第3話 これからも穏やかな日々が続く、そう思っていた
シルクが合宿を終えてから一ヶ月。
俺とシルクは当たり前の穏やかな日常を過ごしている。そんな変わり映えの無い毎日だけど、ひとつだけ大きく変わったことがあった。
それは、合宿から戻って以来シルクがスキルの修練にとても熱心になったということ。内向的だったシルクが街で開かれている回復士の塾に通いたいと言い出した時はかなり驚いた。
その理由はとても簡単で、シルクは合宿の成果として「回復士二級」から「回復士準一級」にスキルをレベルアップさせていたからだ。スキルの等級はCクラスのままなんだけど、スキルレベルが上がるなんてことはめったにない。だからこそシルクの喜びもひとしおだったのだろう。
俺はシルクの好きなように、と思っていた。今まで俺の後ろをついてくるようにしていたシルクが、ひとつでも熱中出来るものが出来たのが嬉しかったから。
「シルクのお祝いもしなきゃな」
今俺は一週間分の食材の買い出しに、シルクと一緒に街へ買い出しに来ている。
「え? お祝いって?」
シルクは葉物の野菜に目を落としていたが、俺の言葉にきょとんとした顔を向ける。
「ほら、シルクのスキルレベルがあがったろ? そのお祝い。先月はちょっと余裕が無かったから、なにも出来なかったけど。やっぱお祝いに何かしないとなーって思ってさ」
「そんな、気を使わなくてもいいですよジークくん? 合宿に行かせてもらえただけで十分です」
「んー。でも来月はシルクの誕生日もあるだろ? なにかしら考えるから楽しみにしておいて」
「ええ、嬉しいな。でも無理はしないでくださいね? 大丈夫ですからね?」
気にしないでと何度も繰り返しながらシルクは野菜をほいほいと選んでいく。
野菜の選別には自信があるようで、同じ野菜を掴み見比べるとシルク評価で選ばれた野菜だけがカゴの中に突っ込まれていく。心なしか選ばれた野菜は、他の野菜よりも瑞々しく見えた。
「ジークくん、今日はマカラスさんとお話し合いでしたっけ?」
「そうなんだよ。何の用事かは知らないけど、呼び出されちゃってさ」
「またお酒の相手ですかね?」
「そうじゃないかな。用があるっていって大事な予定だったことなんて今まで無いし。多分酒の付き合いだ。ごめんけど帰りは遅くなるんじゃないかな」
マカラスに話がある、と呼び出されたのは一昨日のことだ。なんでも二人きりで話がしたいことがあるという。
二人きりでというと大事な用でもありそうに聞こえるが、俺は対して重要なことがあるとは思っていない。というのもマカラスの「大切な話」を「ふたりきりで」というのは、大酒飲みのマカラスが、誰かを深酒を付き合わせる為の建前だと知っていたから。以前にも同じように呼び出されたけど、そこで出た話はマカラスの色恋沙汰だった。ながながうだうだと女の話を朝まで聞かされたのを思い出す。
「明日はお仕事も無いので、ゆっくりしてきてください。飲み過ぎはダメですよ?」
「大丈夫さ。だいたい先に潰れるのは向こうだし。てことで今日は先に宿に戻っといてくれ。俺はこのまま待ち合わせ場所に向かうから」
「はい!」と微笑むシルクを見て成長したな、と改めて思う。いつもなら行かないで行かないでとむくれていたもんだけど。
日の色は濃い橙色。
街全体が夕方の色に染まっていく。
◇
シルクと別れて俺は夕方の街を歩く。
マカラスの指定した店は「踊る珊瑚礁」という店だ。
若夫婦が経営しているその店は、鷹の爪の馴染みの酒屋で、安値だが味も良く雰囲気がいい。この街の多くの冒険者が利用する店だ。
店を目指しながら、ふと「やっぱ夕方の街の雰囲気はいいな」と思う。
冒険者と思しき若い子や家族連れが、一日の終わりを感謝しているように皆晴れやかな顔をしているように見える。
夜の店も次第に開店していき、がやがやとした賑やかさが街を包む。
俺は幸せそうな人たちの顔を横目に踊る珊瑚礁を目指した。
「あら、ジークさんいらっしゃい。マカラスさんよね? もう二階でお待ちですよ」
「こんばんはエリーダさん」
店に着くと、愛想の良い笑顔で店主の嫁エリーダさんに迎えられる。どうやらマカラスはすでに到着しているようだった。
店の二階にどうぞ、と促される。
人気店だけあって一階の席はすでに満席だ。どこぞのクランのメンバーだろう集団がテーブルを囲みがぶがぶと酒を煽っている。
店に充満する焼いた肉の匂いが鼻腔を刺激して、昼間にパンしか食べていない可哀想な腹が鈍い音を鳴らした。
