第8話 舞野は冷静

 馴染宮の中で戦争状態が起きたあの日、舞野は驚くほど冷静だった。

「今日さ、私の幼馴染紹介していい?」

 放課後、伴野に突然宣言された。洞野と夏鈴と楽しくテストの振り返りをしていた時だった。

「え?なんていうの?」

「馴染宮。男子男子!洞野くん大丈夫じゃない?」

「………え」

 洞野が小さくそう呟いた。すぐに驚いているのだとわかる。夏鈴も困っている様子だった。舞野は別に初対面でもいいのだが、その二人は大丈夫なのか心配だった。

「二人は平気?」

 舞野がそう訊ねると、一回夏鈴と洞野は見合い、そして伴野の方を見た。

「私は平気ですよ」

 夏鈴は笑顔でそう応える。洞野は少し迷っていたらしく、しばらく目を泳がせると一度舞野を見て、そして伴野を見た。

「……………ん」

 ちゃんと頷いて答えた。伴野と舞野は互いに見合い、そして笑う。そこから伴野は安心したように笑う。

「よっし、じゃあ後は馴染宮の説得だ」

「……え?ちょっと待ってください、話してないんですか?」

「いや、話したんだけどね。ちょっと…、洞野くんがね」

 洞野ははっとしたように伴野を見た。伴野は困ったように笑っている。

「うん、怖いみたい。馴染宮って、人見知りなの。もしかしたら洞野くんよりもね」

 洞野は自身に「怖い」という感情を抱かれているということで傷ついたが、すぐに自分が人見知りと言われてむっとした。洞野の真顔もそれで崩れた。伴野は茶化すように笑う。

「そんな、怒んないでよー」

「…………」

 そんな伴野の茶化しに洞野はぷいっと目線を背けた。伴野はそんな洞野の仕草にちょっと目移りしている様子だということを気付いた。舞野は頬杖をついてその伴野を眺めていると、伴野と目が合った。

「なーにっ?」

 先ほどの伴野の様子はどこか飛ばしたように、伴野はいつも通りに笑っていた。

「いやー、なんでもないよーっ」

 と返すと、伴野はすぐに立ち上がった。

「じゃ、説得するから待っててねー!」

 手を振りながら、伴野は教室を飛び出していった。伴野がいなくなった教室は、すでに人はいなくなっていて、舞野と夏鈴と、ちょっと拗ねている洞野がいた。拗ねている様子に夏鈴は困った様子だった。

 舞野が少し考えて、提案してみた。

「あのさ、洞野くん」

 いまだに少し拗ねている洞野が、ゆっくり顔を上げた。

「相手より先に話しかけてみたら?人見知りが嫌なら、それもやってみようよ」

「先に…?」

「そ。先に話しかけてみてよ。私がやったように、挨拶から」

「あい、さつ」

「人間関係は挨拶から、って言いますから」

「あい、さつ…」

 拗ねた気持ちより、それの緊張が上回り始めた。夏鈴はすぐに舞野の意図に気付いて振り向いた。舞野は口元に人差し指を当てて、くすっと笑う。洞野が拗ねた状態で『ナジミヤ』という人物と会わせるわけにはいかないと、夏鈴が判断し困っていた。舞野はそこで機転を利かせてみせた。夏鈴は、本当に舞野のコミュ力がすごいと思う。

 夏鈴と舞野は雑談をし、舞野と夏鈴の間で洞野が緊張していると、件の人間がやってきた。

意外にも人見知りと言われた馴染宮は、チャラそうな見た目で、割とナンパとか容易く出来る人間っぽかった。

舞野がちゃんと振り返って、馴染宮に挨拶をする。馴染宮の目線はどう見ても、洞野に集中しては、すぐに伴野に逃げていた。分かりやすい人だと思った。

「さて、馴染宮くん、下なんだっけ?」

 一応、洞野か馴染宮が話せるようにそう訊ねてみるけど、馴染宮は何度も目を背け、洞野はずっと相手の様子を窺っている。馴染宮に対する質問なのだが、伴野が「これは無理」と判断したらしく、伴野が笑顔で返す。

「怜雄。かっこよくない?」

 普通にかっこいい名前に、考えたことがそのまま口に飛び出した。

「怜雄くんかー、かっこよ!」

 そうやって何も考えずに言って、気を悪くしてしまったのではないかと、馴染宮を見ると、素直に笑っていたので安心したが、すぐに表情が一変したとき焦った。しかし、馴染宮の一瞬移った視線を見ると、驚くほど鋭い目つきで馴染宮を見ていたのだ。

(これは、緊張の度合いがおかしくなったかなぁ…)

