#2-2 妻が初めての任務に出撃します
「一樹はもう学校に行ったな?」
「ええ、大丈夫よ。それじゃ始めましょう」
美代子が左手首のコントローラーに素早くコマンドを打ち込む。
閃光に包まれた後、一瞬で美代子は【戦闘形態】――私が女王様モードと呼んでいるものに変化した。
昨日猛特訓したおかげで、美代子は【索敵形態】と【戦闘形態】の切替えについては完全にマスターしていたが、【究極戦闘形態】については最後まで成功することはなかった。
理由は簡単で、とにかくコマンドが難し過ぎるのだ。
マニュアルに書かれた機能は威力や性能の高いものほどコマンドが複雑になっているようで、それは昔はそこそこ格闘ゲームで遊んだ私でも成功出来ないシロモノだった。そこで私達は【究極戦闘形態】についてはいったん諦めて、比較的簡単で使いやすい機能に絞って覚えることにした。
ただし、それには息子の一樹は関わらせていない。
美代子と話し合った結果、やはり母親が悪の組織の女幹部というのはあまりよくないだろうという結論になり、一樹の前では組織に関わる話や行動はしないことを決めたのだった。
「集合は何時なんだ?」
「えーと、11時に●●中央公園ね」
「まだすこし時間はあるな。そもそも今日の任務の内容は何なんだ?」
「うーん、よくわからないけど、イリョクテーサツってジェネラルゲソー様が言ってたわ。あなたわかる?」
「威力偵察? ……たしか、小規模な攻撃を加えて敵からの反撃を見ることで、敵の勢力や実力を見定めるようなものだと思ったが」
「ふーん、ほどほどで引き上げていいっても言われてるから、そんなに難しくはなさそうね。初めての任務だから気を使ってくれたのかしら」
だとしたら意外にホワイトだな、悪の組織。
「――そろそろ時間かしら」
「ああ、車出すか?」
「ううん、一つね、便利な機能を見つけたの。二階のベランダに行きましょ」
美代子に言われて、私達は二階のベランダへやってきた。
「で、どうするんだ?」
「ここから跳んでいくの」
「なに!? そんな機能あったのか……。でもオレはどうする?」
「私が抱っこしていくわよ」
「はあ? いくら何でもそれは無理だろ」
「気がついたんだけど、この格好の時の私って、すごい力持ちなのよ」
「そうなのか」
「今朝の朝ご飯のリンゴジュースおいしかった?」
「ああ、まぁ……」
「あれ、私が絞ったのよ」
そう言うと、美代子は右の手をワキワキと動かした。
「……伝説の悪役プロレスラーみたいだな」
「便利よねー。もうフードプロセッサーもミキサーも新しく買わなくてよさそうよ」
……もう、二度と夫婦喧嘩もしないほうがよさそうだ。
「それじゃ準備するわね」
美代子がコントローラーにコマンドを打ち込む。
「【重力に抗う翼】アンチグラビティフリーダム!」
直後、ブンッという音とともに辺りに低い振動音が響く。
「アンチ、グラ……?」
「翼」に当てられたフリーダムにはもはや触れないでおこう。
「悪いけどこれも持っていてもらっていい?」
美代子がマニュアルを私に差し出した。
「ああ、預かっておくよ」
私はマニュアルをショルダーバッグの奥にしまう。この姿の美代子にバッグを持たせるのも変だったので、私物はまとめて私が持っていることにしたのだった。
「あなたも用意はいい?」
そう言うと、美代子は造作もなく私を抱き上げた。
いわゆる、お姫様抱っこのような状態だ。
「重くないのか?」
「そうねえ、一樹が生まれたての時よりも少し軽いぐらいかしら」
大の大人が新生児以下とは、魔改造、伊達じゃないな。
「しっかり掴まっててね。……行くわよ、せーのっ」
美代子が腰を落とした。
「えいっ」
次の瞬間、猛烈な風圧とGが私の全身に襲いかかる。
ぐっ。息ができない、目も開けられない……。
数秒ほど耐えていると、風圧とGがふっと弱まってきた。
「まあっ、凄いわ。あなた見てみて!」
美代子の声に目を開けると、ミニチュアのような街並みが眼下に見える。
だが、それは一瞬の光景だった。
ユラッとした浮遊感の後、今度は凄まじい速さで地上が迫ってくる。
「美代子、落ち、落ちるっ」
