3 学校カラオケ

 細長い部屋だった。


 広さはマイクロバスほどだろうか。部屋の両サイドは見上げる高さの銀ラックで埋まっている。残された通路は人一人とやっとすれ違える程度だった。奥に一枚日当たりの悪い窓があるきりで、室内は寂々さびさびと薄暗い。


「カラオケ部ってここで活動してんの? なんて根暗なの」


「そんな訳ないじゃない。普段はさっきの教室よ」


 凛子りんこはそう言いながら、ラックに置かれた型の機材の電源を入れた。

 それを見て灯里あかりは、あ、と声を漏らす。


 実に見覚えのある箱である。高級そうなシャンパンゴールドの筐体きょうたい。正面パネルに搭載された液晶。映し出されるロゴは――ORCA/noteオルカ・ノート


「すっご。これ本物じゃん? そうだよこれこれ。なんか気分上がってきたかも!」


 カラオケボックスに無くてはならない必需品。選曲番号を受信する機械。名前は知らないけれど、まさしくあの箱であった。

 あるだろうか、ふつう、学校に、カラオケが!


「ほらね、あったでしょ」


 凛子はことも無げにそう言うと、はいこれ、と灯里にマイクを手渡した。


『……あ、あっ、っわあ! 声でかいっ! 超、恥ずかしいっ! え、てかここ学校じゃんね!? すごっ!』


 増幅された声の出所を探して振り返る。天井の二隅に小さなスピーカーが据えつけてある。


「灯里、なに歌う? やっぱ定番の『テーゼ』? それともちょっと狙って『天城越あまぎごえ』?」


 凛子はどこからか持ち出してきたナビを操作しながら灯里に尋ねた。


『武士道教授いれて。「灼熱しゃくねつ大陸」がいい』


 そういう奴らがいる。

 着流きながし姿で民俗調の音楽を西洋楽器で演奏するようなよく解らない連中だが、音楽センスだけはすこぶる良く、灯里は好んで聴いている。


「武士道教授って……あなたそれ、インストよね。歌うところないけど。バイオリンでも弾く気?」


『弾かないけどいいんだよ! ラララで歌うから!』


 灯里の謎めいたリクエストに凛子は呆れて笑いながらも、「お好きにどうぞ」と番号を送信した。


 テレビなんてものはない。

 歌詞テロップが見たければあの受信機についたパネルを見ろ、とのことだ。

 まぁ、

 そもそも教授の音楽に歌詞ないし。

 それよりも、できれば椅子が欲しい。準備室には椅子もなければ机もなかった。左右をラックに挟まれて窮屈ったらない。これがこの学園唯一のカラオケルームらしい。


 ――突然。


 背中から息が止まるほどの大音量を浴びた。

 怪しげなピアノの旋律は、まさに教授のそれ。


『お! 流れてきた! すげぇ、本当にカラオケできんだね!?』


 受信機の液晶にはPVが映し出されていた。『灼熱大陸』はテレビドラマのテーマソングとして書き下ろされた曲であるから、恐らくそのドラマの映像だろう。

 鍵盤を叩きつけるような強いアタック音、独特なリズムはラテン乗り。スピーカーを震わす重低音。


(なんつう臨場感……っ!)


 そこへパーカッションとひずんだギターが加わり、マイクを握った灯里はもうノリノリで体を揺らしていた。

 凛子は楽しそうに手拍子してくれている。


(え、ていうか私、マジでラララで歌うの!? これ廊下まで聞こえてたらめちゃ恥ずかしいんじゃ……)


 すっかりカラオケ気分になっているが、よく考えればここは学校であり、だから防音も糞もない訳で、ひょっとすると、というかもう間違いなく音はだだ漏れなのである。


『ね、ねえ! ちょっと音量! 下げてよ!』


「あー! うるさーい!」


 慌てて注文を付けるその間にも、灯里の歌うべきパートは刻々と迫る。


『お願いお願い! ちょっとでいいから!』


「ほら灯里、始まるわよ! せーのっ!」



『ラッ! ラッ! ラーッ! ラッ! ラーッ!』



 凛子は涙を流すほどの大爆笑だった。手拍子はもはやバカ受けの合図で、よじれた腹を直すようにうずくまる。


「あっはっはっは! いいよ灯里、大好き! わけわかんない! あはは! ひぃ~」



 ヤケクソになってしばらく熱唱していると、凛子りんこは二本目のマイクを灯里あかりの口元に差し向けた。


 ――なに?


 灯里は歌いながら小首を傾げて目だけで尋ねる。

 すると凛子はマイクを弓代わりにバイオリンを弾く真似をしてみせた。そして灯里にあごでくいと合図を送る。


 エア・バイオリンをしろ、ということだろうか。私がマイクを持っててやるから、と。


 やぶさかでもない。

 カチッとマイクの電源を落とす。


 灯里はバイオリンの構えを取り、勢い贅沢にパッセージを駆け上がった。

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