第2話 一重梅

わしと同じくお前の力もこれ程までに衰えたのか。よもや、このような物の世話にならねばその程度の傷も癒えぬとは。なあ、我があるじよ」


 再生溶液によって充たされたカプセルの中、数多のくだと共に浮かぶ右京を見ながら一重梅ひとえうめはそう呟いた。

 右京の口が小さな気泡をこぽりと放つ。

「なんとも可愛らしい返事じゃな。見ておれんわ。まあ、その左腕の怪我は儂のせいでもある。許せ」

 僅かに腕の体をした肉塊が左肩から延びている。


「しかし、ここだけはもう少し気をつけてくれぬと。器が元通りに再生したとて、その中身までもがそうとは限らんぞ。また儂のことを忘れてもらっては困る」

 そう言いつつ、強化ガラス越しに額の傷跡を指でそうっとなぞった。

「あと四五日もすればすっかり元通りじゃろうて。それまでは、その痛々しい姿をまた拝みに来てやる」


 そう言い残し治療所を後にすると、一重梅の足は拝殿へと向けられた。

 別段、勤めが有るわけでも、まして誰かのために祈りを捧げるつもりでもなかったが、傷付いた右京を見ていると何故かそういう気分になる。


 ──儂にもこのような感情が未だ残っておるとは。


 拝殿へと伸びる廊下に出ると視線の先に若葉わかばの姿があった。


 まだ人の息の混じっていない清澄な空気のなか、項垂れ、悲嘆しているように見える。

 それでも若葉の美しさは、そこだけ灯りがともされたようにその存在をぽうっと際立たせていた。


 その姿が今朝は右京同様やけに痛々しい。


 ──あれでは大切なものを失くした乙女ようではないか。笑わせる。


 真っ直ぐに廊下を、そしてその奥の拝殿を見据えたまま、一重梅は若葉の前で足を止めた。

「まるで儂が此処に来ることを知っていたようじゃのう。それともただの偶然か?」

 見るともなく言った。


「一重梅さま」

「なんじゃ」

「申し訳ございません」

「誰もお前を責めてなどいない。気にするな」

「しかし…」

「一撃で昏倒したことを悔いているのならば、それは少しばかり違うぞ。単に抜刀されたお前はあの時、謂わばただの"打刀"だったのじゃ」

「しかし、あの時、若葉がもう少し…」

「まあ、聞け」

「側面からの圧力に耐えられるのは、せめて250キロまで。へし折られずに済んだのは寧ろお前の技量、だと儂は思うておるし、それは主さまとて同じであろうよ」

「ですが、あの後、主さまは一重梅さまを真名抜刀されたと白菫しろすみれさまから聞いております。しかも第参式で…」

「そうじゃ。それがどうかしたか?」

「え、いえ、その…」

「まあ、ここではなんじゃ」

 儂と一緒に来るか、と漸くその美しい顔を見上げた。

 自責の思いからか、若葉は今にも泣き出しそうだ。


 ──これがこやつの持つ幸御魂さきみたまの性質。いや、寧ろ荒御魂あらみたまの方か?まあいい。


「儂はもう行くぞ」

 そう言うと一重梅は拝殿へと歩みを進めた。

 若葉はただ頷き後につづく。


 拝殿は凛とした空気に包まれていた。

 蝋燭の灯があちらこちらで揺れている。

 朝勤めの者が点けたのであろう。

 ──御苦労なことだ。

 一重梅はこの粛然しゅくぜんとしたなかに神秘が宿っているとも、神々しいなどとも思わない。

 

