2 部室とコマンダと試聴会

「――つまり、みんなで同じ音楽を聴きながらディレクターの仕事を体験してみよう! ……って会なわけ」


 しばらく試聴会の説明が続いたのを、灯里あかりは部活――というか仕事、というかカラオケを作りながら片耳に聞いていた。


 控え目な音量で作業する灯里は、ヘッドホンをしたままでも会話が出来た。作業自体はライトなもので、ボーカルの音程をピアノでるだけだから本当に喋りながらでも出来てしまう。単純作業はむしろ喋りながらじゃないと退屈ですらあった。


 慣れってすごい。


 でも、都合二日でこれほど習熟してしまう自分はもっとすごい。

 奈々千ななちは『ボーカルの旋律線ガイドメロディーは一番クレームの出る所だから気をつけて』と教えてくれたが、心配には及ばない。

 そんなことはクレーマーの灯里がたぶん誰より理解しているし、何より灯里は人より音感が優れているようだった。今まで比較する相手がいなかったから判らなかったけれど、この事実は灯里に少しばかり自信を与えた。



 試聴会は部室でやるそうだ。


 そんな話を灯里あかりは音楽を聴きながら聞き、そしてやはり鍵盤を叩きながらたずねた。


「部室なんてあったんですか?」


 あったんですか、と言うか灯里はここの準備室が部室なのだと勝手に思っていた。皆あそこに荷物を置いていたし、機材類もすべてあそこに収納してある。

 灯里たちクリエイターはコラボ室だけで用が足りるし、凛子りんこたちディレクターは基本的にORCA/noteオルカ・ノートに直行直帰でコラボ室にすら寄り付かない。となると、本当に部室って何なのという話である。


「あるんだよ。押し付けられたの、らないって言ってるのに」


「押し付けるって、部屋を?」


「うーん。まあ部屋というか、正確に言えば『空き教室』ね。それと『ピアノ』」


「ああ、あそこ」


 その二語でピンときた。

 音楽室準備室の隣にあったあの空き教室のことだ。


 ちょうど一週間前――なぜこんな所にピアノが、と空き教室を前にして灯里は思ったものだが、あのピアノはどうもお古であるらしい。その昔、学園に中等部を設立する際に買い足したのだそうだ。それで結局一台を持て余しているのだから、無駄金もいいところである。


「まぁ私としては嬉しいですけど。いつでもグラピが弾けるんですもん」


 グミが言った。

 彼女はこれで鬼のようにピアノが上手い――らしい。それはあくまで本人談で、実際見たことはない。


「そりゃグミちゃんは弾くだけだからいいけどさ」


 部屋の掃除とピアノのお手入れするのは私だよ、と奈々千は不満げに言う。

 それでグミは笑い混じりに答える。


「ブドウくんにやらせればいいじゃないですか。あの人もたまに弾いてますよ。私びっくりしました。あんなでかい体のくせにタッチはとっても繊細なんです」


 奈々千は「それ失礼だよ」と聞きとがめながらも遠慮がちに笑った。



「ずい分賑やかですね」


 梅田は教室に入ってくるなり、女子三人の背中に声をかけた。

 グミは兄の顔を見返りもせず、「空気が濁った」とか言ってガラリと窓を開け放った。


 この兄妹、口を開けば喧嘩ばかりで本当に仲が悪い。

 ――じゃぁ辞めればいいのに、と、いつだか灯里はずっと感じていた疑問をようやく口にできた日があった。

 するとグミは『そんなこと言うんですか』と泣きそうな顔をして、その後機嫌を取り直すのにかなり手間取った。

 グミ曰く、「兄を嫌う気持ち」と「灯里を好く気持ち」は同じ強さだという。要するに、灯里がいる限り辞めることはあり得ないのだそうだ。


 そんなにか、と思った。


 そうなら、悄然しょうぜんと涙ぐんだこの後輩の多少行き過ぎとも思えるストーカー行為にも、情状酌量しゃくりょうの余地はある。

 グミの部屋には、壁いっぱいに灯里の写真が貼られているとかいう。最初はぞっとしたが、今となってはそういうのも、まあいいかな、なんて思っている。


 今やグミは、灯里公認のストーカーである。


「おうおう。兄貴思いの可愛い妹だ」


 梅田はグミの悪態をさらりといなして、さっさと準備室へ入って行った。出てくると、重そうに両腕に<コマンダ>を抱えていた。カラオケをする時に選曲番号を受信する、あのシャンパンゴールドの箱。受信機。あれをコマンダと呼ぶらしい。


「ちょっと! それどこ持ってくの!? 私今から灯里先輩とカラオケしたかったのに!」


 そんなのは聞いていない。


「試聴会で使うんだよ、チビすけ。お前が自分で試聴環境をセッティングできるなら置いてってやるけどな。そんな貧弱な体で、そもそも持ち運ぶことだって出来ないだろ」


 グミはしばらく凶暴な犬のような唸りを上げていたが、やがて諦めたのか舌を打つのを返事とした。



 ――人知れず、

 刻々と決断の時が迫っているのだなぁ、と灯里あかりは感じている。


 逃げられないよう外堀を埋められているような居心地の悪さ。


 けれどそれを思うということは、つまり灯里はこの試聴会をもってディレクターへの階段を駆け上ることを、心のどこかでは決めているのだろう。


 だからこそ、いずれやってくる非情な瞬間――奈々千やグミを切り捨てるその時を思って、灯里は自分に辟易へきえきしているのだ。

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