ。
「やった……やった……」
俺はか細い声で何度も繰り返した。
◇
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