斬刀姫

秋野かいよ

第1話 抜刀

 既に右腕の肉が大きく削ぎ落とされていた。


 辛うじて上腕骨には達していないようだが、それでもある種のショック症状だろう。

 筋肉が硬直しているのか、弛緩しているのかその判別さえつかない。

 外因性オピオイドのお陰で痛みはそれほど感じないがとにかくダルい。当然、腕は使い物にならないし、かなり出血もしている。気を抜けば意識が遠くなりそうだ。


 ──しかし、何だこの違和感は。


 ──まあ、利き腕が使えないことに違いはないし腕の一本くらい後で治せば済むこと。にしても、問題はその"後"が僕に在るかどうか。


慚愧ざんぎせよ!無慚愧、すなわち人にあらず!」


 右京は二本目の"白菫しろすみれ"を抜刀し言い放つ。

ぬしさま、あれははなから人外です。過ちを反省し深く恥じることなど、あろう筈もございません」

「なに?何でそれを早く言わないんだよ。しかしどう見てもアレは」

「ですから先ほどから若葉わかばさまが再三申し上げていたではありませんか?」

「そうだっけ?あいつ、声小さいからよく聞こえないんだよ。それに、いきなり襲われたからさぁ」


 ──おかしい。


 いきなりの襲撃など初めてだ。それに奴の太刀筋は全く予測ができない。まるで複数人と対峙しているようだ。

 並みの人外なら刀剣を使用していたとしても、それは剣技を伴わないただの武器としての刀剣のはず。しかしこいつは。


 一本目に抜いた若葉は既に沈黙し今は鞘の中。いきなりの斬撃をその身に浴びた若葉は瞬く間に昏倒した。


 ──不甲斐ない、と思えるほどのことを僕は何一つできていない。


 そもそも右京は剣士ではない。とはいえ、剣術や剣技を身につけていない訳でもない。ようは相手が強いのだ。格が違うと云っていい。

 名もとなえず、単に鞘から抜かれたそれらはただの鋼の塊であり、利き腕の使えない今の右京に上手く扱えるはずもなかった。


 ──右腕だったのがせめてもの救いってか。


「主さま、早く、いみなを、真名を!」

 右京は白菫を己の正面に構えた。とりあえず左腕一本で構えてはみた。

「くっ、お、重っ」

「主さま失礼ですよ、乙女に向かって"重い"などと。それに、若葉さまより軽いです!」

「お前、今はそんなこと言ってる場合じゃ」

「き、来ます!」

 直後、左方向からの鋭い斬撃。返して今度は右から強烈な一撃を喰らった。

 体が右に左に大きく傾き軋む。はげしい衝撃が左手に握られた白菫からも充分過ぎるほどに伝わってくる。


 ──スミレのしなやかさが無ければ今頃。


「痛っ!!」

 清楚な諸撮巻もろつまみまきが血で滲んでいる。

「大丈夫か?スミレ!」

「はい。ですが、わたしもこのままではあと一撃受け流すのが限界かと、早く真名を」


──ヤツは遊んでやがるのか?


「駄目だ。上からの許可がない、っていうか連絡を取る暇がない」

「事後承諾ということにしては?」

「あっ、それもそうだな」


 ──真名をむにはスミレを一度鞘に戻す必要がある。しかし今はその余裕が無い。


 次の攻撃が来た。

 半歩下がってギリギリのところでかわした、はずだった。

 ──なっ、額が冷たい。

 ──斬られた!?バカな!

 額から流れ出る血液が右京の視界を徐々に塞いでいく。


 ──マジでヤバいな、この状況は。


「おい、主さまよ。そろそろわらわの出番ではないのかの?」

 堪らず声を発したのは最後の一腰。

「黙れ、小梅。お前の出る幕じゃあない」

「これは失礼なことを云う。うおさばき、青菜あおなを切るばかりがわらわの役目ではないぞ。それに我が名は"一重梅ひとえうめ"、断じて小梅などではない」

「あのなあ、小梅ちゃん、お前のような刀身が30センチにも満たない小刀こがたなに一体何ができる」

「小刀とは失礼な!せめてそこは"短刀"であろうが!」


 ──い、いかん、もう目が、見えない!


 人外は刀を鞘へと収め、居相いあいの構えを見せる。


「主さまよ、人外が居相の構えをしておるぞ。しかし、これはどうにもおかしなことじゃ。クククっ。そうか、そういうことか、わかったぞ」

 視界を完全に失いつつある右京に代わって一重梅が言った。

「小梅、一体何が分かったって云うんだ」

「まあよい。いずれにしても万事休すじゃ。はよう、わらわを抜かぬか。ほれほれ、主さま、死ぬぞ。わらわが助けてやる、と言っておる。但し少し多めに主さまの血を所望するが、どうせその出血じゃ。この際、些細な量じゃて。出血大サービスといこうではないか」

「面白くねえよ、小梅」


 ──仕様が無い、か。


 このままではどのみち殺られる。しかし、一重梅だけはこの場で抜きたくなかった。こいつは得体が知れない。だが。


「わかった、抜いてやる」

「誰に向かって云うておる、主さまよ。立場がおかしなことになっておるぞ。そして、これから主さまがとなえる我が真名は"朱殷しゅあん"じゃ。さらに、第参式で抜け」


 ──何?真名は一重梅ではないのか。よりによって朱殷だと?おまけに参式で抜け?


 ──何を考えている、小梅。


「ええいっ、ままよ!」


 すまん、と言いつつ右京は白菫を地面に突き立て、そのまま腰の一重梅に手を掛けた。


「我が血をもってたてまつる!その力を此処に示せ!」

「神第参式真名抜刀!朱殷!!」

「うぉぉぉぉぉー!!!」


 逆手に持った短刀を抜刀する。

 しかし、高々一尺の刀は抜けきらない。

 鞘からその姿を現した朱殷は刀身三尺を優に超える大太刀!

 間違っても一尺の短刀などではなかった。

 色は乾いた血の色。あの凄惨せいさんな朱色。


 それが朱殷の意味するところ。


 一重梅、いや朱殷が激しく振動している。僕の血液を手のひらに傷一つ付けずにその柄が急激に吸い上げていくのが分かる。

 しかし、初めて真名抜刀した朱殷の姿を僕は見てはいない。例えこの両目が使えたところで、見ることはできなかっただろう。


 ──何故か?


 それは抜刀の直後、僕はすでに気を失っていたからだ。




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