#4-3 妻の決めた答えに、私は――
朝もやの残る尾根筋を、先頭の蒼井が進路を邪魔する横枝をへし折りながら先へ進む。
出発した時はまだ薄暗かった空は、今は抜けるような青に変わりつつあった。
青年達が持っていた端末と私のスマホのマップが指し示していたのは同じ場所だった。そこに二人がいるのは間違いないのだろう。
私は一樹の手を握り、黙々と歩き続けた。
一樹も周りの雰囲気を察したのか、今日は静かに歩いていた。
1時間ほど歩き続けたところで、前方の木々から視界が不意に開けてくる。
そこは岩肌がむき出しになった山の斜面の下に広がったテニスコート二面分ほどの平場だった。
その中央付近には、2人の人物が対峙している。
「赤城!?」
「美代子……」
今にも駆け寄りたい衝動を思いとどまらせたのは、2人の周囲から感じる張り詰めた空気のためだった。
「来たか」
「そのようじゃな」
2人が言葉を交わすのが聞こえた。
次の瞬間、2人は猛然と駆け出して互いに拳、蹴りを打ち合う。
その動きは早すぎて私の目では正確には追えなかったが、美代子が放ったミドルキックに一瞬、赤城がバランスを崩す。
その隙を美代子は見逃さなかった。
赤城の胸元を掴むと、素早く体を入れて柔道の背負い投げのように赤城の体を跳ね上げる。
赤城が背中から地面に落ちたところで2人の動きが止まった。
「今回は僕の負けか」
「そうじゃな、これで本当にあいこじゃ」
赤城が立ち上がると、2人は私達に向かい直った。
「せっかく来てもらったのに申し訳ないんだが、もう
しかし赤城が言い終わる前に、周囲に別の声が轟く。
「見つけたぞ、裏切り者ミスティックムーン! ブラックザザーン第一の幹部であるこのカーネルシャークがお前を粛正してやろう」
いつの間にか、岩山の稜線にはサメの頭を被った全身が灰色の男と戦闘員達がズラリと並んでいた。
「おい、待てよ。ジェネラルゲソーとは今日までの約束だったはずだ。まさかヤツの差し金か!?」
思わず私は叫んでいた。
「ふっ、一々上官の手を煩わせるなど無能の極み。ゲソー様は預かり知らぬ事。長らく南アジア方面での活動に従事している間にとんだ跳ね返りが加入したと聞いたが、すぐに敵に寝返るなど言語道断。ちょうど敵のリーダーもいるようだし、2人まとめてその首を手みやげにしてやるわ」
カーネルシャークが高笑いする。
「俺達の仲間に手を出すというのは聞き捨てならないな」
蒼井達が前に出る。
私の目の前で四色の光が瞬き、その光が霧散した後にはスカイチャージャー達が立っていた。
「むむ、お前達がスカイチャージャーか!?」
中央の2人を挟んで、悪の組織と正義の使者が対峙する。
まずい、なんだか急にきな臭くなってきた。
「一樹、後ろに下がってあの木の後ろに隠れてなさい」
私は一樹に指示を出して状況を見守る。
一触即発のような空気の中で、美代子が口を開いた。
「のう、カーネルシャークとやら」
「なんだ」
「我は組織を裏切る気など微塵もない。ただ、心置きなくこのギリエムとの勝負をつけたいだけじゃ。あと一仕合だけ待ってもらうわけにはいかぬか」
「はっ、そんな戯れ言誰が聞くか!」
「そうか……では仕方あるまい。どうしても聞き入れてもらえぬとあれば、お主を討ち滅ぼした後で続きをするとしよう」
美代子の背中から、ゆらりと闘気とでもいうべき圧力が発せられた気がした。
赤城も美代子の隣で闘いの構えをとる。
その背後にはスカイチャージャー達も臨戦態勢にあった。
「む、ぐぐ、お前達……」
美代子に加えてスカイチャージャーまで相手にする不利を悟ったのか、カーネルシャークはワナワナと拳を握りしめる。
「わかった、そこまで言うなら好きにしろ!」
「かたじけない」
美代子と赤城は再び離れて対峙した。
「ここまで、33勝33敗33引き分け。次で決めよう」
「ああ、これで最後じゃ」
両陣営が見守る中、2人は戦いの構えをとった。
「ゆくぞ、アドギラ」
「おう、ギリエム」
直後、凄まじい攻防が始まった。
蹴り、拳、投げ、防御、フェイント、あらゆる技術を駆使して互いを打ち合う。
その多彩で流麗な動きはまるで達人の舞踊を思わせた。
ただ、この時私の中には言いようのない不安が広がっていた。
遥か昔にもアドギラとギリエムは両軍が見守る中で一騎打ちを行った。
決着がつかず、結ばれることも叶わないと悟った2人は、最後はお互いの心臓を差し違えて絶命している。
美代子は、さっき「これで最後」と言った。
――いや、まさか!?
敵同士という関係は今生でも変わらないし、アドギラが美代子と融合している状態の限り、ギリエムと結ばれる事もないだろう。
もし2人がその事を悲観して、過去と同じ結末を選んだとしたら……。
美代子と赤城の攻防はさらに激しさを増し、距離を取り、交錯するを何度か繰り返すも、どちらも決定的な一打を与えられないまま10分以上の時間が過ぎた。
さすがに両者とも肩で大きく息をしている。
互いに牽制の一打を放つと大きく距離をとった。
「楽しかった、アドギラ」
「そうじゃな、至福の
2人は静かに構え直した。
「いざっ!」
同時に叫ぶと、跳躍して互いに一気に距離を詰める。
そして、歓喜の笑みを浮かべたまま
「美代子っ――」
私が叫ぶと同時に、その剣先は互いの心臓に向かって突き放たれた。
※※※
「美代、子?」
美代子と赤城は立ったまま動かなかった。
互いの指先はそれぞれの心臓の前で止まっている。
止めた、のか?
