第十五話:それは、護るため
レティリエがその場に辿り着いた時。丁度目にしたのは、グレイルが吹き飛ばされた姿。
瞬間。彼女は恐怖に身を竦ませ、声を上げることすらできなかった。
血塗れのローウェンと、そんな彼に駆け寄った傷だらけのレベッカ。苦しげに地に足を突くグレイル。
そして、彼にゆっくりと迫る異形の物。
その、危険と絶望しかない劣勢を見て、レティリエの心が。身体が震え。
暫しその場から動けずにいた。
──
死んでしまう。
そんな不安が一気に心に広がり。
己の無力さが、心を支配しそうになった時。
無理やり立ち上がったグレイルを見て、ふと、心にある光景が蘇った。
共に人間に囚われ何とか逃走した時。雨の中、怪我を押し、必死に自身を背に乗せ走った彼。
熱を出し。怪我に苦しみ。だが、それでも、まだ幼馴染でしかなかった自分を必死に助けようと、それこそ命を張ろうとしたグレイルの姿。
そこにいる彼は、まるであの時の彼と同じに見えた。
このまま無理をして、命を失うかもしれない。
それが嫌だった。
グレイルが死ぬのは、嫌だった。
結局。
彼女も勇敢なる狼の娘だったのか。
無意識の内に足元の石を拾うと、敵に投げつけていた。
「わ、私はこっちよ!」
レティリエは強く叫び、敵を自身に引きつけようとする。
「レティ!? 何やっている!」
「止めなさい! レティリエ!」
突然現れた彼女に驚くローウェンとレベッカの声に。
「みんな。早く逃げて。私が、何とかするから」
レティリエは、青ざめながらも微笑んだ。
震える身体で。震える声で。
「レティリエ! 無茶だ! 逃げろ!」
ふらつきながらも立ち上がり、前に進もうとするグレイル。だが、不自由な身体では、前に進むのもままならない。
だが。
それでも必死に叫んだ。
必死に前に出ようとした。
敵はふらりと向きを変え、ゆっくりとレティリエに迫り。
釣られるようにじりじりと、彼女も後ろに下がる。
策などなかった。
ただ、想いで身体が動いただけ。
この後のことなど、何も考えてはいなかった。
レティリエは、背を向け逃げようとはしない。
だがそれは、勇気があった訳ではなく。ただ、恐怖に脚が竦んでいるだけ。
ゆっくりと近づく敵から、何かが剥がれた。
それは先程ローウェンを貫いた、宙に浮いた鋼の棘。
複数の棘が、まるで彼女を貫かんと、その先端をゆっくりと向ける。
と、同時に。敵が細き槍のような片腕を後ろに引き、レティリエに突き立てんと身構えた。
殺意など感じない。
だが。それらを向けられれば、自分は死ぬ。
それは分かっていた。
だが。グレイルに生きてほしかった。
何より。もしグレイルが逃げずに死ぬのであれば、自分の生きている価値などないと、思っていた。
彼女は心に強く湧き上がっている恐怖の中、覚悟を決めた。
できれば彼に逃げてほしい。
でも、逃げずに死ぬなら、一緒に死なせて欲しい。
そんなわがままだけを心に想い。
「ごめんね。グレイル」
ふっと淋しげに微笑むと、涙を一筋流す。
それを合図とするように。無情にも敵がその棘を。その細き腕を突きたてんと、一気に飛来し、踏み込んだ。
「レティリエェェェェッ!」
グレイルが心から、絶望の叫びを上げ。
レティリエはまるで絶望を受け入れんと、目を閉じる。
そして。
無情にもその棘が、腕が。
彼女の身を──貫く未来は、あったのだろうか。
痛みもこず。皆の声もなく。
前方でギリギリと、何かが擦れ合うような音だけがする。
自身がまだ生きていると気づき、ゆっくりと瞼を開いた彼女の前に、金色に輝く光の魔方陣があった。
勿論、彼女はそんなものを見たこともなければ、そんなものを生み出す力もない。
だがその魔方陣は、迫りし敵の腕をしっかりと食い止め、彼女の命を繋いでいた。
同時に目にしていたはずの、飛来した棘の姿も既にない。
目を閉じている間に何が起こったのか。レティリエにはそれが分からなかった。
だが。
ローウェンは。レベッカは。そしてグレイルは。
そこで起きた信じられない光景に、思わず目を
金色の魔方陣が現れたのと同じ時。
突然。レティリエの背後から、無数の光る何かが現れた。
