7 コンパニオン・プランツ!

 ブドウくんはすぐに戻ってきた。


「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は武藤稔むとうみのり。あだ名は藤稔ふじみのりというブドウの品種に由来している」


 お察しの通り、うちはブドウ農家だ――と、誇らしげに胸を張り、それから握手を求めてきた。


「はあ。じゃぁ私はオリーブです。仲間ですね」


 というか――、


 ピアノ椅子に掛けている灯里あかりは、ほとんど天井を仰ぐようにしてブドウくんの顔を見た。


 ――でかい。


 横ばかりでなく、縦にも長い。それは灯里が座っているからかもしれないけれど、目の前まで歩みを寄せてきたブドウくんは、思った以上にでかかった。


 そして、嘘のようにスマートな手だ、と灯里は握手を返しながら思った。ほっそりした指は、しかし力強く灯里の手を握り返す。

 確か彼もピアノを弾くのだとグミは言っていたが、そうなら、この男が肥えたのはピアノを始めた後だろう、と灯里は推理した。


「ほう。凛ちゃんから人見知りと聞いてたが、案外そうでもなさそうだな」


「…………そういえば、そうっすね。まぁ人見知り、という訳ではないんだけど――」


 灯里は単に気まずい空気になるのが苦手なだけだ。

 とはいえ自己紹介を毛嫌いしているのは確かにそうで、そうならさっきの灯里の発言――『私はオリーブです』などと言う気の利いた返しは、実に灯里らしくない。


(変わりつつあるのかな……だとしたら何が原因で?)


 身の回りの環境の変化、

 ディレクターになりたいという願望、つまり心境の変化。

 変わったものはいろいろある。振り返ればこの一週間いろいろあった。どれが灯里を成長させたのか、そんなことが判らなくなるくらいに日常は目まぐるしい。


 そんなことを考えていると、ブドウくんは何の脈絡もなく話題を変えた。


「ところでオリーブ、ブドウは好きか?」


 ――また訳の分からない質問を。

 たぶんこの場合、オリーブとは灯里のことで、ブドウは果物を指しているのだろう。


 灯里は戸惑った。

 なぜって、ブドウを名乗る男にブドウが好きか問われたのだ。何やら妖怪じみた怖さが無いでもない。


「いや、好きでも嫌いでも……まぁどちらかと言えば嫌いじゃないです」


 灯里は慎重に、遠回しに、当たり障りのない言葉を探す。けれども骨折り損だった。ブドウくんにとって灯里の回答は別に何でもよかったらしい。


「俺はオリーブって好きだよ。……いや、君じゃなくてな。植物のほうのオリーブ。単純に、ブドウとオリーブって、一緒に育てると互いにいい影響を及ぼし合うんだ」


「なんか回りくどくて話が見えないんですけど……なんとなくいま、前向きな話をしてますよね?」


「違うな。これはただの縁起のいい話だ」


(……あっそ)


 ついていけない。

 灯里はふたのしまった鍵盤に額をうずめた。


「まあでもそうだな。ちょうど助っ人を捜していたところだし、げんをかつぐのも悪くない」


「助っ人?」


 ピアノを枕にしたまま、灯里は顔を横に向けてブドウくんを見る。


「いや、こっちの話だ。なんにしたって最終的な決定権は俺に無い。けどオリーブの頑張り次第ではディレクターに推してあげてもいいよ」


「頑張るって何を? 何だって頑張るよ、私!」


 言葉遣いも忘れて食いついた。椅子に膝から飛び乗って、ぐっと顔を近づける。鼻息が荒いのはブドウくんもだけれど、この時ばかりは灯里も大差なかった。


「そうだな……まずは――これかな」


 ブドウくんはピアノ屋根の上に置かれていたシャンパンゴールドの箱に、ぽん、と手を乗せた。


 コマンダ。

 ――が、どうした?


「奈々ちゃんから聞いてるかもしれんが……、コマンダって本来はネットに繋いで内臓音源や新譜の更新をしてやる必要があるんだ」


 それは聞いてない。


「しかし厄介なことに、こいつはORCA/noteオルカ・ノートから借りてる試作機でな。ネットに繋げられない」


「はあ。それで?」


「うん。それで、カラオケ部うちらはいつも、ORCA/noteオルカ・ノート本社に置いてあるソフトを使って更新してる訳だ。つまり、――もう分かるだろ。誰かが学校とORCA/noteオルカ・ノートを往復せにゃならんのだ。週一でな。俺はもうやりたくない」


 試しに、灯里はコマンダを持ち上げようとしてみたが、これがびくともしない。姿勢が悪いのかと思い、立ち上がって抱くようにしてみると、まぁ何とか浮かべることは出来た。


「……これを……週一ですか」


「何だって頑張るんだろ」


 言ってブドウくんは、にやりと口のを持ち上げた。その不気味さに凛子りんこの面影を感じた。彼女が副部長に選ばれた理由を、灯里は何となく知った気がした。


「まぁでも、やりますよ……だってそれってつまり、私もORCA/noteオルカ・ノート本社の中に入れるってことですよね?」


 それだって灯里の憧れの一つだ。

 想像してみた。みんながせっせとカラオケを作る中、灯里だけふらっと教室を抜け出して違う事をする。しかもそれが普通では入れないような場所なのだから、こんなに楽しい事はない。


「うん? 中には入れないぞ。入館証がるからな。本社の前までこれを持って来ればそれでいい。あとは俺が社内へ運んで更新するから、また学校まで持って帰ってくれ」


「それって、ただの……本当に、ただの、パシリじゃないっすか」


「違う。これはアシスタントだ。パシリとか言うな」


(もしかして私、早まったんだろうか)



 コマンダ。


 本当は今日の更新を予定していたらしいのだけれど、灯里あかりにも用事があるし、空もすっかり暮れてるし、で明日に調整してもらった。


「それよりオリーブ、ちょっときたい事があるんだが……。君、ORCA/noteオルカ・ノートにクレーム送ったこと――」


「ないです」


 被せるように返事したが、内心どきどきだった。不用意にオリーブと名乗ってしまったが、そういえばこの人、ほぼ毎日ORCA/noteオルカ・ノートを行き来しているのだ。


 クレーマー『オリーブ』とは、まさに私、灯里のこと。

 その事実が、灯里のディレクターの進退にどう影響するのか、まったくの未知だった。


 だって、クレームだもの。ある意味目の前のこの男の仕事を増やしている訳で、そうなら、良いふうに取って貰えると期待しない方がいいだろう。

 できる限り隠したい。


(なんだか秘密が増えてきたな……)



 ――私の望んだことって、こんな後ろめたいものなの?

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