#1-2 妻が悪の女幹部として就職します

「うーん、何をされたか? やっぱりぼんやりとしか思い出せないわね」

 美代子を名乗る若い女性は、ポテチをかじりながら首を傾げる。

 私達は、手元に残されていたお菓子を食べながらこれまであったことを話していた。

 女性がポテチを飲み込んだ後に、人差し指をペロッと舐める。

 それは、美代子がよくやる癖だった。

 話し方や今の仕草といい、外見を除けば女性は美代子そのものだった。

「本当に、美代子なんだな……」

「そうよ、やっとわかってくれたの?」

 おそらく、美代子は自分の身に何が起きたのか把握していないのだろう。

 鏡でもあれば話が早いが、あいにくここには何もない。

 私は美代子に向き直り肩に手を置いた。

「美代子、聞いてくれ。お前に伝えておかなきゃならないことがある」

「え? 急にどうしたの」

「美代子。今、お前は…………美女になった」

 一瞬間をおいて、美代子の顔が真っ赤になった。

「や、やーね。いきなり何言うのよ。一樹が見てるじゃない」

「ふざけてるんじゃない。お前は美女なんだ」

「もう、恥ずかしいわね。……二人目はさすがに無理よ」

「いや、そういう話じゃなくてな――」


 その時、先ほどよりもはるかに多い人数の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 同時に、強い光が部屋の中を照らし出す。天井にあったライトが不意に点灯したのだ。

「くっ、今度はなんだ」

 私は美代子と一樹をかばうように背後に下がらせると、扉に向かって対峙した。

 軋むような音をたてて扉が開くと、私達を拉致した黒ずくめ逹が5~6人ほど中に入ってきて壁際に整列する。

 続いて現れたのは、全身を金色に輝かせ首回りに何本も触手のようなものをぶら下げた恰幅のいい男だった。男の頭部は筒状のもので覆われ、頭頂部のあたりには三角形の板のようなのものが付いている。丸くくり抜かれた顔の部分からは、金粉を塗った中年男の顔が丸見えだった。


 ……イカ?


 黒ずくめの集団がビシッと片手を上げる姿勢をとると、金色のイカ男が口を開いた。

「我は、魔人王ゲシュターク様が率いる悪の組織ブラックザザーンの大幹部、ジェネラルゲソーである」


 …………。


「すまん、もう一回頼めるか? 悪の組織ぐらいしか頭に入ってこなかった」

「……我は、魔人王ゲシュターク様が率いる悪の組織ブラックザザーンの大幹部、ジェネラルゲソーである」


 ゲソ……やっぱりイカなんだ……。


「その悪の組織が私達に何の用だ。それに、美代子に何をした!?」

 私の問いに、金色イカ男――ジェネラルゲソーが片方だけ口角を上げる。

「うむ、その女は我等ブラックザザーンの戦力とするべく、改造手術を施した」

「ちょっと! ひどいじゃない。本人に断りもなくそんなことするなんて」

 美代子が私の横に出てきて当然の抗議をする――って、デッカいな、美代子。

 身長が150センチをちょっと超えるぐらいだったはずの美代子の頭が、今は身長175センチの私とほぼ同じぐらいの位置にある。

 というか、明るいところで改めて見ると、すらりとしたメリハリのある身体に長い手足、ほんとにモデルにしか見えない美しい姿の女性がそこにいた。

「改造って……美代子の要素が1ミリも無くなってるじゃないかよ! もうこれは新造とか魔改造の領域だろうが」

「魔改造……。なるほど、言い得て妙だ」


 いや、感心するなよ。


「いったい何のために美代子を改造したんだ!?」

「ふっ、よくぞ聞いた。我等ブラックザザーンは最終的には世界を統べることを目的としている。しかし、魔人王ゲシュターク様は復活されてまだ日が浅く、残念ながらまだ我々の戦力は十分ではない。そこで、素質のある人間を見つけては、太古に滅んだ魔人族の魂を融合して戦力の拡充を図っているのだ」

「……そっちの事情はわかったが、だとしたら人選ミスだろう。言っちゃなんだが美代子は運動は苦手だし、けっこう小心者だぞ。戦闘向きじゃない」

「あ、ひどい。そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃない」

 美代子が可愛らしく頬を膨らます。

「人としての能力、性質はそれほど重要ではない」

「どういうことだ?」

「魔人族は太古に滅んだ。しかし、その血を受け継ぐもの――すなわち魔性ましょう因子いんしを持つものは、この世界にもわずかながら存在する。その魔性因子が高ければ高いほど、より強き魔人の魂と融合する事ができるのだ」