それは、鮮やかに光り輝く短剣。
まるで流星のように飛来した幾つかの短剣は、向かい来る鋼の棘に直撃すると、互いが相殺するように空で弾け、砕け散り。彼女を危機から救ったのだ。
人狼達は、知らない。
天使の力、
その絶望に抗う力を、知る由もない。
そして、人狼達は知った。
それらが指し示す、絶望に抗う希望を。
まるで伝承が、現実となるように。
敵は受けられた細き腕を引き、そのまま反対の岩塊のような腕を振りかぶり、魔方陣ごとレティリエに殴りかかろうとした。
だが、刹那。
敵はその腕を振るう暇なく、その身を勢いよく吹き飛ばされていた。
余程強い衝撃だったのか。敵は一度そのまま背中を地に付けたまま滑っていく。
途中でふわりと浮かび直し、体勢を立て直した敵は。
あまりに不可思議で非現実的な展開に驚愕したままのグレイル達は。
そして。助けられたレティリエは。
彼女の前に狼の牙を向いたままの姿勢で存在する、一人の黒髪の男を捉えた。
忘れもしないその構え。
そんな技を放てる者は、知る限り、ただ一人。
「雅騎!?」
グレイルが思わずその名を叫んだ通り。そこに立っていたのは雅騎だった。
顔色は良くなく、息も荒い。だが、護る決意をはっきりと見せた凛とした表情で、彼はそこに存在していた。
「レティリエ!」
『無事ですか!』
そしてレティリエの背後から現れたのは、天使の翼を持ちし二人。
「佳穂? エルフィ?」
自分が生きている。
その状況が受け入れられず、青ざめた顔のまま呆然と呟くレティリエに、思わず佳穂が正面から抱きついた。
「間に合って良かった!」
嬉しそうな、しかし心配に震えた涙声の彼女の腕の力が、レティリエの心を現実に戻していく。
自身は助けられたのだと。自身は生きていると。
一気に力が抜けたのか。
思わずその場にしゃがみ込みそうになるレティリエを、佳穂とエルフィが咄嗟に支える。
「綾摩さん。エルフィ。
構えを解き、敵に視線を向けたまま、雅騎が真剣な声を掛ける。
「うん。エルフィ、行くよ!」
『はい』
二人はレティリエに肩を貸したまま、勢いよく羽ばたくと、そのまま滑空するようにグレイルの元に飛んでいく。
敵は、彼女達に向きを変えることはせず。じっと雅騎を見つめるように立っている。
──
彼は、この場の状況と共に、その存在を理解した。
雅騎達がこの場に迫るにつれ、彼はその身体の異変を感じ、そのものの濃さとを感じ始めていた。
彼のみが感じる事ができる、術の源でもある力。
これが濃くなった時、そこに存在するものが何なのか。
雅騎も。佳穂やエルフィも経験している。
彼女達の言葉を借りるならば、
それは雅騎達の住む世界でも、人々を脅かす危険な存在である。
そして、呼び名は違えど雅騎もまた知っている。
それが彼の知識の中にある、とある世界の
何故この敵がここにいるのかは分からない。
伝承と同じこの状況に、どんな意味があるのかすらも分からない。
だが。
そんなものはどうでも良かった。
雅騎にとって、護りたい皆に手が届いた事実だけあれば十分。
ゆっくりと、雅騎に向け飛来すると、鋭く細い腕を突き出す。
ひらりとその身を翻し、避けた雅騎が返すように腕を蹴り飛ばし、腕を弾く。
手応えはある。
が、欠けるどころかひび一つ入らない。
──やっぱりそうか。
鋼の名を冠するだけあるその硬さに、彼は思わず舌打ちしながら、返す巨大な腕を後ろに跳躍し回避した。
* * * * *
雅騎と
佳穂とエルフィは、レティリエと共にグレイルの元に舞い降り、彼女を下ろした。
「グレイル!」
「レティリエ!」
痛みすら忘れ、二人は屈んだまま無事を確認するように強く抱きしめ合う。
互いに涙目で。だが、互いに嬉しそうに。
それを見て、佳穂とエルフィがほっとした顔をすると、そのままローウェン達の元に移り、彼の肩に
「まったく。俺が、
「うるさい! 素直に感謝なさい!」
「ははっ。確かにそうだな」
呆れた顔をするローウェンに半泣きのレベッカが思わず怒鳴ると、彼は少しだけ柔らかな笑みを浮かべる。
「しかし、あいつは何者なんだ? それに、さっきの短剣や変な壁は、お前達の力か?」
