第1章 / 1
#1
1 カラオケのできる学校
午前八時半。
SHR前。ざわめくクラスルームへ入るなり、
窓辺の自分の席によく見た顔の先客がいたのだ。
投げだすようにして組んだ長い脚。肩先から胸へと流れるつややかな黒髪。毛先をくるくると指で遊ばせる、その女。
隣のクラスの親友、
上品に澄ました顔は灯里を見つけて
「ねえ灯里。学校でカラオケができるの。したい?」
だと。
月曜の朝っぱらからなに寝言いってんだこいつは、と灯里は眉をひそめた。
「むりむり、しんどい」
スクールバッグを片手に、灯里は自分の席の前で立ち往生している。
せめて。
おはよう、くらい挟めないものか。そうでなくても昨日約束をすっぽかした件を責めるとか――、そういう自然な流れをいっさい無視して開口一番「カラオケできる」とか言われても、まだまだ全然ついていけない。何しろこちらは起きてからまだ一時間も経っていない。
化粧だって下地オンリーのほぼ素っぴん状態。
「とりあえず、どこうか」
シンプルに申し立てる。
――が、
「どくわよ。灯里の口からイエスと聞ければね」
凛子は小さな顔に悪魔みたいな笑みを浮かべるばかりで、
「どう? したいわよね、カラオケ」
「凛子さ、なにか魂胆あるの見え見えだから」
そんな物騒な話に易々と乗るような灯里ではない。凛子のこの
だから。
灯里が右手にぶら下げたくたくたのナイロンバッグを机に投げ置き、化粧ポーチからメイクパレットを手にしたのはごくごく自然な流れ。
灯里のメイク時間はSHRを含む九時までの三十分間しか用意されていない。いちいち取り合うのも
無人だった手前の席を勝手にお借りして、家で仕掛かっていたアイメイクを再開した。
「なに。灯里、教室で化粧してるの?」
「仕方ないじゃん。この時間って門のところに生徒指導の先生が待ち構えてんだもん」
この学園――『私立
灯里がそうやって文句を言うと、教師たちはこぞって「目をかけてるんだ」とか「可愛がってるんだ」とか言った。
灯里は納得いっていない。外から入ってきた子たちは髪を脱色していようが爪がカラフルだろうが何も言われないのに。
「お前だってその化粧で門のとこ通ったらグチグチ言われるよ」
「私はだって、朝早いもの」
凛子は涼しげに笑った。
そこからのやり取りは記憶に残らないほど他愛もないもので、十分ほど話すと凛子はようやく腰を上げて自分のクラスへ戻っていった。
「まぁ興味があったら昼休みに新館へ来て。機種は『
去り際に言い置かれたそのセリフが、その後数時間、灯里の意識を授業から遠ざけた。
・
結局、行くことにした。
(学校カラオケ、か……)
――なんて。
そんな親孝行な性格でもない。決め手はもっとシンプルだった。
休み時間にカラオケできたら最高じゃん? とか思ったのだ。
凛子は『カラオケ部』たるクラブに所属しているから、そんな彼女が「ある」と言えば、それはあるのだろう。きっと、たぶん。
この十年で出来たばかりの新館は、正式には六号館と呼ばれる。灯里のクラスルームは一号館にあって、六号館とは渡り廊下で繋がっていた。
渡り廊下は窓全開。開けっぴろげ。
吹き入る涼風に、肩まで伸ばした髪がさらさらなびく。
運ばれてくる春の匂い。
――そっか、春なんだ。
四月をとうに過ぎて、灯里はようやくそんな当たり前なことに気づいた。気づいたら、何だか妙に心が浮き立った。春うらら。人間て単純だ。
周りに誰もいないのを確認して――灯里はくるっとターンしてスカートを舞わせてみた。上履きがきゅっと摩擦を起こす。胸元の青いリボンがふわと浮く。
高等部に上がって制服はブレザーになってしまったけれど、灯里はこのリボンも、プリーツの多いスカートも結構気に入っている。
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