 舞野は、間違えたと思いつつ、それでも何とかならないかなと思った。

 自己紹介のフェーズが終わっても、馴染宮も洞野も自己紹介をしようとしない。恐らく互いに動くのを待っているようだった。それに、馴染宮の様子は、若干洞野に恐怖心と警戒心を抱いているようだった。人はやっぱり見た目ではないと思った。

 伴野もそれに気付いていたようだ。

「…………うーん、馴染宮、先入観なくそうよー」

 そうやって呟くと、舞野は、よく聞く洞野の噂を口にした。

「あー、もしかして、『極道の息子』みたいの本気にしてる人?」

 そう言ったとき、二人の顔が一変したことを気付いた。一人は、洞野が哀しそうな顔をしたこと、もう一人は、夏鈴だった。明らかに、怒っているような悔しいような、そんな顔をしていた。

 やっぱり、夏鈴は優しい子だと思う。

「洞野くんは、全くそんなのないです!」

 聞いたことないほど、大きな声で否定した。この場にいる四人が全員驚いた。それから、それぞれ表情が変わっていく。伴野は温かく笑い、夏鈴はちょっと恥ずかしそうに俯き、洞野は口を強く閉じて笑うのを我慢しているようだった。

 件の馴染宮は、誰よりも遅く表情が変わったが、その変化は誰よりも大きかった。

「あ」

 たったそれだけの言葉を呟く。舞野は何かわからなかったが、伴野は馴染宮の性質を知っていた。

「………あ?」

「あはっ」

 急に笑い出した馴染宮に冗談をぶつけた。

「なに、馴染宮。ついに緊張のあまり頭おかしくなった?」

「……ちげーって」

 ちゃんと喋った馴染宮は、洞野より男っぽい話し方だった。

「お、怜雄くんが喋った!」

 思わずそう感嘆すると、馴染宮は照れくさそうに笑った。そして、今までちゃんと人の顔を見なかった馴染宮は、少し笑いながら、夏鈴を見た。突然笑顔で見られた夏鈴はちょっと驚いたが、すぐに笑顔が戻る。ちゃんと、話を聞く体制を作る夏鈴。

(あれ…?)

 しかし、馴染宮の笑みに、少し何か含みがあるということに気付く。

「め、女川さん?で合ってる?」

「……合ってますよ?」

「わかった、女川さんのこと信じる」

「え?何それ、告白?」

「ちげーーーーって!!」

「あははははっ、いやー、面白いねお二人さん!」

「私達じゃなくて、この人が面白いだけ!」

 楽しそうに会話しながらでも、馴染宮の笑顔が気になった。自然と馴染宮と洞野が二人になっていても気になってしょうがなかった。

 馴染宮と洞野の会話に耳を傾けると、耳が聞こえなくなったのではないかと思うほど静かであった。何度も確認するが、やっぱり静かだった。

 もしかしたら、洞野に伝えたアドバイスが、逆に仇となってしまったのではないかと思っていた。舞野にとっては『自分から話しかける事』がとても当たり前で簡単な事だと思っていたが、洞野や夏鈴にとってはとても難しい事だと気付いた。夏鈴も、今まで自分から話を始めたことはほとんどなかった。

(むーーーん……)

 頬杖をつき、口を少し突き出しながら考える。どうすれば二人の仲がすれ違うことが無いようにすればいいのか分からなかった。今までにこんなことはなく、どうすればいいかを考えられず、ついに二人の会話の話を聞く事を忘れた。

 伴野が舞野の肩を揺さぶる。舞野は我に帰って、伴野と夏鈴の方を見た。伴野と夏鈴は、ちょっと笑みを浮かべていた。慌てて平常心を取り繕い、笑って見せると、後ろから声が聞こえて、タイミングばっちりなのか最悪なのかわからなかった。よく見ると、二人ともちょくちょく様子を見ていたようで、やっと声が聞こえたときに二人で見事にそちらに目を移していた。

