第三話:力と技の交錯
広場にいた人狼達は、戦場となる空間を確保するように後方に下がり、大きな輪を描いていた。
ローウェンとレベッカの向かって右手側には雅騎と佳穂が。
反対側にはグレイルとレティリエがそれぞれ立つ。
人狼の代表として選ばれたのは勿論、この村一番の強者であるグレイルだったのだが。
指名を受けた後にローウェンと話した際、小声で伝えられたのは、こんな指示だった。
──「いいか。あいつを絶対に殺すな。だが、出来る限り怪我は負わせろ」
周囲に気取られないように伝えられた指示。
その意図をグレイルは読みきれなかったが、彼には何か策があるのだと睨み、それに頷き返す。
「グレイル。お願いだから、彼をあまり傷つけないであげて」
遠間に見える佳穂を見ながら、レティリエが思わず心配そうにそんな事を言う。
同じく視線を向けたグレイルも、雅騎に話しかけている彼女の不安げな表情をはっきりと見て取っていた。
相手の心配をする彼女の願い。本当なら叶えてやりたい。
だが、既にローウェンとの約束もある。
「ああ。分かっているさ」
安心させるように笑ったグレイルだが。
──すまない。レティリエ。
心の中で、そう謝っていた。
自身のこれからの行動がレティリエの心を傷つける。だが。それが村長の指示であるならば、応えねばならない。
そんな覚悟を既に決めていたのだから。
「速水君。無茶だけはしないで」
「大丈夫。もしもの時は手当を頼むよ」
佳穂の不安そうな表情に対し、これから闘いに挑む者とは思えない優しい笑みを返した雅騎が、くるりと振り返ってレティリエ達に視線を向ける。
その雰囲気に、思わずグレイルは少し
──なんだ? 本当に闘う気があるのか?
思わずそんな感想を持つほどに、彼はなんとも自然な感じでそこに立っている。
牢にいた時に感じた、強い意志は何処にいったのか。
「二人共、前へ」
と。
ローウェンの声で二人はゆっくりと前に出ると、両雄はあと二、三歩で互いに触れ合える距離で歩みを止めた。
「いいか。互いに闘いに武器は使うな。但しグレイルは人狼だ。狼の姿でも、人の姿でも、好きにしていい」
「わかった」
「人間。改めて名を聞かせてくれ」
「……雅騎。速水雅騎です」
「ありがとう。いいか、雅騎。俺達はお前の命を奪う闘いをしたい訳じゃない。だから二人のどちらかに命の危険を感じたらすぐに止める。それでいいな?」
「はい」
「後、闘いはこの輪の中に留めてくれ。この輪を超えるような事があれば、それは逃走したとみなし、敗北とするからな」
「わかりました」
闘いについての説明に、雅騎が淡々と返事していく中。グレイルは何も言わず、視線だけを二人に向けたまま、少しずつ闘いへ意識を変えていく。
強き者の闘争に向ける気配が、観客達にも伝わったのか。
人狼達の「やっちまえ!」、「ぱぱっと片付けようぜ!」といった、彼に対する声援と熱狂が周囲を包み出す。
そんな盛り上がりを他所に、佳穂は雅騎の無事を祈りつつ、緊張の色を強くし。レティリエもまた、己の中に湧き上がる不安に心を痛めた。
グレイルはちゃんと手加減してくれるだろうか。
佳穂を悲しませたりしないだろうか。
愛する者を信じなければいけないのに。
そんな彼を疑う気持ちが拭えない。
──もしもの時は、私が……。
止めに入る。
心優しき彼女はそんな決意と共に、想いが現実にならないようにと、胸に手を当てる。
「では。はじめ!」
そして。
ローウェンの一声で、ついに闘いの火蓋は切って落とされた。
* * * * *
ローウェンは、この村の
狩りの最中でも己や仲間の良し悪しを判断し、状況をしっかりと見て、最適な結果を導き出す。
己の成果だけに囚われず、状況を冷静に判断できるその経験があったからこそ、村長の座に収まるだけの狩りの成績も残せた。
そんな人狼だからこそ。彼はこの掟を盾にした闘いが最適解だと信じていた。
レティリエが信頼する人間達を、この村に溶け込ませる為に。
武器も持たぬ人間であれば、グレイルの勝利は揺るがない。だからこそ、出来る限り傷を負わせ、手痛い敗北をさせる。
確かに雅騎は傷つく。
だが、弱い人間相手であれば、人狼達も安堵でき、何より同情も誘える。