目を閉じて半ば覚悟を決めた時、落下速度が急速に弱まり、優しく着地する感触がした。
目を開けると美代子が心配そうにのぞき込んでいる。
「大丈夫?」
「アレがキュッとなった……」
「あなた、こういうアトラクション昔から苦手だったものね」
「お前は大好きだったよな」
辺りを見ると、私達はどこかの公園の木立の陰に着地したようだった。
「あとどのくらいで着きそうだ?」
「今の跳んだ感じだと、あと5回くらいかしら」
「オレやっぱり電車で行くことにしようかと――」
「じゃ、また掴まっててね」
再び美代子が腰を落とした。
ぁぁぁぁー。
か細い悲鳴を残して、私は再び大空へと射出された。
※※※
「老けたぁぁ。今ので絶対5歳は老けたぁー」
私は地面に突っ伏しながらこみ上げる
「大丈夫、別に変わってないわ。いつものあなたよ」
美代子が私の背中をさすりながら励ます。
「ごめんなさい。富士急ハイランドに行った初めてのデートを思い出して少しはしゃいじゃったわ」
「そのデートの時でも六回連続でフリーフォールは乗らなかったけどな」
あの後、地獄の自家用フリーフォールを繰り返して私達は目的地の●●中央公園に到着した。今は、公園の片隅にある小さな林のような場所に潜んでいる。
「……それで、他の戦闘員逹はどうやってここに来るんだ?」
「そうねえ、普通に電車とかバスで来るらしいけど」
幹部と戦闘員の能力格差、えげつないな。
「じゃあ、ここで待つか」
そう言って地面に座った横の植え込みを見ると、植え込みから3つくらいの黒ずくめの頭が生えていた。
「うわっ」
私が声を上げると、木の陰や茂みの間から、どこに潜んでいたのかというくらいワラワラと黒ずくめの戦闘員逹が這い出して来る。
「あら、皆さんもう来てたのね」
美代子が声をかけると、戦闘員逹が一斉に片手を上げてイーッ!と叫ぶ。
「あなた、こういう時どうしたらいいの? 私、今まで部下なんて持ったことがないからよくわからないわ」
美代子が声を潜めて私の耳元でささやく。
「まあ、まずは簡潔にこれからやることを説明する事だろうな。あんまり高圧的なのもよくないが、多少は威厳も必要だ」
「……難しいのね。うまく出来るかしら」
「一樹と一緒に見てたヒーロー番組にも、幹部っぽいキャラはいただろう? それをイメージしてみたらどうだ?」
私のアドバイスに、美代子は何かをつぶやきながら辺りを行き来し始める。
私はその間にショルダーバッグから夏用のマフラーを取り出した。
これは去年、美代子が「少しオシャレな格好してみたら」と言ってプレゼントしてくれたものだった。私はマフラーを目の部分だけを残して頭に巻きつけ、余ったところは家から持ってきたクリップで留めた。
丁度そのころ、美代子が戻ってきた。
「あなた――って、どうしたの? その格好」
「さすがに悪の組織と一緒にいることが発覚したらマズいだろ? 顔バレ対策だ」
「そうよね。ごめんなさい、気を使わせて」
「気にするなよ。それで、いけそうか?」
「え、ええ、やってみるわ」
美代子が、戦闘員逹に向き直る。
「みなさ……皆の者、よく聞け。我々はこれからイリョクテーサツ任務に入る。各自、魔人王ゲシュターク様のために全力を尽くすのだ。ゆくぞ、皆殺しだー!」
戦闘員逹が一斉に、イーッ!と叫ぶ。
「おい、殺しはダメだろ」
「はっ、いけない、つい勢いで……。皆の者、訂正! 殺しはなし、よいな?」
再び戦闘員逹が一斉に、イーッ!と叫ぶ。
「では、かかれーっ!」
こうして、見目麗しい美代子=ミスティックムーンに率いられた悪の軍団は、号令の下、昼下がりの平和な公園に一斉に襲いかかった。
※※※
公園は、突如現れた謎の集団により大混乱に陥っていた。
ピクニックにきていた親子連れの弁当のおかずを奪って食べる者。
公衆トイレの壁にストリートアート気取りの落書きをする者。
あちらこちらで爆発物(花火?)を破裂させる者。
銅像によじ登り記念写真を撮る者。
……むう、悪事には違いないが、どちらかと言えば迷惑行為と言うほうがしっくりくるな。やってることがタチの悪い酔っぱらい集団と変わらないし。
こんなんでいいのか?
