第十四話:赤き月、紅き鋼

 伝承を知った雅騎達だったが。

 その後も、何事もなくまた数日が過ぎた。


 ローウェンやグレイルも伝承について聞いていたため、夜警をかなり厳しく引くようにしたものの。彼等が現れて一週間経っても何も起こらない現状に、エルフの伝承と今回の事は関係ないのではと思い始め。皆の意識は少しずつ希薄になっていく。


 そして。

 雅騎達がこの世界にやってきて十日。

 彼等が来て初めての、満月の夜がやってきた。


* * * * *


 その日の月もまた、レティリエの髪の色のような、白銀色。

 赤き月とは程遠い、美しき月夜と共に、夜は更けていく。


 流石にこの頃となると、この世界に順応した雅騎達も、夜の時間を持て余しがちとなり。少し早く休むようになっていた。

 月明かりだけが照らす仄暗ほのぐらい寝室で、すっかり眠りについていた二人。

 だが。そんな穏やかな時間は、突如玄関を激しく叩く音と、けたたましい叫び声で終わりを告げた。


「佳穂! エルフィ! お願い! お願いだから力を貸して!!」


 あまりに必死で悲痛な叫びに、思わず飛び起きた雅騎と佳穂は、一瞬お互いの顔を見合わせると、そのまま家の扉を開けた。


 そこに立っていたのは、絶望的な顔で、涙を隠そうともしないナタリアだった。

 その身体には幾つかの切り傷があり、血が滲んでいる。


「ナタリア!? 一体──」

「お願い! クルスを助けて!」


 佳穂が言葉を言い終える暇すら与えず、彼女が身体にすがりつく。


「な、何があったの!?」

「クルスが、クルスが、血塗れで、傷だらけで……嫌! 死なないで!」

「ナタリア! 落ち着いて!」


 半分狂乱したようなナタリアに、佳穂が強く彼女身体を揺すって、何とか正気を取り戻させる。


「ナタリア! 早く彼の元に案内して!」

「あ……! え、ええ!」


 我に返った彼女ははっと正気に戻ると強く頷き、村の広場の方に駆けだした。

 続くように、佳穂と雅騎も走り出す。


 彼等は暗がりの中、道を抜け、広場に着く。

 と、そこには数人、包帯で手当を受けた人狼達がいたのだが。

 そんな中、一際大きな傷を負った者がいた。


 それは、クルスだった。

 腕や太腿にも細かな切り傷が見て取れるのだが、やや抉られた脇腹が重傷だと強く感じさせる。

 意識がないのか。ただ苦しげで荒い呼吸を繰り返し。応急処置の包帯も既に血塗れた彼の痛々しい姿が、佳穂の表情をも凍りつかせる。


「……エルフィ!」

『ええ!』


 呼びかけと共に現れたエルフィと共に、すぐさま彼の元に駆け寄り治癒の光マグスルファを詠唱すると。二人の手が当てられし脇腹は少しずつ塞がれていき、クルスの表情から少しずつ、苦しさが薄らいでいく。


