2章 初出撃で妻が大乱戦を繰り広げます

#2-1 妻が魔装備を使いこなせずにいます

「ああ、あなた、どうしよう。少し緊張してきちゃった」

 美代子が長いまつげを瞬かせながら、部屋の中を行ったり来たりしている。

「まあ落ち着けよ。それより、準備は進んでるのか」

「それがさっぱり。全然覚えられないの」

 美代子がため息をついてテーブルの上に分厚い冊子を置く。

「20年位前のパソコンの取説みたいだよな。ユーザーフレンドリーの欠けらもない」

「そうなの。機能はいっぱいあるみたいなんだけど、とても明日までに全部覚えられそうにないわ」

「とりあえず最低限必要なものだけ覚えることにしたらどうだ? オレも少し読んで見るから」

「ええ、お願い――」


 日曜日の午前中、一樹はサッカークラブの練習に出かけ、家には私と美代子だけだった。

 私達家族は、昨日バーベキューに出かけた先で、ブラックザザーンと名乗る悪の組織に拉致され、妻の美代子41歳はモデルと見紛う美しい女性に魔改造されてしまった。太古の最強女戦士の魂と融合した美代子は、その実力を買われて悪の組織の女幹部として採用されることになり、おかげで私達は解放されたのだが、帰り際に渡されたのがこのマニュアルだった。

 美代子の装備、あるいは身体そのものには様々な機能や能力が秘められているらしいのだが、それを読むのが苦痛なのだ。

 例えば、こんな感じで――。


【輝ける魅惑の瞳(シャイニングアメイジングダイヤモンド)】

 両目に魔力を集中し、「光あれ」と念じることで、両目からまばゆい光を照射し敵を幻惑します。さらに追加の効果として、催眠状態に陥らせることも可能です。


 いや、「輝ける魅惑の」で「シャイニングアメイジング」はまだ許すとして、なぜ「瞳」に「ダイヤモンド」を当てるのか。

 この中二感あふれるルビのせいで、逆に単語が全然入ってこない。

 むしろ無い方がましだと思い塗り潰そうともしてみたが、インクの類が全く乗らない素材でできているらしく、テクノロジーの無駄使いにさらにイライラが増してくるのだった。


「あ、もうこんな時間。お昼用意するわね」

 美代子が時計を見て慌ててキッチンへと向かった。

 私は、美代子のために他に何か覚えておいた方がいい機能がないかマニュアルにもう一度目を通す。

 なぜ美代子がこんなに焦っているかといえば、明日初めての出勤……もとい出撃することが決まったからだ。

 昨夜、私達が家に帰ってからまず最初に始めたのは美代子の格好をどうにかすることだった。女王様のような美代子の服は、どういう仕組みかわからないが一体成型のように外すことができなかった。そこで渡されたマニュアルを読んでいくうちに、形態を変える機能があることがわかった。


【索敵形態(サーチ&シークモードα《アルファ》)】

【戦闘形態(バトルモードβ《ベータ》)】

【究極戦闘形態(アルティメットバトルモードΩ《オメガ》)】


 常日頃から部下にわかりやすい資料作成を指導している身としては、最後に無意味に付されているαやβの意味がわからず、この時点でキレそうになったがそこは一応堪えておいた。

 美代子の女王様のような格好はバトルモードβに該当するらしく、マニュアル通りに索敵形態モードのコマンドを打ち込むと、一瞬のうちには元の美代子に戻った。

 ちなみに、コマンドとは美代子の左手首に巻かれた薄型のコントローラー状のもので入力するのだが、見た目はスーパーファミコンの頃のコントローラーみたいで、お世辞にも格好いいとはいえない代物だった。


「お待たせ。今日はあり合わせでオムライスにしたけど、いいかしら?」

「ああ、もちろん。ありがとう」

「あ、せっかくだから写真撮っておく?」

 美代子は私の隣に来ると、オムライスと一緒に写るように自撮りを始めた。

「それどうするんだ?」

「昨日帰る時にスマホとか返してもらったでしょ? でもよく見たらいつの間にか知らないアプリを入れられてたみたいなの」

 美代子のスマホの画面には、「BZ-BOOK」というアイコンがあった。

「BZ……て、ブラックザザーンのことか」

「ええ、たぶん組織の専用アプリみたい。そしてSNSの機能もあるみたいよ」

 美代子が何かを画面で打ち込む。

「これでいいのかしら。……ほら」

 美代子がスマホの画面を見せる。

 そこには「@mysticmoon 今日はお昼にオムライスを作ってみました!」という文字と、先ほどの2人で写った画像がアップされていた。

「……いまどきの悪の組織ってのは、いろいろやってるんだな」

 そう言ってオムライスを食べようとした時だった。

 美代子のスマホが激しく振動し始めた。

「やだ。どうしたのかしら……」

 スマホを覗いた美代子が困惑の表情を見せる。

「あなた、大変。『イーッ!ネ』がいきなり100件くらい来てるわ」


 @sentouin14 ムーンタンのオム、うらやましイーッ!

 @sentouin6 オッサン邪魔w もっとムーンちゃんのアップを

 @sentouin28 独り身への飯テロリア充攻撃包括的禁止条約


「sentouin」て、戦闘員のことか? 暇かよ、この悪の組織。

 そして戦闘員6番、今度会ったら蹴ってやる。


「大人気だな」

「中身はオバチャンなのにねー」

 そう言って、目の前の美しい女性――美代子は笑った。


 そうだな。見た目は全然違うけど、美代子であることに違いはない……よな。


「どうしたの? 何か言いたそうだけど」

「いや、いざとなると心配になってきたんだよ。なんだかんだいっても悪の組織には変わりないだろう? 成りゆきとはいえ美代子をそんなとこに行かせていいのかと。場合によっては、人を傷つけたり、サイアク命を奪うようなことだってないとは……」

「んー、明日の任務はそういうことはない、って聞いてるけど……まぁ、でもそうなったら増えすぎた雑草を抜くようなものだし、いいんじゃない」

 オムライスを口に運びながら、美代子が屈託のない微笑を浮かべる。

「庭仕事みたいにさらっと怖いこと言うなよ」


 ――待て。素は美代子だけど道徳観念とかが悪側にカスタマイズされてる気がするぞ。本当に大丈夫なのか?


「……よし、わかった。明日はオレも同行しよう」

「ええ!? それは心強いけど、会社はどうするの」

「休日出勤した分がけっこう溜まってるから、代休にでもするさ」

「よかったー。ほんとはとっても不安だったの。あなたも来てくれるなら、明日は頑張ってお仕事するわね!」

「お、おう」


 それ、間違いなく悪事なんだけどな。

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