「初めまして」

 たったそれだけなのに、親の感動を感じた。洞野が本当に自分から話しかけた。ちゃんと実行してくれる優しさも持ち合わせているなんて、優秀すぎると思った。

「は、初めまして…」

 洞野のはっきりした挨拶とは真逆の、馴染宮の緊張した声が聞こえた。

「洞野です」

 そして、無駄なことを一切排除した自己紹介をする。

 さらに、馴染宮は洞野と同じくらいだと思われる緊張をしていながら、排除しすぎた自己紹介に質問をする。

「下の、な、名前は」

 相当勇気を出したらしい。片言でイントネーションも変になっている。それを洞野は答える。

「恐矢」

 ただそれだけを伝えた。さらに数倍の勇気を用いたのだろう。間が開いていた。

「し、下で呼んでも…………いいかな」

「……ん」

 その返答が聞こえた瞬間、三人同時に二人の会話から離れて行った。全員が、大丈夫だと判断したためだろう。中断されていた会話が再開する。

 会話がまた中断されたのは、馴染宮の大声だ。突然のことに、三人同時にびっくりして二人の方を見た。

「わ、や、やったー!」

「馴染宮、なんだよ!ほんとに頭おかしくなった?」

「ちげーーって!!」

 むきになって否定する馴染宮を肯定した。

「大丈夫大丈夫、私だって同じくらい嬉しかったもん!」

 紛れもない事実だった。伴野と舞野が馴染宮の両脇に移動すると、それを見計らってか、夏鈴が洞野の隣に移動していた。

 何を会話したのだろう。二人はいつも小声で話すからよく聞こえない。聴力検査は正常なのに。小さく洞野がガッツポーズをしていたことしかわからなかった。

「なあ、あの二人って…」

 小声で馴染宮が訊ねてきた。

「そ!」

「そう!」

 示し合わせたように、二人同時に言うと、馴染宮がさっきの含みのある笑顔を浮かべた。

「あーあ、いーな」

 伴野は、その「いーな」の意味がわかっていなかった。

「いーな?何が?青春したいの?」

「してーよ」

 そこまで聞いたとき、舞野は冷静に頭が動いた。

「わっかるー、青春したいよね!」

 そうやって、何も考えていないような返答しながら、めちゃめちゃ考えていた。しかし、しばらく夏鈴と洞野の様子を眺めている馴染宮を観察すると、考察が容易にできた。

 馴染宮が分かりやすいのは伴野も分かってるはずなのに。

「お似合いにもほどがあると思うけど」

「むしろ何を会話してるんだろ」

 そうやって伴野と馴染宮に会話が生まれたのは、じっと眺めてしばらく経ってからだ。きっとこの二組に、自分は邪魔者だ。

「……置いてってみる?」

 二組をそれぞれに行動させるために、茶化し気味に言って見せた。

 案の定、伴野と馴染宮は同意した。帰りの支度をしていても、夏鈴と洞野は会話に集中しているのか全く気付かれなかった。


 伴野と馴染宮がホームで手を振っていると、舞野の乗った電車は出発を告げ、ドアが閉まり動き出す。

(下り私だけかよ…)

 昼をとっくに過ぎたのに、まだ昼ご飯を食べていないお腹は限界だった。「帰り道にファストフード店でも寄るかー」と考えて、ふと伴野と馴染宮のことを考える。

 伴野と馴染宮は幼馴染と言っていたのなら、長い付き合いのはずだ。なのに、互いの進展はどう見ても夏鈴と洞野より遅い。

(鈍っ…)

 思わずそうやって思った。


 目的の駅までまだまだ先。暇な舞野は窓の景色を眺めていると、突然携帯が震える。何かと思って確認すると、メールだった。差出人は洞野だったから、少し驚いた。ちゃんと見てみると、クラスラインと作ったグループラインにやっと参加したらしい。ただ、クラスラインには何もメールは送っていなかった。四人のグループを確認すると、そっちには挨拶があった。

『遅れてすいません』

(仕事の上司かって)

 夏鈴よりも数倍くらい堅い感じがする敬語だった。とりあえず、返答しないわけにはいかなかったので送ってみる。

『やっと入った!遅いよ~(笑)』

 そうやって送る。

 そういえば、馴染宮の連絡先をもらってなかった。クラスが違うため、クラスラインにはない。恐らく、伴野しか持っていない。と、思っていると通知が来た。伴野が馴染宮を誘って、馴染宮がグループに参加したという内容だった。こういうときは、タイミングがいいと思う。

『よろしくお願いします!と言っても、クラス違うからなぁ…(汗)』

 すぐに挨拶が飛んできた。

 ふと、舞野は、これは友達が増えたらこのグループの参加人数も増えるのだろうか、と思った。それだとしたら、可視化できてとても便利だと思う。最初は四人だったのにどんどん増えていくなんて、とても面白そう。舞野はうきうきな気持ちでスマホの画面を眺めていた。

 と、すぐにはっとした。

 慌ててそのグループラインの送信内容を確認する。

 すぐに額に手を当てた。

 洞野にスマホを見ているかの確認を、月曜日に取ると言ったくせに、すっかり忘れていた。それでもちゃんと洞野からメッセージが来ているということは、夏鈴がちゃんと教えてくれていたからだ。

 夏鈴ちゃん、さすがっ。

 ちょっと笑みがこぼれながらそんなこと思った。

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