『詳しくは後で話します。まずは傷が癒えたらここから離れてください』
「それなら、先にグレイルを治してくれ」
エルフィの言葉に、ローウェンは再び真剣な顔を向けた。
「俺は動こうと思えばまだ動けるし、致命傷ってわけじゃない。それにグレイルだって、レベッカを庇わなければ、十分戦えたはずだ」
その言葉に、レベッカは悔しそうに消沈する。
自身の不用意な行動が仲間を傷つけたのだという後悔をありありと見せて。
そんな彼女を慰めるように、ローウェンが優しく頭を撫でた。
「佳穂。エルフィ。あいつを頼む」
改めて口にされたローウェンの願いに、佳穂とエルフィは一度顔を見合わせると。
「うん。わかった」
そう言って
* * * * *
雅騎と
鋭く放たれる
何度か正確に、同じ箇所めがけ腕に蹴り込みを返すも、やはり傷はつかない。
──やっぱりあれが必要か……。だけどここじゃ……。
敵の攻撃を素早い動きで避けながら、ちらちらと何かを探すように周囲を見る雅騎だったが、そこに見えるのは闇に包まれた深い森ばかり。
そんな彼の散漫な集中力を咎めるように。魔人は鋼の棘を幾本か解き放つ。
「くっ!」
咄嗟に雅騎は、素早く横に跳ねると、そのままの疾さを維持し、一本の樹の裏に隠れる。
避ける彼の頬を割いた棘で、血が滲み。
樹を貫き彼を狙った鋼の棘が、腕を掠める。
同時に間髪入れず、魔人は樹ごと彼を切り裂かんと、鋭くその
その連携に、雅騎は咄嗟に鋭くその身を転身させた。
薙ぎ払われた腕よりも早い転身で、魔人の側面に移動した彼は、直後、横に綺麗に真っ二つとなり倒れた樹を見て肝を冷やす。
今のままではジリ貧。だが、今のままでは切り札は使えない。
彼は戦いの中で描く遠い理想を、それでも追い続けようと足掻き続けた。
佳穂とエルフィに
素早さでは優位に立てる。
だが、あの突然放たれる鋼の棘。何よりこちらの打撃を受け付けない鋼の身体に手を焼かされ。
ローウェンが傷を負い。レベッカが取り乱し。結果、自身もこうやって地に膝を突いている。
今のままでは、雅騎も同じ道を辿るようにしか感じられず。
自身が彼の力になれる気もせず。
全く希望を感じられずにいた。
雅騎の戦いに目もくれず、必死に自身の傷を治してくれている佳穂とエルフィ。
しかし、それですら意味を成すように思えない。
傷が治れば戦えるかも知れない。
だが。
戦って何になる。
戦ってどうにかできるものなのか。
グレイルに自暴自棄ともいえる気持ちが芽生えた時。
その感情を魔人が察したのだろうか。
瞬間。
その絶望を現実にしようと動いた。
戦いの最中。
細く鋭く腕を振り、激しく牽制するように連続で突きを狙うも、それを雅騎は素早く
魔人は完全に自分を標的としたと、思い込んでしまったのだから。
魔人の身体から剥がれる無数の棘。
その先端が己を向かなかった時。雅騎ははっとし、目を見開いた。
その棘の先にあるローウェンとレベッカが。
グレイルとレティリエが。
皆、顔を青ざめさせ、恐怖に引きつった顔をする。
「あああっ!」
悲鳴のような声をレティリエがあげたとほぼ同時に。
その棘は彼等に向け放たれていた。
声に反応し、顔を向けた佳穂とエルフィだが、それは既に後手。
彼女達が皆を護るには、気づくのが遅すぎる。
同時に雅騎に迫ったのは、魔人の
それはまるで、仲間を守らせぬと言わんばかりの連携。
「レベッカ!?」
瞬間。
咄嗟にレベッカが傷だらけのローウェンに、覆いかぶさるように抱きつく。
「あんただけは、死んではだめなのよ!」
その身で庇えるのかなど分からない。
だが、彼女は村の長であり、愛する男を護る事を選んだ。
グレイルもまた、咄嗟にレティリエを腕でその身体に引き込むと、振り返るようにして彼女の盾になろうとした。
「グレイル!?」
「お前だけは、死なせはしない!」
何もできないと悔やみし己ができる唯一のこと。
彼はそれだけを、成そうとした。
そして。
その身に迫る拳を前に。
雅騎もまた、迷わず同じ道を選ぶのだった。
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