ゆっくりと手を下ろし、2人が向かい合う。
「……どうやら引き分けか」
「うむ、これで33勝33敗34引き分け。ついぞ勝負はつかなかったのう」
「残念だが、ここまでとしよう」
「そうじゃな」
美代子が岩山の稜線に陣取るカーネルシャークに向き直った。
「待たせたな、カーネルシャーク。我等の闘いはこれまでじゃ。ジェネラルゲソー殿に伝えるがよい、我はこれを持って組織に帰還する。明日には再び参陣するとな」
「な、何を勝手なことを」
「しかと伝えたぞ、他に何ぞ用はあるか?」
「ぐ……わかった、皆の者、撤収だ。ゆくぞ!」
カーネルシャークが稜線の向こう側に姿を消すと、残った戦闘員達がイーッ、イーッと叫びながら美代子に手を振った。その後、散り散りに稜線の向こうへ消えていく。
「……さてと。ギリエム、我等もあるべきところに戻ろうぞ」
「そうだな、いろいろと詫びなければならないこともあるし」
赤城はスカイチャージャーと私に視線を向ける。
「アドギラ――」
赤城の腕が美代子の体をそっと包み込む。
「ああ、いつか……いつか時の彼方で、また君と」
「おう、待っておる、待っておるとも。その時こそは……」
美代子の腕も赤城の背中に回る。
この時、私には嫉妬や怒りといった感情が不思議と湧いてこなかった。
そこには数千年を経てめぐり逢い、また結ばれなかった悲しい恋人達の姿だけがあった。
やがて2人はその身を離し、赤城はスカイチャージャー達の元へ、美代子は私の方へと歩きだした。
私も前に出ようとした時、横を一樹が駆け抜けていく。
「お母さぁん!」
「一樹!?」
美代子が一樹をその胸に抱き留める。
「一樹、ごめんね、心配かけてごめん。お母さん、もうどこにも行かないからっ」
我が子を胸に抱き涙を流すその姿は、最強の女戦士ではなく母親としての美代子そのものだった。
「美代子……」
近づく私に一樹を抱いたまま美代子が立ち上がる。
「あなた……勝手なことしてごめんなさい」
「いや、それはそうなんだが……よく戻ってきてくれた。おかえり、美代子」
「ええと、あの……私はあの人とは、何にもなかったから……ほんとよ」
「わかってるさ」
私も美代子を抱きしめる。
「さあ、帰ろう。今日は特別な日だ。何か美味しいものでも食うか」
「僕、焼き肉がいい!」
「いいわね、お母さんも食べたいな」
「よし、それじゃ帰りにまず温泉にでも入るか。さすがに汗臭くなってきたしな」
「やったーっ」
盛り上がる私達親子の元へ、赤城が静かに近づいて来た。
そして直立したまま頭を下げる。
「田上さん……いろいろとご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」
「あ? ああ……まあ、言いたいことは山ほどあるが、自分が惚れた女を目の前にしたら男は後先考えないで突っ走ってしまうもんだろ。……それはわかるよ」
「……ありがとうございます。ただ、正義の使者を名乗る以上、僕のしたことは許されることではありません。僕はスカイチャージャーを抜けようと思います」
「君がそう考えているなら止めはしないが、その、なんだ……君の生を悔いのないように、強く生きて行ってほしい」
赤城は頭を下げた姿勢のまま、「はい」と呟いた。
※※※
「本当に一緒に下山しなくて大丈夫なのか?」
装備を解いた蒼井達に、私は感謝の言葉を述べてそれを固辞した。
「ああ、家族水入らずで帰るよ」
一樹を抱きかかえた私を、美代子がそのままお姫様抱っこする。
「それじゃ、またな」
美代子が腰を落とし、跳躍する。
猛烈な加速とともに私達は空へ舞い上がった。
一樹が歓声をあげている。
私は、軽いめまいを覚えながらも心地よい浮遊感に酔いしれていた。
※※※
車は山あいの道を下りながら高速のインターへと向かっていた。
少し前まではしゃいでいた一樹は、今は後部座席で寝息をたてている。
車内は静寂に包まれていた。
美代子は先ほどから窓の外に顔を向けて黙ったままだ。
私は1つ息を吐いてから語りかけた。
「……おい、アドギラ。いるんだろ?」
「……なぜわかった」
美代子が顔を背けたまま応える。
「そりゃあ夫婦だからな。隣にいるのが妻か他の女かぐらいはわかるさ」
「夫婦とはそういうものか。……我もいつかそのような感覚を味わえることがあるものだろうか」
「……あれでよかったのかよ?」
「何がじゃ?」
「ギリエムとのことだよ」
「それはよい。我等は戦士じゃ。互いの想いは全て拳に込めて伝えた。今生は少しばかり間が悪かった、それだけのことよ……」
「本当にそう思ってるのか?」
「無論よ」
「……ならいいが」
車は市街地に差し掛かっていた。
私はサイドバッグを探って新しいハンカチを取り出す。
「使えよ」
前を見据えたまま、私はハンカチを助手席に差し出した。
「何じゃこれは。我には必要ない」
美代子――アドギラは受け取ろうとしない。
「あのなぁ、お前、自分が今どんな顔してるのかもわかってないのかよ」
「な……?」
そこには戦士としての面影はなく、顔をクシャクシャに泣きはらしたひとりの女性がいた。
「う、うう、ああ……」
私の手からハンカチを奪い取ると、アドギラは顔を埋めて嗚咽をあげる。
私は無言のまま、車を東京方面のインターへ向けて進路を変えた。
(4章 終)
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