2 灯里のやりたいこと

 ――それで、えっと。


「あ、そうそう。『クリエイターばっかりじゃん』、って話だったね」


 話を戻した奈々千ななちは、ぱんっ、と胸の前で手を打った。


「そうなの。クリエイターがカラオケを作って、ディレクターが間違いをチェックする――そういう役割分担をしているんだけど……、例えるなら、『間違い探しを作る人』と『問題を解く人』、どっちが楽かって話」


「そりゃまぁ『解く人』の方が楽……や、そんなことないのか? もし問題がひねくれてたら……」


「でもほら。『間違い探しを作る人』は、まず大前提として正しい絵を精巧せいこうに模写しなきゃいけない訳じゃない。もちろん実際は印刷機で複製した上で部分的に書き変えてるんだろうけど……。まぁそれはともかくとして――まったく同じ音楽を再現する、って言うのはとてつもなく時間がかかるものなのね」


 奈々千はそこで言葉を止めて灯里あかりうかがうようにしたので、灯里は「大丈夫、わかります」、と相槌を打った。


 その辺の作業は何となく絵が浮かんだ。つまりこの部屋に入った時に、グミがやっていたあの作業のことだろう。ぱっと見冴えない感じの、あの作業。

 灯里もエアピアノで真似をしてみたけれど、結局大したときめきは得られなかったっけ、なんて思い出す。


 ただただ地道である。

 そうなら確かに『解く人』の方が楽なのかもしれなく、人員を割く割合に偏りがあるのも頷ける。


「あ、そうだ、先輩」


 それと灯里はもう一つ思い出したことがあった。


「一つ聞きたいんですけど、部員の一人がORCA/noteオルカ・ノートで活動してるって本当ですか?」


「あぁ、それはブドウくんのことね」


 ――ぶ、ぶどう?

 灯里が怪訝けげんな顔でそう繰り返すと、奈々千はごめんごめん、と笑う。


「うちの部長のあだ名。うん、ORCA/noteオルカ・ノート本社で活動してるっていうのは、確かにそうだよ。それこそさっきの続きなんだけど、ブドウくんは<ディレクター>なのね。それでそのディレクターって役職は、仕事柄きちんと音響設計された環境が求められるの。だから私たちカラオケ部はORCA/noteオルカ・ノート本社にある防音室を貸してもらっていて、彼はそこに缶詰っていう訳」


 灯里が二度三度うなずく。それは相槌というより催促さいそくの意味が強い。


「それで? そこでディレクターは、どんな事をしてるんですか!?」


「……だから、間違い探しを――」


「例えじゃなくて、もっと具体的に」


「あれ。どうしよ、なんだか思いのほか食いつきがいいみたい……。大丈夫かな、あんまり期待しないでね」


 奈々千は心配そうにそう前置き、そうだなぁと考え込んだ。


「すっご――――――………………く端折って言うと、『CD音源』と『クリエイターがつくったカラオケ音源』に間違いがないかを聴き比べてるの。例えるなら出荷前の検品みたいなもので――」


「私っ、」


 ても立っても居られなかった。


 それやりたいですっ! と灯里は大きな声をあげ、ソファから跳ね起きた。

 これほど強く意思を示したこと――無いでもないが、灯里にしてはかなり稀なことである。


 自分から率先して物事を始めるタイプではない。むしろ何事にも億劫がる性格で、やらなくていいことは極力避けてきた人生だった。

 ここに凛子か妹か母か父がいたら、それは大いに驚いたことだと思う。だって、灯里自身も驚いた。グミも奈々千も、それから梅田も。いきなり立ちあがった灯里にぎょっとして目をまん丸にしている。


 でも。


 それしかないじゃん、と思った。

 それはまさしく灯里が四年間こつこつ続けてきた『一人カラオケのクレーム趣味』そのものだったのである。


 あれだってそう。

 誰かが作ったカラオケ音源と、自分のスマホに入っている本物の音源とを聴き比べていただけだ。運命を通り越して使命に思えた。灯里がやらずして誰がやると言うのだ。


 こんな場所で眠たい座学を受けている場合ではなかった。


 ――私は、


 ディレクターになりたい。

 ORCA/noteオルカ・ノートに行きたい。

 すごい設備が揃った防音室で、あの趣味をしたい!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る