美代子の方を見ると、やはり頬に手を当てて首をかしげている。
「美代子、ほんとに指令はこれで合ってるのか?」
「うーん、何か違うような……。これって荒れる新成人のニュースを見てるみたいよね」
「確かにそうだな」
その時、私達のほうにガシャ、ガシャと重い金属音を響かせて、何者かが近づいてきた。
「あ、ミスティックムーン様ですかぁ。中央線で人身がありまして遅れてすんませんですぅ。ワタシ、ジェネラルゲソー様の命令で来たヘルプの怪人マッスルオオカミと申しますぅ」
身長が2メートルはあろうかと思われる、上半身ムキムキのオオカミの姿をしたそれは、美代子の前に来ると頭を下げた。
「まぁっ。それはご苦労様です。見ての通りどうも攻撃に迫力が欠けているように思えるのだけど、何か手はあるかしら?」
「お任せくださいぃ。それでは今回は威嚇モードということでぇ」
怪人マッスルオオカミが左手のコントローラーに何かを打ち込み、右手にぐるりと巻かれた筒状のものを宙に向ける。
「では参りますぅ。マッスルランチャー発射ぁ」
立て続けに3発の射出音が鳴り、弾頭状の物体が煙の尾を引きながらバラバラの方向に飛んで行く。
それらが地面に落ちた瞬間、激しい爆発音と爆煙が次々と巻き起こり、辺りはさらなる悲鳴や怒号で溢れかえった。
「おい怪人。あれ大丈夫なのかよ!?」
「威嚇モードなので、見た目は派手ですが殺傷能力はほぼゼロですぅ」
「ならまだいいが(いや良くはないが)」
美代子は今日の任務は威力偵察と言っていた。それならこの辺りが潮時だろう。
「美代子。……美代子?」
傍らにいたはずの美代子の姿がなかった。
「美代子っ、美代子どこ行った?」
辺りを見渡すと、美代子は数メートルの高さがある銅像の上に、優雅に脚を組んで腰掛けていた。
逃げ惑う人、泣き叫ぶ子供を見下ろして、楽しそうに笑っている。
「美代子……」
私はこの時、自分の考えの浅はかさを激しく後悔した。
そうだ。いくらユルくふざけて見えようと、ここにいるのは悪の組織なのだ。
ザコ扱いの戦闘員も、普通の人間に比べればはるかに強く、あの怪人も本気を出せばここで大惨事を引き起こせるのだ。
そして、指揮官として悪事に加担して逡巡する事もなく笑っている美代子――。
いや。美代子が本心でそんなことを望むわけがない。少なくとも、オレの知っているお前は逃げ惑う人や泣いてる子供を笑って見ているような人間のはずがない。
やっばり改造の影響でどこか感覚がおかしくなっているのか?
とにかく、今は不測の事故が起きる前に美代子を引き上げさせなければ――。
私は美代子の下へ駆けつけた。
「美代子! もう十分だろ、そろそろここを――」
その時、辺りに凛とした声が響き渡った。
「そこまでだ。ブラックザザーン!」
ん?
「世界の安寧を脅かす」
「悪の因果に囚われし者共」
「
「その野望、決して見逃しはしない」
ああ、そうだよなあ。
「とおっ!」
だって、悪の組織が存在するんだから。
五色の鮮やかなコスチュームとマスクに身を包んだ一団が、野外音楽堂のテラスの上に降り立つ。
「我ら、
そりゃこういう人達だって、いるよなぁ。
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