「え? それってもしかして――」

「その通りだ、田上美代子。お前は非常に高い魔性因子を秘めている。お前に融合したのは、かつて魔人族最強の女戦士と謳われた『アドギラ』の魂だ。我々はお前の力を欲している。さあ、魔人王ゲシュターク様とブラックザザーンのもとへ来るがよい。もちろん、その力に見合った地位も与えよう!」

 美代子が私の腕を掴んで顔を寄せてくる。

「あなた、どうしましょう? これってヘッドハンティングというものかしら」

「美代子。そこ食いつくとこじゃないから」

 私は、ジェネラルゲソーに向き直った。

「納得はしてないが、状況は理解した。で、それと美代子が別人みたいになった理由が結びつかないんだが」

「ふむ。魔人の魂と融合した者は、少なからずその影響を受ける。おそらくは、アドギラの強い魂の影響を受けて、容姿がアギドラに近いものに変化したのであろう」

 私はもう一度美代子を見た。


 こんなに美しくて最強の女戦士って、どんなチートキャラと融合したんだ、美代子は。


「せっかくのお誘いですけど――」

 その時、美代子が声を上げた。

「私、夫と子供がいるので、あまり家を空けることはできません。なので、やっぱりこのお話はなかったことにしていただけないでしょうか」

「なるほど。その二人が障害となるのであれば、問題はなくなるというのだな」

 ジェネラルゲソーが指を鳴らすと、壁に立っていた黒ずくめ達がジリジリと私達との距離を縮めてくる。

「く、一樹、こっちへ!」

 私が一樹を抱えてしゃがみ込んだその時――。

 私は見た。

「夫と子供に手を出さないで!」

 そう叫んだ美代子がフワリと跳躍する。

 それは、まるでバロネを跳ぶバレリーナのような美しい所作だった。

 次の瞬間、空中でねじ切れるかと思うほどの捻りが加わった美代子の身体が、一気に解き放たれたように回転し、伸ばした足先に触れた黒ずくめを4人まとめて壁まで弾き飛ばす。

 正確には目で追いきれていないが、三回転はしたように見えた。

 美代子は、そのまま何事もなかったように優雅に着地する。


 信じられない。スキップすら怪しかった美代子がこんな竜●旋風脚みたいな技を使うなんて――。


 残りの黒ずくめ達が戦闘態勢をとろうとした時、ジェネラルゲソーがすっと手を上げた。

 黒ずくめ達は静かに引き下がる。

「そこまでだ。気を悪くしないでくれ、少し融合の成果を試したかったのだ」

 ジェネラルゲソーが美代子に向かって手を差し出す。

「その上でもう一度言おう。お前の力を我等のために使う気はないか? できる限りの望みは叶えよう」

 ジェネラルゲソーの言葉に、美代子は逡巡しているようだった。


 美代子、何を悩んでるんだ。そんな誘い早く断って――。


 そう言いかけた時、美代子が口を開いた。

「いくつか条件があります」

「聞こう」

「えーと、息子の一樹のこともありますし、フルタイムで働くのは無理です」


 おいおい、相手は悪の組織だぞ、パートの面接じゃあるまいし。


「週3でよしとしよう」


 いいのかよ。


「それと……、その、お給料はどのくらいでしょうか」

「当然の懸念だな」

 ジェネラルゲソーが指を何本か立てる。

「これでどうか?」


 結構いいなオイ。


 美代子は、頬に手をあてて暫く考えこんだあと、スッと頭を下げた。

「未経験者ですが、よろしくお願いします」


 美代子ぉ?


「素晴らしい。聞け! 皆の者。今日より我等が組織に頼もしき戦士が加わった。田上美代子、いやお前には誇り高きアドギラの二つ名『ミスティックムーン』を与えよう。新しき女幹部の誕生を盛大に讃えよ」

 黒ずくめ達が、一斉にイーッ! イーッ! と歓声を上げ始めた。

「ミスティックムーン……ちょっと素敵かも」

「おい、美代子。どういうつもりだ? こんな得体の知れないヤツらと一緒に働くなんて。あー、イーイーうるさいな。一樹、お前も一緒になって拍手とかするんじやない!」

 美代子は、私に向き直ると小さく頭を下げた。

「あなた……。ごめんなさい、勝手に決めちゃって。でも、一樹もこれから塾とか受験とかでお金が必要になってくるでしょ? それにね、母親が働く姿を見せるのは、一樹の教育のためにもきっといいと思うの」

「美代子……お前」


 けどな、これ悪の組織だぞ。


(1章 終)

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