二階にあがるとマカラスの姿をすぐに見つけることが出来た。
「よう」と大柄のマカラスが軽く手をあげるととても目立つ。卓を見る限り本当にふたりきりのようでマカラスの両隣には誰もいない。
「よう、ジーク。えっと生エールでよかったか?」
「ああ、なんでもかまわない」
席に着くなりマカラスは生エールを頼む。
「まあ、なんだ。とりあえず乾杯でもしようぜ」
エリーダさんの運んできてくれた生エールのジョッキを合わせて泡立つ生エールを口に含む。生ぬるいが、喉を刺激するような味にうなる。
「随分と暖かくなってきたもんだ。なんだか、お前が初めてギルドに入ってきたことを思い出すぜ」
マカラスは生エールを一気に飲み干すと、なんだか昔を懐かしんでいるような、そんな視線を俺に向けてきた。ゴツゴツした大型の獣のような顔つきに寂しげな表情は似合わない。思わず吹き出しそうになる。
「マカラスの世話になって五年か。なんだか長いようで短いもんだな」
マカラスが昔話を振るもんだから、ふと俺もマカラスのクランに加入した時のことを思い出した。
シルクとふたりで村を飛び出して、初めての街におどおどしながら、冒険者ギルドに掲載されていた求人によって紹介されたのがマカラスのギルドだった。
大柄なうえ粗暴ではあるが気の良いマカラスとはわりとすぐに仲良くなった。当時のマカラスはクランを大きくしようと高みを目指していて、俺とふたりで夢を語って飲み明かしたこともある。
「それで、大事な話ってのはなんだ? 前みたいにマカラスの気になる女の話か?」
「あ、ああ……まあそんなに焦るなって。食い物は先に頼んであるんだ。まずはそれが来てからにしようぜ」
マカラスの様子が少し気になった。何か歯切れが悪く落ち着きがない様子が見て取れた。
届いた料理をつまみながらぽつりぽつりとマカラスは話しはじめた。クランを始めようと思ったこと、クランを始めてからのこと、最近のことなど。
鷹の爪を始めようと思ったことなんかは何度も聞いた話だ。それも「またか」と思う程に。でも今日のマカラスは何かおかしい。ぽつりぽつりと、しんみりとした昔話を読み聞かせているかのように話す。
数十分ほどマカラスの昔話に付き合っていたが、だんだんと今日俺が呼び出された目的が分からなくなってきた。
このペースじゃ何時間かかるか分かったもんじゃない。
「昔は――」と、何かを言いだす前に切り出す。
「それで今日の本題はなんだ? お前、なんかおかしいぞ?」
丁度三杯目の生エールが互いの手元に届いた時だった。ガラスの縁に口をつけようとしていたマカラスの手が止まる。
あげたジョッキを卓に戻すと、声をあげ突然頭を卓につけた。
いきおいよく、そこが地面であれば土下座でもしそうな勢いで。
「すまねえジーク、すまねえジーク」
あまりに突然のことに「おい……なんだよ」って言葉が詰まる。
周りに居合わせた客もそのようで視線が俺たちに集まった。
「やめろよマカラス。どうしたんだよ急に」
下げた頭を起こそうと肩を揺する。
マカラスはゆっくり、ゆっくりと顔をあげた。
下唇を噛み、何かに苦しんでいるようなそんな表情が張り付いている。
「――ジーク」
「だから……なんだ」
「すまねえ。俺のクランから脱退してはくれねえだろうか」
一瞬の間——
その言葉の意味を理解するのに少しの時間が必要だった。
「……は?」ようやくそれだけが口から絞り出てきた。
「すまねえ、すまねえ」
「ちょっと待ってくれよ。突然なにを言い出すんだよマカラス。なんの冗談だ」
「冗談じゃねえ。すまねえジーク。本当に悪いと思ってんだ」
「話の筋が見えねえよ」
「……ギルド連盟から提案がきてよお」
ギルド連盟というのはギルド内のクラン全体を管轄する団体のことだ。
各ギルド内に独立してクランを作れば自然的にギルド連盟に加入することになる。
「それでよ……俺たちのクランがB級に昇格できるって話だったんだ」
「それは、すごいじゃないか」
――誰かに聞いた話は本当だったのか
そりゃ、ランクがあがるほど嬉しいことは無い。しかも自分の作ったクランであれば尚更だ。でもクランのランクがあがることと「俺が脱退しないといけない理由」の共通点が見つからない。
「それで、その話とさっきの話になんの関係が?」
「ギルド連盟からさ、こう言われたんだ……。今のクランメンバー能力の平均値があと少しだけ足りていないって」
そう言われて――言葉の意味を、瞬時に察知する。
心臓の鼓動が早くなっていくのがわかる。