「若葉よ」

 はい、と横から力ない声が聞こえる。

「あの本殿に祀られておるものが何か、お前も知っていよう」

「御神刀、一重梅さまでございます」

「そうじゃ。儂の真の姿。刀身三尺強、峰は白く輝き、刃は鮮やかな紅。馬上からの一振りで相手を両断せしめる大太刀」

 その模造品、紛い物じゃ、と一重梅は吐き捨てる。

「あの様な物の何が有り難くて、皆、こうべを垂れるのであろうなあ」

「それは、皆の心にそのお姿があるからかと」

 一重梅は笑った。

「主さまはあれを売り払ってしまおうか、と本気で言っておったぞ。クククっ。なかなかに高く売れるそうじゃ。我らの主は面白いお人じゃ」

「いくら主さまでもなんと罰当たりな」

「しかし、あれはいくら美しく、人の心を惹き付けようとやはり只の刀剣なのじゃよ」


 一重梅は立ち上がり、若葉を見下ろす。

「お前は主さまのあの様な御姿を見るのは初めてであろうから無理もないが、我らがこの人型を保っている以上、何の心配もいらん。主さまの霊力が及んでおる証拠じゃ。傷もじき治る。お前が気に病むことはないし、主さまもそれを望んではおらん」


 しかし、あの左腕さえも治るものなのですか、と若葉は問うた。

「問題ない。主さまはその身が灰になろうと元の御姿になられる。基本的にはな」

 さすがに若葉も自分の主がそこまでの再生能力を有しているとは知らなかったらしい。

 ほっとしたように、白い息を吐いた。


 一重梅は嘘をついた。

 厳密には右京とて、そこまでの再生能力があるわけではない。


「問題は」

 腕ではなく、額の傷なのだと一重梅は言った。

「あの間合いでは、人外が主さまの胴を真っ二つにしていてもおかしくなかったのじゃ」

 奴は右京の頭蓋に固執しておった。


 第参式による真名抜刀はおのが主を"刀姫"である我らの支配下に置くことを意味する。一時的であれ、その全てを統べる。

 故に、"必殺"でなくてはならん。

 主なくして我らは存在しえない。

 肉体的強度、耐久性は無視。その時、主の肉体は我らを支え、振るうための道具でしかない。

 その代償は右京の傷付いた体を見ても一目瞭然。

 命さえ残っておればそれで──よい。


「それまでは儂の憶測であったのじゃが、主さまと一体となって判ったことがある」

 それは、と若葉は言った。

「奴の斬撃はことごとく主さまの急所、特に頭部を的確に狙っておったのじゃ。それを避けるため、主さまの体は悲鳴を発していた。あれは弱くはないが、最強と云うわけでもない。事は急を要した」

 右京も限界に達するまでに幾ばくの時も無いことを悟っていたじゃろう、と一重梅はあの時を振り返る。

「まさか本当に額を切られるとは思うておらなんだようじゃがな」


 ──相変わらず詰めが甘いわ。


「それで、第参式を…」

「まあ、そんなところじゃ」

 どのみち、相手が強かったのだと、お前はよくやったのだと、そして儂とて第参式真名抜刀を主にさせるしかなかったのだと説いた。


「若葉は」

 今ひとたび主さまのもとに行って参ります。と言った。

 泡しか吐かんぞ、と一重梅は言ったが、

「それでも」

 お側に居たいのだと若葉は言った。

「ならば、そうしてやってくれ。儂のような幼女だか童女がるより、お前たちのような、たおやかな娘の方がきっと喜ぶじゃろうて。あれでも年頃の男じゃからな、一応」

 若葉は礼を言うと、いそいそと右京のもとへと向かった。


 一重梅は一人拝殿で思う。


 何故、儂だけがいつまでもこの姿なのじゃ。もしやお前の趣味か?

「いや、そんなことは無いか。概ね察しはつく。にしてもじゃ…」

 右京よ。お前は幾人目の"右京"なのじゃ。儂はもう忘れてしまいそうじゃぞ。千数百年は余りにも永い。


 ──もう、一人は嫌じゃ。


 あの人外は儂の一撃のもとに倒したが、あやつの持つ刀剣はそれでも折れなんだ。

 それどころか、あの場から消え失せてしまった。


 やはり、あれは"斬刀姫"なのじゃろうか。

 奴らの狙いは、おそらくは"器"としての右京。しかし、もうお前を失うわけにはいかんのじゃ。


 ──はよう、目覚めい右京よ。思い出せ、真霊としてのその在りようを。


「もう、時間がないぞ」


 一重梅は在りし日の己と右京の姿を思い出していた。





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斬刀姫 秋野かいよ @kaiyo0102

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