2 追いかけっこ
完全下校時刻というものがあるのを、
午後六時を過ぎると、校内は最低限の照明だけを残したエコモードに変わる。
学生のための健全な時間はいかにも終わり、深々と
なんだって夜の館内というのはこれほど空恐ろしいのだろう。これなら夜道の一人歩きのほうが百倍マシだった。
非常口の緑灯も、灯里は苦手である。
だから帰りが遅くなった日は昇降口までの
――そして。
次の瞬間、
横合いからいきなりぬっと現れた白い影に、灯里は死ぬほど驚いた訳である。
「――――っ!?」
右半身が、腕と言わず胸と言わず、ぞっと
すらりとした白い四肢。
癖のないロングヘア。
見上げるほどの身長。
灯里が視線を上げたその先――その顔。モデルばりに整った顔立ち。
「――り……んこ?」
そこに
灯里も心底ぎょっとしたが、凛子も胸を
「……あ、灯里?」
互いに目を丸くし合う。
その目を、凛子はさっと教室の中へ向けた。灯里も釣られて目線を追う。
凛子は目
灯里が肩に提げているもの――スクールバッグ。
途端に凛子の表情が
「どこへ行くのかしら?」
ずいと身を寄せてくる。
「いや、これは」
言いながら灯里も一歩後退した。肩に掛かるバッグの持ち手を、両手でぎゅっと握りしめる。
言葉が続かない。適切な言い訳が見つからない。
「……ぅ、あ」
喉からはまるで首を絞められたときのような、苦しい喘ぎばかりが続いた。
だから、
「――さようなら!!」
猛烈な勢いで身を
「――え!? はあ!?」
後ろから
「なんで――逃げるのよ!?」
「にげ、――にげてない!」
逃げてなんかない。むしろ灯里は――
・
闇に対する恐れも不安も吹き飛んだ。
迫る親友を
本当は凛子が現れた方向に足を向けるつもりだった。
昇降口への経路はその一本しか知らない。
――でも校舎、まわってるし。
じゃぁ何でもいいから走り続ければ、そのうち必ず知っている場所に出られる――はずだ。
走っていると突然視界が開けた。
廊下の左手に続いていた壁が、突如、手すりに変わったのだ。
(ホール? 踊り場?)
よく判らないけれど、天井の高さもいきなり段違いに高くなった。どうやら吹き抜けの空間である。その中央で巨大な
手すりに走り寄って階下を見下ろすと、月明かりにぼうっと浮かぶ白い階段は途中で闇に
こんな場所知らない。
一体ここが何号館なのかも知れない。
知らないけれど、昇降口が下だということは分かる。
「灯里っ!!」
「――ひっ」
叱りつけるような声を背中に浴びて、灯里は肩を飛び上がらせた。反射的に見返る。視界のずっと奥――廊下の曲がり角に手をかけた凛子が、ぜえぜえ息を切らしながらこちらへ歩み寄ってくる。
「な――なんで
灯里は慌てて階段を下りた。
「灯里が、はぁ、逃げ、――はぁ……逃げるからじゃない!」
「お前が追うからだろ馬鹿野郎!」
足元は心底暗い。
自ら闇に体を沈めに行くようなものだった。
たんたんたん! と軽快に掛け下りていきながら、ときどきつま先が階段の
「ねぇ……! はぁ、ど、どこ行く気なの……!? さよなら、って何よ!? ――ていうか私が……運動苦手なの知って、知ってるでしょ……ほんと、もう、止まってったら!」
言いながら凛子お嬢様は小刻みに体を上下させながら駆け下りてくる。
灯里とはちょうど階段の対極を回っており、横目に見た凛子は本当にシンデレラのような、お上品な走り方だった。
「トイレだよ! ついてくんなよ!」
「上にも……、お手洗いあるじゃない!」
目が慣れてきたからか、ぼんやりと底が近づいたのが判った。
目線の高さが二階を下回り、ようやく一階が見通せた。幸いにも見覚えがある場所で、ここから昇降口はそう遠くない。
――逃げきれそう。
そう思ったのが不運だった。
油断した灯里は階段を一段踏み違え、あっ、と思った時にはもう体が傾いていた。
後方で小さな悲鳴が上がる。
灯里はでもしっかりと手すりを握っていたから、転倒だけは
「――いったぁああああい!」
手首の関節に釘を打たれたような痛みが走り、灯里は
「ちょっとちょっとちょっと」
凛子は早口でちょっとを何度も繰り返しながら駆け寄ってきた。
「灯里! だいじょ――あ! ちょっと、ねぇ! あんたいい加減にしなさいよ!」
灯里は右手で手首を抱えながら、それでも、走った。
しかし痛みを抱えつ、灯里もそろそろ限界なのである。
「やめろよお前……! 追っかけ回すとか、ほんと……、監視されてるみたいで、はぁ――
「はぁ、そんな……監視したこと……一度も、ないよ……」
……二人は走っているつもりでいる。
それでも
――結局。
やっと灯里が自分の下駄箱にたどり着いた時、凛子も灯里にたどり着いた。
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