「それで……いくら対策を考えてもさ。どうやっても足りねえんだ。しかもギルド連盟は今月中に判断がつかない場合はB級への繰り上げは延期するって言ってきたんだ」
マカラスは続ける。
「すぐに平均値をあげるためには……もうここまで話をすれば分かるだろうがメンバーひとりを削らなきゃならねえ……俺も悩んだんだ……それでマサハルにも相談したんだけどさ……」
マサハル、と聞いてカチンときた。二階にいる客達は平静を装いながらもしっかりと聞き耳をたてているようで「あれって追放じゃない?」「まじかよきちー」など聞こえてくる。恥ずかしさも相まって頭が熱くなってくる。
「どうしても俺は自分のクランを……鷹の爪を育てていきてえんだ。俺だって悩んださ。諦めたこともあった。俺の実力じゃ鷹の爪はここまでだってよお……でもよ、そんな俺がもっかい夢を見ることができんだよ……」
「俺が辞めるとなればシルクも鷹の爪を抜ける可能性が高いと思うけど、それでもいいのか?」
「すまねえ。できれば……シルクには残って欲しいんだ。この前の合宿で能力値もあがってさ。あいつが今抜けると逆に平均値が大きくさがっちまうもんでな……」
ふざけんなよ。
なんだそれ。
そんなに俺は役に立たないって言いたいのか。
俺は、そんなに無能と思われていたのか。
「ほんとにすまねえ……退職金じゃないんだけどさ、少し用意してるからさ、それこそお前が次のクランを見つけるまで不自由ない生活が送れるくらいには――」
ふざけんなよ……ふざけんなよ
「やっぱあれ追放じゃん」「はじめて生の追放みたわー」「俺はああはなりたくねえなー」「まじえぐい」
怒りなのか悲しみなのか、よくわからない感情が渦巻いている。
「ちょっと考えさせてくれ」
ほんとうに、悪夢を見ているような時間だった。
手に持った三杯目の生エールは一口も手をつけることは無かった。
マカラスは申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げ続けるだけ。
店を出たあと、ふらふらと宿に向かう。
考えさせてくれと言ったが今は何も考えたく無い。
クランを追放されるというのがこんなにも屈辱的だとは思わなかった。
まさか自分がそんな目に合うなんて思ってもいなかった。
これからどうしよう、そんなことが渦巻く。どうしようと考えても他のクランに加入する他無いのだが、果たしてマカラスが見放すほどの男を他のクランが雇ってくれるのだろうか。微かに残っていた冒険者としてのプライドは無残に砕け散っていた。
「なんで……なんで俺なんだよ」
努力した、と声を張って言えるほどではないが、人並み人一倍には努力してきたつもりだ。しかしいくら頑張ってみてもスキルレベルはあがらない。シルクのように微かな自信を持つことさえできない。
「俺は、俺はそんなに無能なのかよ……」
最悪だよ、本当に。
「まずは……まずはシルクに言わなきゃ。まだこんな時間だし、起きているだろ……」
マカラスとの話は2時間足らず。
いつもよりずいぶんと短い。
今はとにかくシルクと話がしたかった。
優しく「大丈夫ですよ」と言ってほしかった。
宿を目指しただ歩く。
◇
「マサハルくん……」
信じられない光景を前に俺は動くことも出来ずに、ただ激しい動悸を感じている。さっき食べた料理が生エールと混じりゴロッと胃から吐き出されそうな程に重たい吐き気がこみ上げていた。口を押さえ吐いてしまうのも必死に堪える。
悪夢はいつまで続くんだろう。
「マサハルくん……マサハルくん……」
最初は部屋を間違えたのだと思った。
誰か他人の情事を覗き見てしまったのだと思った。
アルコールのせいで脳が溶けてしまったのかと思った。
自分はこんなことを経験するはずない、知人の噂話のように他人事だと思っていた。愛する人が知らない誰かに取られることなんて、想像したこともなかった。
シルクには俺しかいないと思っていたし、俺にもシルクしかいなかった。
――そう思っていた
派手な暮らしは出来ないかもしれないが、二人で設計した一戸建てに住んで子供を作ってたまに昔を懐かしむように冒険してみて、子供が成人したならば貯めた貯金を使って、残り短い人生を二人でゆっくりと終える。そんな人生を歩む気がしていた。
どうやらそんな些細な夢のひとつでさえ、叶うことは無さそうだ。
マサハルの腹の上に乗るシルクは俺も聞いたことのないような甘ったるい声をあげていた。
◇
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