3 それぞれの言い分

「……満足かよ……はぁ、はぁ……これで連れ戻せるな、コラボ室に」


 息絶え絶えになりながら振り絞った言葉。

 灯里あかりは下駄箱に背をもたせながら、きつく親友を睨んだ。


「だから、そんなつもり……ないってば」


 凛子りんこも同じ下駄箱の少し離れた位置で、片手を下駄箱に預けつもう片手を膝に当てて息を整えている。


 暗澹あんたんたる昇降口。

 二人はしばらく無言で荒い息をわし合った。

 凛子の肩越し――廊下のずっと奥に緑灯がうかがえた。今さらなんの恐ろしさもない。


 ただ心配しただけよ、と凛子は息と息の間に短く吐露した。


 ――電気もパソコンも点けっぱなし。


 ――そのくせ鞄はバッチリ背負って。


 ――どこ行くか尋いただけなのに逃げるから。


 だから追ったのだ、と。


「……カラオケが……いやになったのなら、仕方ない。誰も、無理強いしてないし、辞めてもいい……」


「辞めるなんて……言ってない、じゃん……」


「……じゃぁ、……続けるの?」


 灯里は返事せず、ただぜえぜえと肩で息をした。

 少し俯くと鼻先から汗が滴り落ちて、床に敷かれたすのこに、こん、と跳ねた。

 凛子も汗こそ流していないものの、自慢の艶髪つやがみはあちこち跳ねているし、スカートも変なところで折れている。その佇まいにいつもの余裕は微塵も感じられない。


 しじまに満ちた空間で、二人分の荒い息はこれでもかと言うほどうるさい。

 喉がからからだ。

 つばすら出ず、灯里は軽くえずいた。

 立っているのも辛かった。

 その場にしゃがみ込んでぺたんとすのこに尻を着けると、下がった視線の先に星空が見えた。夜空の底に学園を覆う雑木林のシルエットが茂り、さわさわと葉先を揺らしていた。


 へたり込んだ灯里を見てもう逃げないと踏んだのか、凛子は灯里から目を離し、下駄箱に背を預けて深い息を吐いた。


「さっきも言ったけど、辞めるのはいい。でも……急にいなくなるのだけはやめて」


「……っ!?」


 呆れを通り越して驚いた。

 二の句が継げない。――それをお前が言うのか、と開いた口が塞がらない。


 灯里は眉をひそめて、また親友を睨んだ。


「あ……いや、ごめん」


 凛子はきまり悪そうにそう言った。



 それにしてもこんな走ったのっていつぶりだろう。

 汗を掻くほど走った記憶――たぶん小五の頃か。凛子りんこは何も言わずに灯里あかりの前から姿を消したことがあった。


(それで必死に町内を捜し回ったっけ)


 凛子も昔は灯里の家の近所に住んでいた。

 小五も終わろうとする春の頃、何の予告もなしに忽然こつぜんと、凛子は家ごと姿を消した。――いや、家はさすがに残っていたけれど、要するに転居である。

 凛子が転校したと知ったのは、長い長いひとりぼっちの春休みが終わり、灯里が六年生に進級してからのことだった。


 そういう事情で、凛子との関係は一度途切れている。

 まぁ。

 ここ名依めいい学園の中等部に入って再会した訳だから、関係が途切れたと言っても一年かそこらである。


 灯里は未だにムカついているけど。



 重い沈黙を破ったのは凛子りんこだった。


「……クレームが大量に送られてきたから嫌気がさした?」


「それ知ってたんだ」


 ブドウ君から寄せられた突発のクレーム案件は、凛子も知るところであったらしい。


 ――でも、違って。


 灯里あかりが教室を飛び出した理由は、そうじゃない。

 けれど、そうぽんぽんと打ち明けられるものでもない。灯里には秘密が多い。


 灯里が返事にきゅうしていると、凛子は勝手に灯里の気持ちを推し量って言葉を継いだ。


「だから戻ってきたんじゃない。クレームってあなたが思ってるより、もっともっと繊細せんさいな問題なの。灯里一人に任せるわけない。梅田君たちは帰っちゃったけれど、奈々千先輩はまだ学校に残っているし、三人で手分けすれば一時間もかからない。……なのにあんたは一人で勘違いして突っ走って……おかげでこのザマよ」


 凛子はつんとした表情のまま片腕で後ろ髪を持ちあげ、反対の手で首筋を仰いだ。


「勘違いしてるのは凛子だろ。別に私はクレームの量に嫌気が差したわけじゃないし」


「だったら何よ?」


「別に。言う必要ないじゃんね。友達だからって何でも聞きだせると思ったら大間違い」


「必要あるわよ。私は副部長よ? 勝手に辞めさせないし、部員が悩んでるのなら聞く義務がある」


「だから辞める気なんてないって言ってんじゃん! そもそも入部したのだって無理やり丸め込まれたからだし、凛子の義務だか責任だかに私が付き合ってやる義理もないじゃんね!」


 言い放ち、灯里はすくと立ち上がる。

 凛子を一瞥いちべつして、灯里は下駄箱を振り向いた。


 ちょうど真後ろ。目線よりずっと高い位置に自分の靴入れがある。本当、名前順とかやめてほしい。こういうのは背の順にすべきである。

 灯里はかかとを震わせながら背伸びして、一番上から二段目の靴入れに手を伸ばした。その時。


「一つ言っておくけどね」


 ローファーへ伸ばしたその手を、凛子は横合いからがっしりと掴んだ。


「痛えよ! ――何だよいきなり!?」


「丸め込まれたのも灯里。入部届に名前を書いたのも灯里。今日も昨日も、パソコン室に足を運び続けたのも、灯里、あなた自身。そこまで自分の意思で行動しておきながら、今になって都合よく私を言い訳に使わないで」


 背伸びしたところで身長差は歴然であり、凛子の目は真っすぐに灯里を見下ろしている。その目はひどく冷たく、灯里は怖くもあり、悲しくもあり、寂しくもあり心細くもあり、たまらず目を伏せた。


 落ちた気持ちと同調するように、かかとがひたりとすのこに着く。


 言い返したいのに、言葉が見つからない。

 頭の中でもがいてみて、結局灯里はますます仏頂面ぶっちょうづらを強める。


「……とりあえず、放せ」


 乱暴に凛子の手を振りほどいて、灯里は舌を打った。

 凛子の言い分の方が筋が通っていると、灯里だって分かっている。


 何を言っても正論を返されて言葉が尽きたというのもあるが、そこそこ消耗した体力で意地を張るのに疲れてしまったというのが正直なところではあった。


 それに、これ以上親友と争うのも本意ではない。


「……カラオケにね、行きたいの」


 楽になりたくて、

 灯里は下駄箱とすのこの境界に目を落としたまま、ぽつりと声を零した。


 もう全部言うから、あとはそちらで好きなように断じてくれ。

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