7 クラブ勧誘の真相(3/3)

 それより、と灯里は言った。


「この話って、栄でドレスを下見した日の件に繋がるんじゃない?」


 もう二週間も前になるか。

 灯里は栄のドレス屋で凛子と交わした会話を思い出していた。


『そろそろガス欠を起こす頃かと思って』

『私が何に対してガス欠するの?』

『もちろんカラオケ部の活動よ』

『あ? 遊びに誘ってきたのは先週の日曜じゃんね。順序が前後してない?』


 なぜ灯里はあの日さかえに呼ばれたのか。凛子から返ってきた答えには<時間軸に矛盾>があった。

 けれど、灯里の入部が凛子に計画されていたものであったなら、少なくとも時間的な矛盾はなくなるのではないだろうか。


「今さら気づいた?」


 凛子が言った。

 その眼差しはほとんど侮蔑ぶべつに近く、灯里はよくこんなにころころと表情が変えられるものだなと感心した。


「気づいたっていうほどでもないんだけど……でも私の入部前後に関する話、っていう点では繋がってるじゃんね。だから、もしかしたらそうなのかな──ってレベル」


「二つの話を噛み合わせただけでも、あなたにしては上出来よ。でも、そうね。確かにややこしい話だから……いいわ。緻密ちみつに練り上げた私の計画の一部を、ちいちゃな灯里のちゃちい脳みそでも理解できるように、要点だけまとめて教えてあげる」


「うるさいな」


 ひとつ目の階段に足を掛けた凛子を、灯里は斜め下からじろりと睨む。


「要するに――」


 凛子は灯里が入部する前から、灯里にディレクターの素質があることを見抜いていた。次期部長となる凛子としては、これを逃す手はない。カラオケ部で抱き込もうと考えた。

 とはいえ灯里もなかなかの曲者である。さすがに親友は灯里の性格を心得ており、灯里がそう易々と入部届けにサインしないだろうと判じたそうだ。


 そこで凛子は一計を案じた。灯里をドレスの下見に誘ったのである。


「それが<一度目の約束>――私が入部する前にしてた約束?」


「そう。その約束は言うまでもなく、<灯里を入部させるための伏線>よ。あなたが退屈な日々を過ごしていることは前から知っていたし、けれど偏屈なあなたはきっと、自分に対する言い訳が立たないと入部しないと思ったの。意固地よね。

 それでドレスよ。『カラオケ部に入ればドレスが着れる』――そういう理由を用意したワケ。別にこれはドレスじゃなくてもよかったのだけれど。あなたが欲しいのはだものね。それでも一応、それらしい理由を用意したの。感謝なさい」


 ……なのに、と言って凛子は悔しそうに歯を噛んだあと、きっと灯里を睨んだ。


「ずぼらなあたなは約束をすっぽかして……。おかげで計画も台無しよ。それで仕方なく一晩で計画を練り直して――なかば無理があったけれど、まぁまんまと入部してくれたわね」


 その練り直した計画というのが、「学校カラオケ」である。

 要は灯里を釣るための餌を、「ドレス」から「学校カラオケ」に変えたのだ。

 おかげで灯里は詐欺にでもあったような思いをした訳であるが。


「でも一つ解らないんだけどさ。晴れて私は入部した訳じゃんね。それならもうドレスを見に行く必要なかったんじゃない? 凛子、怒鳴って呼びつけるんだもん。私、光里との約束ぶっちしちゃったよ」


「そんなの自分の所為せいじゃない」


 言って、凛子はと前を向く。つかつかと階段を上がっていくその背中を、灯里は急いで追いかけた。


「……けれど、ドレスショップでなくてもよかったのは事実。それは灯里の言う通りよ。それでも、あなたを呼び出す必要はあった。<二度目の約束>は『灯里のモチベーションを確認するため』だから」