こうすれば、多少の痛みは伴うが、自然に村人達に受け入れてもらえるだろう。
これこそがローウェンの描いたシナリオだった。
だが。
残念ながら、彼はたったひとつだけ読み違えていた。
そこに立つ人間。
速水雅騎という存在を。
* * * * *
闘いが始まってから暫く。
先程まであがっていた人狼達の歓声は、さっぱりと鳴りを潜めていた。
誰もが声を発せぬ中。
雅騎は未だ、開始してすぐ漆黒の狼と化したグレイルと対峙していた。
彼と同じ位の巨体の狼。
しかしその動きは、まるで
グレイルはその
一度でも抑え込み、のしかかればあっさりと終わる。そんな闘い。
だが、その一度は未だ生まれない。
グレイルも最初は手加減していた。
それでも勝てる。そう思い込んでいたからこそだったのだが。そんな思いを裏切るかのように、雅騎はひたすらに、彼の攻めを捌き続けた。
足を狙う噛みつきを避け。腕を狙う引っかきを払い。のしかかろうとする突進を、宙を舞って飛び越え裏に回る。
身体ぎりぎりを通り過ぎる爪や牙が、僅かに服や皮膚を傷つけ、僅かに血を流させるも。彼は攻撃のすべてを見切り、避け。致命傷を受けることも、押し倒されることもなく。未だその場に立ち続けていた。
人間が、人成らざる動きを見せる現実。
それが人狼達を驚愕させていた。
勿論それは、グレイルとて例外ではない。
──こいつ……。
途中から、彼は本気だった。
時に狩場で。そしてレティリエを助けた時にも見せたその
黒き
そう形容したくなるほどの
だが。
当たらない。
たった一撃が、当たらない。
もし雅騎が、命乞いしたくなるような及び腰で必死に避けていたならば、人狼達も未だ盛り上がりを見せていただろうか。
だが。野生の本能と経験で闘い慣れた彼等は、その男が流れるような動きで避け続ける、あり得ぬ現実を見せつけられていた。
人狼は知らない。
いや。この世界の者が知るはずもない。
この人間が極めし、
何度目かの噛みつきを避けられたグレイルが、距離を開け息を
見た目には隙だらけ。わざわざ回り込みに合わせて構え直すことすらしない。
そして何より。闘いに熱を感じない。
そんな相手に、改めて二度、三度と果敢に挑むも。時に紙一重で。時に大きく舞うように。雅騎はそれを避け、受け流した。
二人の攻防が続く中。
人狼達は、もうひとつの違和感に気づき始めていた。
「あいつ、何で殴り返さないのよ?」
「分からん。何を考えていやがるんだ!?」
攻防から目を離さず、ぽつりと呟くレベッカに、ローウェンも怪訝な顔をする。
彼の目論見は完全に外れていた。
雅騎の予想外の善戦は、既に計画の範囲外。
だが、それ以上に。雅騎がグレイルを狙おうとしない意図が分からない。
「速水君……」
傷を増やしながらも、紙一重の回避を魅せる雅騎の姿に、佳穂はぎゅっと胸の前で両手を組み、祈るように見つめていた。
彼の闘いは常にギリギリ。以前経験したドラゴン戦を彷彿とする展開に、気持ちが休まらない時間が続く。
レティリエもまた、未だ気が気でなかった。
グレイルの本気を彼女は知っている。
今、雅騎はそれを避け続けているが、もしその本気の力が届いた時、彼が無事でいられるのか。グレイルは彼を殺してしまうのではないか。未だそんな不安は尽きない。
皆の不安と驚きだけが
それがグレイルの心に、強い疑念を生んだ。
一度大きく雅騎から距離を置いた彼は、この闘いで初めて人狼の姿に戻ると。
「雅騎!」
突如、苛立ちを隠さぬ怒りの形相で叫んだ。
雅騎は返事を返さず。ただ応えるように、静かに向き直る。
「お前は何故手を出さない!」
皆が思っていた疑念を強く言葉にしたグレイルに対し。雅騎は静かなる態度を崩さずに、凛とした表情のまま言葉を返した。
「俺は、力を誇示したいわけじゃありません」
「どういう事だ!?」
「俺は護れる人を護りたいだけです。だから、意味もなく誰かを傷つけたいわけじゃない」
その答えは、人狼達にとって理解し難い言葉だった。
力こそがすべてのこの村において、力を振るわず、相手を傷つけるのを嫌う。それは臆病者でしかない。
まるで手加減されているようにしか聞こえぬ言葉に、自尊心を傷つけられたのか。
グレイルは思わず奥歯を噛むと、牙をむき出しにして雅騎を睨み、低い声でこう告げた。
