#6

1 名古屋のドレスコード

 ――で。


「どう? カラオケ部に入って一週間経つけれど。カラオケづくりは楽しい?」


 と、凛子りんこは手に取ったハンガーを体に合わせてみながら灯里あかりたずねた。

 それからこうも言った。


「どう? 似合うかしら」


 むろん彼女はハンガー単体を胸元に当てている訳ではなく、そこには当然衣類が引っ下がっている。きらきらとラメの散らばった丈の長いステージドレスだ。


(どう、って……)


 灯里は何も答えずに、凛子と同じ鏡を覗いた。什器じゅうきと什器の間に、灯里の背丈を優に越える大きな姿見が設置されている。


(まだ最初の質問にも答えてないんだけど)


 立て続けに「どうかしら」を重ねられた灯里はどちらに返事すればいいのか分からなくて、でもどっちにしろ同じ答えだと気付き、


「さあ」


 そう返事した。

 さあ。わかんない。分かるかよ。私こんな服装だし、と灯里は自分の服装をちらと見下ろす。


 灯里の装い―― 白いティーシャツに短いデニム、それから妹が貸してくれた灰色無地の薄手のパーカー ――こんな身なり。姉妹の部屋着の集合だ。


 こんな格好でファッションビルにいるというのだから笑える。



 灯里あかり凛子りんこは名古屋市中区は栄のファッションビルに入ったドレス専門店に来ている。


 栄は名古屋というまちの中枢ちゅうすうだ。

 あるいは二駅離れた名駅周辺を指して中枢と呼ぶ者もいるが、灯里にしてみればあれはビジネスマンの巣窟そうくつで、学生の身の上でいえば若者で溢れる栄の方に軍配を上げたいと思うのだ。

 まあいずれの町も立派ではあるから、何かしら御入用ならとりあえず名駅か栄かに出ればいい――と、地元民の灯里や凛子は認識している。


 ともかく。


 栄の方に馴染みがあったのであろう凛子は、灯里を先のファッションビルの三階に呼び出した。現地集合である。


 一方灯里にしてみればファッションビルなぞはからきし縁のない場所であり、待ち合わせた場所へ到着するまで凛子の用事は不明であった。


 着いてみればそこはドレスの専門店で、親友は四ヶ月先の学園祭で身につける衣装をもう検討し始めているという。用意周到というか随分気が早い。

 灯里はバイオリンを担いでステージに立つ訳だけれど、彼女は得意のフルートを吹きもせず、千人を越える大舞台でその歌声を披露するらしい。


 まあ、カラオケ部だし。


 誰かしら歌うのだろうとは思っていたが、オイシイところはとびのようにさらっていくのだ、この人は。



 フロア内でも一際明るいこの店は、まるでお姫様の衣装部屋だった。

 広い通路。フローリングはツヤを帯びて白じろと眩しい。壁は淡い色のドレスに埋め尽くされ、指先で撫でながらすれ違うとまるで風がついてくるかのようだった。客は一人もおらず、けれど寂れているというよりは敷居の高さを感じる。


 ――そんな場所、


 個人的にはまず間違いなく縁のない所だ。正直に言えば高揚したし、なんだかんだ自分の心にも乙女の部分があると知れて安心したりもした。


(私も学園祭で着るんだろうか――というかそもそも……私にも着れるのか?)


 灯里あかり什器じゅうきに並ぶきらびやかなドレスをじっと見つめ、それから左右の胸に手を当てた。未発達、という言葉が頭に浮かぶ。引っかかる部分がなければ、ずり落ちるに決まってる。


 でも、


 まあ。


 わくわくする分にはタダである。

 眺めているだけでもお姫様気分を味わえる――そんな夢の一角にあって、鏡に映る自分の姿に思わず失笑しそうになる。


 ――なんて見窄みすぼらしい姿なの。


 アドバイザーとしては最も不適切な付添人だ。ファッションに対してこれほど無頓着な自分が服の見立てとか、できる気がしない。


いた私が馬鹿だったわ」


 凛子りんこは田舎丸出しの友の様相を鏡越しに一瞥いちべつして、わざとらしく肩を落とした。それで腕に滑り落ちたブランドモノと思しきバッグを肩に掛けなおすと、


「まあ世間にびない性格は好きだけど」


 と、鏡に映る自分の胸元に視軸しじくを戻した。


 そんな凛子は軽装ながらもしっかりと身なりを整えていて、春らしい薄手の重ね着はくどすぎず、でも華やかで。――なんというか実に名古屋らしい。

 そんなふうに自分はちゃっかり名古屋色に染まっておいて、その言葉はまるでフォローになっていない。



 というか。


 灯里あかりは別にこの服装に信念も執心しゅうしんこだわりもありはしない。単純に、上手なコーディネートの仕方を知らないだけだった。


 でも私だって、と灯里は思う。


 例えば義務教育を辿るように順当に級友たちとの交友を重ねていれば、自分だってそんな風に輝けたのかもしれない。授業中にみんなが回し合っていたファッション誌が、もしかしたら灯里の手元にも回ってきたのかもしれない。


 それが――フツウなのだろう。

 だって、皆がそうしていた。


 仲間内で情報を共有しあったり、予定を合わせて街へり出したり、そうやって女らしさを体得していくのだ。

 その時分、灯里はあいにく音楽を学んでいた。指先をすり減らし、ぶたれ、ののしられ、性根をねじ曲げられていた。


 だから――


「私が輝けないのは絶対あいつのせい。あんの若作りババア……あいつに私はきらきらを奪われた! 生気を吸われた! 絶対そう! だから……あいつだけは、絶対に許さない!」


「うーわ。藪蛇やぶへび


 凛子りんこのドン引く声で、灯里ははっと我に返った。念じるだけのつもりが、口から言葉がだだ漏れていた。


(絶対さっきみた夢のせいだ)


 ぶんぶんとかぶりを振って、頰にびしばし喝をいれる。そんな灯里を、凛子は鏡越しに白い目で見た。


「少しは頭が働いてきたかしら、寝坊助さん」


 ――で。


 と、凛子はいきなり話をさかのぼった。


「最初にいた方はどうなのよ」



――カラオケづくりは楽しい?

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