「ああ」


 そういえば栄でそんなことを言っていたか。

 別にどこでもよかったの、と凛子はもう一度言った。


「あそこに呼んだのは、物のついでよ。学園祭で着るドレスを探しているのは本当だし」


「結局ドレスは買ってなかったけどな。

 それはそうと、そんなにスケジュールを詰める必要あったの? わざわざ学校カラオケなんてしなくてもさ、一週間待ってから一緒にドレス見に行って、それで勧誘すればよかったんじゃねえの? なんで計画をずらさなかったの?」


「それはだって、もうじき先輩たちが抜けるじゃない。灯里を除けば部員は三人よ。スムーズに世代交代するためには一日だって早い方がいいのよ。灯里は鈍感だから分からないでしょうけど、カラオケ部は切羽詰まってるの。今日みたいに突発でクレームがおりてくることもままあるし……現に今灯里がいてくれて、カラオケ部はとても助かってるわ」


「危うく辞めるところだったけどな。最初からディレクターとして入部させてくれたら良かったのに。こんなに時間かけてさ――」


「だから、私は当初からそのつもりでいたんだってば。でも、部長を口説いて、顧問を口説いて、もちろん学校にもORCA/noteオルカ・ノートにも話を通さなきゃならない。ごめんね、時間がかかるのよ」


「まぁいいけど。こうして入館証も手に入った訳だし」


「何それ。本当、助け甲斐のない性格してるわね」


 灯里はポケットから入館証を取り出し、手持ち無沙汰に指で遊ぶ。階段を照らすか細い光が、きらりとカードに反射する。



「そう言えば『防音室』の問題はクリアしたの?」


「何よ、防音室の問題って」


「いや、『防音室が足りないから』って私、ディレクターになるの断られてたんだけど……。でも入館証が貰えたってことは──つまり、私の席は用意できたってことだよね?」


「ないわよ」


「────っ!?」


 変な声が出た。


「な、ない!? って、何それ! まさか、ここまできてまた雑用させられるとか!? 『助っ人』ってそういう意味!? やだよ、そんな──そういうつもりならマジで辞めるからね!?」


 だだだっと階段を上り、凛子に並ぶ。肩を揺する。凛子は実にいやそうな顔をした。


「少しは私を信用することね。それから────自分の力も。あの試聴会の日、灯里はきちんとチャンスを物に出来ていた。偉かったね。私を含め、全員が目を見張った。もちろん、ブドウ君もよ。ブドウくんはあの日すぐに決めたみたいよ。試聴会が終わるなり、『織部灯里をディレクターに』って顧問にメールしてたようだし、顧問も部長が言うなら、って、すぐに学園とORCA/noteオルカ・ノートに掛け合ってくれたわ。ディレクターチーム全員が、あなたを歓迎してる」


 親友がするすると述べるそのセリフを、灯里は途中からまともに聞いていられなかった。こらえきれそうにない何かが喉に支えるのをようよう呑み下す。


「──これだけ言っても、まだ防音室にこだわる?」


 そう言い足し、凛子はまっすぐな視線を寄越す。大きな瞳は、薄暗い廊下でもきらきらと濡れたように光る。


「……いや、いい」


 分かればいいの、と凛子はスカートを翻し、薄暗い廊下を歩きはじめた。


「『助っ人』は『助っ人』よ。いずれ解るわ、私の壮大な計画の全貌が。それまでせいぜいコマンダを運びながら、カラオケのを学ぶことね」


 凛と張ったその背中を見送りながら、灯里は、

(こいつがいなかったら私、どんな人生だったんだろう)

 と想像してしまい、すぐにぶんぶん、と大きくかぶりを振った。それはあまりに怖い。


 入館証をポケットに入れてファスナーを上げる。闇に溶け入りそうになる彼女を追いかけた。



 しばらく会話がなかった。灯里はぼんやりした気持ちで暗い廊下を歩いた。

 だから。

 凛子がいつの間にか筒状に丸めたプリントを後ろ手に忍ばせていたことに、灯里はまったく気づかなかった。

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