「クルス! しっかりして!」


 彼の脇にしゃがみ込み、涙ながらに訴えるナタリア。

 その声が気付けになったのか。


「だいじょ、うぶ、だよ。ナタリア」

「ああっ! 良かった! 良かった!」


 まだ苦しそうながら、クルスがゆっくりと目を開くと、無理に微笑んでみせた。

 目覚めた彼に感極まったナタリアは、またも大粒の浮かべ彼の力ない手を両手で掴み、祈るように自身の胸に引き寄せた。


「……赤き、月……」


 と。

 雅騎が、天を見上げたままぽつりと呟く。

 治癒の光マグスルファを続けながら同じく空を見上げた佳穂とエルフィは、瞬間唖然とした。


 天に浮かぶ満月は、何時からそうだったのか。

 まるで血に染まったように、赤く怪しげな光を放っていたのだ。


「少し前。急に、月が欠けていって……全てが闇に染まったと、思ったら、あの色に……」


 苦しげながら、そう説明したクルスは、また傷が傷んだのか、顔を思わず歪める。

 雅騎はその言葉にはっとし、周囲を見渡す。怪我人はいる。だが、その状況にあって足りない者がいた。


「ナタリア。ローウェンは?」


 そう。

 村長であるローウェンの姿が見当たらない。


「今、変な怪物を足止めするために、レベッカとグレイルと一緒に、そいつの所に……」

「変な、怪物?」


 雅騎が驚きつつ口をすると、何かを思い出したのか。ナタリアは彼に答えることなく顔面蒼白となり、かたかたと震えだす。


「あんな怪物、倒せるわけない。早くしないと、皆殺されちゃう……」


 思わず両腕で自らの身体を掴み、怯えながらうわ言のように呟く彼女の雰囲気に、只者でない空気が漂ったその時。


「雅騎!」


 叫び声と共に、歳で動きにくい身体を必死に動かし駆け寄ってきたのはマザーだった。

 彼女もまた顔を青ざめさせ、悲壮感ばかり感じる必死さを見せている。


「どうしたんですか!?」

「レティリエが! レティリエがグレイルの所に行っちまったんだ!」

「レティリエさんが!?」


 皺々の手で雅騎の腕を掴むマザーの腕が、強く握られる。


「あの子じゃ何もできやしない。それこそ足手まといどころか、命が幾つあったって足りゃしない。なのに、グレイルを失いたくないって……。すまない。あの子を。皆を、助けてやってくれ! あたしより若い子達が先に死ぬなんて、あっちゃならないんだよ!」


 目に涙を浮かべ、必死の形相を見せるマザー。

 それはまるで、娘を失うのではと不安になる母のようだった。


「……わかりました」


 雅騎は驚きを押し殺し、凛とした顔になると、彼女の両肩に手を置き、力強く頷く。


「彼等の行った方向は分かりますか?」

「君の家と反対の、村の出口の森の中、です」


 マザーに尋ねた彼に、答えを返したのはクルス。

 まだ多少苦しげではあるが、随分と傷も塞がり、呼吸も安定してきている。

 ただ、その表情は己の力不足による悔しさからか。苦々しい表情だった。


「佳穂。エルフィ。僕はもう、大丈夫だから。皆を助けてあげて」


 ナタリアに肩を借り、上半身を起こした彼の表情が変わり。そこに生まれたのは、安心させようとする笑み。

 支えた彼女もそれを見て何かを感じ取ったのだろう。ぐっと奥歯で何かを噛み殺すと、真剣な顔を佳穂とエルフィに向けた。


「私からもお願い。危険だって分かってる。危ないって分かってる。けど、ローウェンを。レベッカを。グレイルを。レティを失いたくないの!」


 涙を堪え、じっと強い視線を向ける彼女の決意に、佳穂とエルフィも頷く。

 二人は立ち上がると、雅騎を見る。彼もまた、決意を秘めた表情で頷くと、今戦いが起こっているであろう、闇深い森に向け走り出した。


* * * * *


 深き森の中。

 レティリエは銀の長髪をなびかせ、必死に走っていた。


  ──グレイル! 無事でいて!