「ならば。お前が次の攻撃を避ければ、俺はそのまま後ろにいる佳穂を食い殺す。それでいいな?」
「グレイル!?」
「おい待て! 何言ってる!?」
予想外の言葉に、周囲から
思わずレティリエが何故と言わんばかりに叫び。ローウェンもそれを制しようとした。
だが、グレイルはそれが聞こえなかったと言わんばかりに、意に介さない。
「護るというなら、護るために闘え。お前の本気を見せてみろ」
彼はそう吐き捨てると、人狼の姿のままその身を前傾にし低く構え、ゆっくりと間合いを詰め始めた。
その姿に本気の殺意を感じ、宣言された佳穂は思わず顔を青ざめさせ。雅騎はふぅっと長く息を吐くと。牢で見せた決意の瞳を向ける。
──そうだ。その眼を待っていたんだ。
既に彼にとって、雅騎は敵でも、恨むべき人間でもなかった。
今ならレティリエが言った言葉がわかる。
彼も、佳穂を護る為になら、それこそ命を懸けるであろう事を。
それは、自身がレティリエに向けし決意と同じである事を。
だからこそ。
その男の本気を見たくなり、嘘の挑発しただけ。
だが、嘘を本気にせねば、相手を誘えない。
だからこそ、本気で威圧した。
間合いは、グレイルだけが詰める。
雅騎はまるで、佳穂には手を出させないかのようにその場に立ったまま、半身を前に身構える。
一気に増した緊張感に、皆が声も発さず息を呑む。
そして、一度お互いが動きを止め、じっと睨み合った刹那。
先に飛びかかったのはグレイルだった。
人の姿であればそれだけ動きが鈍る。だが、その時の彼の躍動した動きは、彼を知る仲間が見てもありえぬ程の鋭さだった。
黒き
が、雅騎と視線が重なった瞬間。野生の勘か。グレイルは咄嗟に両腕で身体を庇う。
と、ほぼ同時に、雅騎が
奇しくも同じ狼の名を冠するその技で、雅騎は人狼の如く弾けた。
鋭く、素早い踏み込みを見せ一気にグレイルとの間を詰めた彼は、両腕を正面に突き出し、勢いのまま、その牙を抜いた。
グレイルの判断が遅ければ、それをまともに腹に食らっていただろう。
雅騎の
パンッ
強く乾いた音と共に、腕で打撃を受け止めた姿勢のまま、グレイルが勢いよく後方に押し飛ばされた。
地面に土煙をあげながら滑った彼だが、後ろ脚に力を込め、前傾姿勢で勢いを殺すと、何とかレティリエの手前で踏み留まる。
額に流れる冷や汗。
その技をまともに食らっていたらとぞっとする。
重き技を受け止めた両腕の痺れ。それは
それこそが、雅騎の護るべき、本気。
はっきりと示された力。
それを身を持って感じたグレイルは。
「……はっはっはっはっ!」
突然、嬉しそうに笑い出した。
周囲は突然の彼の急変に、毒気を抜かれたように呆気に取られる。ただ一人、未だ雅騎が構えを解かぬ中。
「ローウェン。俺の負けだ」
先程までの苛立ちは何処へやら。満足そうな笑みを浮かべ、爽やかにそう宣言した。
そんなグレイルの表情に、思わず呆れた笑みを返したローウェンだったが。彼の闘いっぷりに同情も、手加減も、偽りもないと気づいていた。
彼だけではない。
人狼達は皆、雅騎の闘いぶりに震撼させられた。
この闘いを見て、彼を弱者と罵れる者も、彼を強者と認められない者もいない。
強者を目指す人狼達だからこそ、その頂点にいる男と渡り合った、彼の強さを疑いようがなかった。
そして何より。
護るために闘いたいと伝えた彼の心意気は、人狼であっても充分に伝わる感情。
だからこそ、この人間が自分達に危害を加えるという不安すら、既に感じなくなっていた。
「
ローウェンの言葉に、首を横に振る者はいない。
それどころか、「意義なし!」、「ま、充分だろ?」と言った、皮肉や賛同の声があがるほどだ。
そんな村人達の反応を確認した彼は、満足そうな笑みを浮かべると、雅騎に向き直り、こう宣言した。
「雅騎。お前は充分強さを示した。改めてお前達を受け入れ、助けになろう」
その言葉を闘いの終演と捉えた雅騎は、やっと肩の荷が下りたのか。
普段通りの安堵の笑みを見せその場にしゃがみこむと、身体を休めるかのように、思わず大地に大の字に寝そべるのだった。
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