6 欲張りたいの

 中央本線を金山駅で降りて、颯爽さっそうとホームを駆けた。


 ローファーは階段を二段飛ばしで駆けあがる。ふとももでスカートのすそをばしばし蹴り上げる。リュックみたいに背負った手提げバッグの中で化粧品がひっくり返り、がっしゃがっしゃと酷い音を立てた。


 はたから見れば鈍臭どんくさい走りで、けれどその女子高生はなりふり構わず人でごった返す構内を横切り、駅舎を飛び出し、併設する商業施設を縫うように走り、はっはっと短く息を切らしながら、


「あはっ」


 たまに思い出したように笑いを零す。



 左手の指先にはまだ弦の感覚が新鮮だった。

 準備室の一角で開かれた小さなリサイタル――それはそれは酷いものだった。決して上手に演奏できたわけじゃない。じゃぁ何が嬉しいって、嬉しいのは、この気持ちそのもの。楽しく弾けた。上手に笑えた。幸せな時間だった。このぶっきらぼうな女子高生織部灯里おりべあかりを笑顔で走らせるには、そんな理由で十分だった。



 ――だって



 灯里あかりはその気持ちを忘れたくない一心で、頭を空にして走った。目的地は、家。マイホーム。

 街はすっかり夜にまれていた。裏路地から大通りへ出て、光の矢のように行き交う車の群れを陸橋でまたぎ、住宅街へ入った。



 ――私の



「ただいまっ!!」


 華奢きゃしゃな灯里には重すぎる玄関扉を両手で引っ張り開けると、


「あ、お姉ちゃん、おか――えっ? なんで汗かいてるの?」


 廊下の奥に長袖の部屋着を着た妹がいたがそんなものは無視して、灯里はローファーを脱ぎ散らかし、玄関の目の前にある階段を駆け上った。



 ――音楽は



 自分の部屋へ直行。勢いに任せてクローゼットを開け放つ。

 壁とプラスチックチェストの隙間に押し込められて早四年、埃まるけのバイオリンケースを引っ張り出した。



 ――まだ



 急いでファスナーを開き、ケースのふたを乱暴に持ち上げる。もう、えた乞食こじきのような貪欲さで楽器を求めた。

 だから、ケースを開いた灯里は衝撃を受けた。


 そこに収まっていた物体。

 ――ネックとボディが分離したあまりに痛ましい姿のバイオリンだった。

 ネックを持ち上げると、ぶらん。弦で繋がったボディも一緒に釣りあがった。


(そっか……、先生と喧嘩したときにぶっ壊したんだっけ)


 これが当時十二歳だった灯里の、音楽に対する結論だった。


(なにもかも中途半端に投げ出してきたけど、あと四ヶ月ちょい。九月まではしっかりやり遂げてみよう)


 灯里は感化されまくっていた。

 いずれにせよ、こんなものでは練習にならない。


 学校にいけばバイオリンは借りられる訳だけれど、練習を聞かれるのは抵抗がある。というか部活の時間はカラオケを作らなければならないし、そもそも学校で練習してる暇なんてないだろう。


 だから灯里は居間へ駆け下りる。


 豪快にドアを開け放つ。


 驚きふり返る両親と妹。


 各位にまとめてたける。


「バイオリンを買ってくれ!」



 ――――――だって私の音楽はまだ終わってない



 カラオケづくりもバイオリンも完璧にこなして、私に楽器の楽しさを教えてくれたあの金髪の先輩を、安心して送り出してあげたい。



 はっきり言って、二足のわらじ。


 ――けれど私は欲張りたい。



 きっとこの先に、私の欲しがったがあるはずなのだ。

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