 狼にもなれず、狩りどころか力仕事すらできない自分が、何かできるわけもない事は分かっていた。

 だがそれでも、走っていた。愛する者の無事を祈りながら。


* * * * *


 夜警の者達が傷だらけの身体で必死に村に逃げ帰ってきた姿に、彼女は驚愕した。


 今までこの村で、ここまでの人数が夜警や狩りひとつで大怪我を負うなど経験がない。

 レティリエもまた、必死に彼等の傷の手当に奔走していたのだが。後から戻ったクルスの大怪我を見た時に、より強い恐怖が心を襲った。


 決してクルスとて、狩りが苦手なわけではない。

 そんな彼がここまで傷だらけとなった姿。それが、グレイルに重なってしまう。


 まさか。彼もこんな姿に。

 そう思った瞬間。居ても立っても居られなくなり、思わず広場から走り出していた。


 森に入ろうとする途中、マザーにその姿を見つかり、必死に止められた。


「お前が行って何ができるってんだい! グレイルを信じて待つんだよ!」


 その必死さに、心が痛んだ。

 だが、痛みでは、不安は消せない。

 だからこそ。


「マザー。ごめんなさい」


 口惜しげに告げ。彼女を振り切り、森に駆け出していった。


* * * * *


 彼女もまた、人狼。

 だからこそ、漂ってきた血の臭いに気づく。


 臭いを頼りに、森の奥を必死に、息を切らしながらも走り抜け。

 そして、レティリエはその光景を目にした。


 希望を感じぬ、その光景を。


* * * * *


「ぐふっ!」


 ローウェンが、何者かに吹き飛ばされ、木に激突する。

 強く走る背中への痛みに顔をはっきりと歪めた次の瞬間。


「がぁぁぁっ!」


 同時に彼の肩を、何かが貫いた。

 それは、細く先の鋭い真紅の鉱石。

 あっさりと肩を、そして背後の木すらも貫き通った跡。ローウェンの肩がより、強き痛みを訴える。


「ローウェン!!」

「ばっ! 来るんじゃねえ!」


 敵の存在を忘れ、彼の警告すら無視し、必死に駆け寄ろうとするレベッカ。

 それは愛すべき者を失いたくない本能からだったのだろう。


 だが。

 その隙は戦いの中では命取り。


 完全に隙だらけのレベッカの脇から襲いくる何かが繰り出し大きな岩塊が、彼女を吹き飛ばさんと迫る。

 それに気づいた時には時既に遅し。

 はっとし、同時に表情を絶望に染めるレベッカ。


 だが、瞬間。


「やらせるか!」


 二人の間に割り込み、岩塊を無理矢理殴りつけたのはグレイルだった。

 手応えはある。だがそれが、岩塊にひびを入れることはなく。打ち砕けぬ拳がその場に留まらせる事すら許されず。勢いのままレベッカの代わりに岩塊を脇腹に受け、痛みと共にそのまま宙を待う。


 勢いよく二転、三転と地面を転がるも、途中で何とか体勢を立て直し大地を滑るように踏みとどまる。

 だが。強く訴える脇腹の痛みが、思わずその場に膝を突かせた。


 グレイルは痛みを堪えながら、憎々しげに相手を見た。

 その、人ではない物を。


 大地に脚は触れず、低くふわふわと浮いている、人のような物体。

 その身体は細い真紅の鉱石の結晶が組み合わさった、細き身体に細く鋭い脚と腕。

 いや、腕は片方は確かに細く鋭い。

 だが、片方は歪なほど巨大で無骨な腕。


 顔らしきものはある。

 だがそれも、ただ結晶がそこにあるだけで、顔らしさなど全くない。


 木々の間から漏れし赤き月の光を反射し、より赤く怪しげにその姿を光らせるその物は、神など知らぬ人狼達の命を刈り取らんとする死神のようであった。


 無理に立ち上がろうとするグレイルだったが。骨が折れているのか。痛みに耐えきれず、またも膝を突く。


 死神はそんな彼を仕留める気なのか。ゆっくり、ゆらりゆらりと迫っていく。


「グレイル! 逃げなさい!」

「早く! 逃げろっ!」


 思わずレベッカとローウェンが叫ぶ。

 だが、グレイルは分かっていた。それは無理だと。

 脂汗が額から流れる。


  ──何が、力が全てだ。


 己の力をぶつけても、傷すらまともにつかず。

 こちらばかりが怪しげな力と技に翻弄され。

 今、ここで膝を突いている。


  ──「俺は護れる人を護りたいだけです。だから、意味もなく誰かを傷つけたいわけじゃない」


 と。心の中で、雅騎と対峙した時の彼の言葉が蘇る。


 誰かを護る。

 それだけの為に力を誇示しなかった男。


 今更ながらに、あの青年の底知れなさを感じ取り、思わず苦笑した刹那。

 奥歯で痛みを噛み殺し。ふらつく身体で立ち上がる。



  ──俺は、群れで一番強い。それなのに、みんなを護る事すら、できていないじゃないか。



 きっと、こんな姿をレティリエに見せたら、悲しませるだろうか。

 きっと、ここで死んだら、彼女は泣いてしまうだろうか。


  ──「これからも、共に歩んでくれるか?」

  ──「ええ」


 宴の中で交わした言葉。


  ──すまない。レティリエ。


 ふらふらのまま、構える。


「レベッカ。俺がこいつを引きつける。ローウェンを連れて逃げろ」

「何言ってるの! 無理に決まっているでしょ!」

「いいから! 早く!」


 グレイルは横目で二人を見る。

 彼の決意を受け入れられないと驚愕するも、逃げようとはしていない。


  ──せめて、少しでも……。


 時間を稼ぐ。自分に引きつける。


 グレイルは最期の覚悟を決め、強く敵を威嚇し、低い姿勢で身構えようとする。

 が。身体が正直だ。ぐらりとふらついた身体が、三度地面に片足を突かせてしまう。

 それでも、威嚇した。

 こっちだと。敵は俺だと。


 だが。

 それは、残念ながら無に帰す事になる。


  ガインッ!


 突然。敵の堅き背中に、何かの当たる音がした。

 それに反応し、敵が背後を向き。皆の視線がその先に向く。


 そこに立っていたのは……。


「レティリエ!」


 震えながら石を敵に投げつけた、銀髪の人狼だった。

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