#9
1 都合のいい二人
その夜。
自室に譜面台を立てた
「お姉ちゃん、今ちょっといい?」
「無理」
「ええ……。いつもそう言うよね。――ていうか何。いま左手隠さなかった?」
言いながら光里は灯里の背後に回ろうとしたので、灯里もそれに合わせて
「見て分かんない? お姉ちゃん、今日は忙しいの」
右手の指先に引っかけていた弓と楽器を、これ見よがしに見せる。左手は、後ろ。
「でもお姉ちゃん、埋め合わせしてくれるって言ってたよね」
「言ったっけ」
「言ったよ。先々週の日曜日。私の話、聞いてくれるって言ってたのに、結局
「ああ……。でも今日は無理。埋める暇も、合わせる時間もない」
なにその言い方、と妹は少し笑った。
「あ、じゃあ明日のお昼は? 学校で。決まり。お昼になったらカフェで待ち合わせよう。――さすがにご飯食べる暇がない、とは言わせないよ」
光里の
「無理むり。明日の昼はグミちゃん――後輩の女の子と用事があるんだよ」
私って本当言い訳に関しては一流だよな、と灯里はしみじみ思った。
もちろん出任せであるが、別に悪気はない。
近頃の灯里といえばゆっくりできる時間は昼時くらいしかなく、その他の時間は授業であったり、カラオケ制作であったり……、他にもアシスタント(パシリ)や楽器の予習・復習、それからレッスン――そんな雑多な予定で埋まっていた。
昼くらいのんびりさせて欲しかった。
咄嗟にグミを言い訳に使ったのは、それ以外の選択肢がなかったからだ。
妹と奈々千はすでに繋がってしまっているし、むろん凛子とも親しい。男どもは言い訳に使うには無理がある。恋人と邪推されるのも
「じゃぁ私はいつになったらお姉ちゃんに相談できるのかしら」
「さあ……。それは、まぁ、そのうちだろ」
そう言って、灯里はまた
光里はしばらく黙って眺めていたけれど、やがて諦めたらしく、「おやすみ」と短く言って部屋から出て行った。
・
妹に<グミを言い訳に使える>ということは、それはつまり<グミに対しても妹を言い訳に使える>という訳であり。
そしてその後輩に遊びに誘われたのが、翌日の火曜日。
六限の授業を終えた放課後、コラボ室でグミと並んでガイドメロディーの採譜をしていた時のことだった。
「先輩、金曜にアスナル金山にドーナツ屋さんがオープンするんですって。帰りがけにちょっと寄りません?」
アスナルとは駅前の複合商業施設のことだ。写真映えする飲食店、小洒落た雑貨屋、それから輸入スーパーなんかもある。
グミの自宅は灯里の自宅とほど近い。小学校区こそ別にしているが、灯里たちは同じ土地に住んでいる。
「無理。せっかくだけど――金曜は妹と先約があるから」
勿論、妹とは何の予定もない。
けれどどうせブドウ君から
そうならそうだと言えば済むのであるが、何ぶんグミは灯里がディレクターチームに首を突っ込みだしたことを、あまり快く思っていないようだった。
機嫌を損ねられるのも面倒だし、だから灯里は何かにつけて断る理由に妹を利用した。
とにかくその日その日を乗り切るので精一杯だった。
充実感などはまるでなく、ぶっちゃけて言えば、この日常のどこに面白みを見出せばいいのか、灯里には不明であった。
グミは小リスのように頬を膨らませ、その後しばらく口を利いてくれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます