3 その女子高生のひとり趣味(3/4)

 ――『ORCA/noteオルカ・ノート』か、『Wamワム』か。


 選ばされる機種はどこのカラオケ店でもこのいずれかであり、同級生の間でよく話題に上っているのもやはりこれらである。

 それぞれ一応特徴というか特色みたいなものもがあって、原曲によく似ているのが<Wamワム>であり、一方で<ORCA/noteオルカ・ノート>はどちらかといえばエンタメ性に重きを置いているように灯里あかりは思う。


 遊べるコンテンツが豊富なのだ。

 カメラが付いていたり、歌唱中にナビを通して画面に文字を書いて遊べたり、楽器と連動させたり……そう言った意味では、皆でわいわい楽しむというカラオケ本来の目的に適っているのは<ORCA/noteオルカ・ノート>なのかもしれない。



 そちらの通路を突き当たって右手です、と通された部屋は六人部屋だった。

 何の感想も抱けない普通のカラオケルーム。入るなり薄暗い。三人掛けのソファが左右に一対。

 正面の壁に張り付いたでかめのディスプレイでは、最近よくテレビで目にする旬のアーティストが挨拶をしていた。


『みなさん、こんにちは〜!』


「みなさん、じゃ、ねえっつーの」


 ぼやきながらテーブルの縁に浅く腰掛け、わきに置かれていたカラオケナビで道中聴いてきた音楽を探した。


(誰のなんて曲だっけ)


 実はまったくの未知なアーティストだったのだけれど、歌うことが目的でない灯里あかりにとってメロディーを記憶しているかどうかは大した問題ではない。極論を言えばマイクだって要らなかった。


 灯里のカラオケルームの利用目的は普通ではない。

 灯里の趣味は、一人カラオケ――で発見した音の間違いをカラオケ配信会社に指摘すること。平たく言えば「クレーマー」である。


 カラオケで流れてくるあの音楽は、レコード会社から公式に提供された音源ではない。カラオケ配信会社自身が耳で聴き、ピアノで音を採り、パソコンを使って再現した、いわばもどきの音楽である――と、以前テレビ番組の特集でやっているのを見た。


 そんなだから、探せばミスは見つかるものである。


 だからぶっちゃけカラオケの機種は何でもよかったのだけれど、これも地元愛かしら――ORCA/noteオルカ・ノート本社は灯里の住む名古屋市内のどこかにあるらしい。だから灯里はいつも何となくORCA/noteオルカ・ノートを選んでいる。

 思い入れと言うよりは、市民の義務感、が近い。



 ――選曲番号、送信!


 受信機にカラオケナビを向けると、ディスプレイが暗転して曲名が表示された。

 その隙に灯里あかりは、スマホを取り出してイヤホンを着ける。……いつもこの瞬間が一番緊張する。

 カラオケが始まるタイミング――その一瞬を見計らい、灯里はプレイリストを再生した。


 ボンボンと天井に吊るされたスピーカーが震える。

 同時に、イヤホンからの音楽が鼓膜こまくを揺らした。


 ――カラオケとプレイリストの同時再生、今日も成功である。

 ふう、と灯里は息を漏らす。


 面白いことに、もどき(カラオケ音源)と本物(市販の音楽)はテンポが完全に一致する。

 イヤホンでボーカルの旋律せんりつを追いながら、薄ら聞こえてくるガイドメロディーカラオケの主旋律に耳を澄ませる。

 完全なオクターブ・ユニゾン。

 ぴたりと息を揃える二本の旋律は、一度聞けば病み付きになるほど耳心地が好い。


 しばらくの間テーブルで音楽を聴いて気持ちを満足させた灯里は、ソファへ移動して仰向きに寝転んだ。

 これといった問題も起きないまま音楽は終盤に差し掛かる。


(この曲は大丈夫そうだな)


 スマホを抱くようにして目を瞑った、――そのとき。

 付かず離れず一定の距離を保っていた二本の旋律が規律を乱した。一瞬の不協和。音程の間違い――数あるミスの中でも気づきやすい部類のものだ。


「ミス発見!」


 横になったまま、灯里は嬉々としてスマホを掲げる。

 手慣れたものだ。

 プレイリストで秒数だけ確認しておき、その曲はそのまま垂れ流し。テーブルから手探りでナビを取り、腕を伸ばして中空ちゅうくうで操作。液晶パネルに爪を当ててお問い合わせページを辿った。


『4分10秒付近、ガイドメロディーの音程が間違ってる!』

 ――ミスのあった箇所を指定して、


「オリーブより……、と」

 ――律儀りちぎにユーザー名を添え、


「クレーム、送信!」

 ――とか言っちゃうが、


 クレームを送ってるつもりはさらさらない。

 こんな趣味でも配信会社に迷惑を掛けてるつもりは一切ないし、なんなら品質を守ってやってるってくらいの気持ちで灯里は臨んでいる。それに、時間はかかるがちゃんと修正して再配信されるのも知っている。

 こんなの、やりがいを覚えない訳がない。


 これが灯里の趣味だった。

 実績四年、重ねたクレーム件数は十や二十と桁が違う。

 平日もなく休日もなくひとり薄暗いボックスにこもってクレームを送り付ける日々。じめじめしてんな、とは――うん。自分でも思う。


 でも灯里はこんな趣味が大好きだった。

 その『大好き』に邪魔が入らない今の交友関係も気に入っている。

 灯里の生活は充実していて、心は満ち足りている。



 ――はずなのに。



「なんでだろ」


 灯里は受付で男と交わしたやりとりを思い出す。



 ――何故、自分はこれほど「一人」という言葉に囚われているのだろう。

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