第7話 馴染宮は必死

 馴染宮は、これ以上に緊張する月曜日は存在しないと思っていた。

「怜雄!早く起きなさい!」

 母親の怒号が馴染宮の耳に十分に聞こえたのだが、ずっと起きていた。今日に関することで不安ばかりのせいでほとんど眠れずに朝を迎えてしまった。そして、極度の緊張のあまり部屋から出たくない衝動に駆られていた。しかし、母親にそう言われてしまったらもう従うしかない。ちゃんと制服も着ていて、鞄の準備も完璧だったため、すぐにリビングに向かった。

「あら、あんたもしかしてずっと起きてた?」

「なんでわかんだよ」

 そんなこと言いながら椅子に座った。すでに朝食が用意されていて、箸を手に取る。食材に感謝してから口に入れた。相変わらず母親の料理はおいしいと思う。

 食べ終わり、母親が食器を下げる。それと同時に洗面所に行き歯を磨く。鏡を見るといつもより数十倍くらい憂鬱そうな顔をしていた。歯磨きを終わらせ、うがいをしてからリビングに戻る。

 テレビをしばらく見ているとチャイムが鳴った。鞄を持って動くと、そこに珍しい相手がいた。

「あ?いつも来ないだろ」

「開口一番それですか。今日緊張のあまり来ないかもしれないなって思ったからさ」

 今日は少し風が強いのか、伴野の長い茶髪が揺れる。楽しそうに笑う伴野は、今が朝なのかわからないほど、元気がある。こういう所は尊敬したいと思うが、朝が苦手な人にこのテンションはちょっときついのではないかと思う。

「ほら、行くよ」

 靴を履く前に伴野が馴染宮の腕を掴むので、馴染宮は転びそうになった。伴野はすぐに手を放して馴染宮を両手で支える。しかし、支え方が倒れる柱を必死に止める人のようだった。靴をきちんと履いてから、母親に挨拶をする。そして、家を出た。

 引かれる手のまま、駅に入り、改札を抜け、あっという間に電車に飛び込んだ。

「いい加減離せよ」

「離したら逃げるでしょ」

 そう抗議しても伴野は一切手を放さなかった。むしろがっしり掴まれているような気がした。どうしようもなくなった馴染宮は口を尖らせながら伴野の方を見なかった。伴野はそれを面白そうに眺める。

「んだよ」

「んだよって。ほんと馴染宮って分かりやすいよね」

「なにが分かるんだよ」

「ほんとに、顔に出る」

「表情筋が素直だからな」

 伴野は馴染宮の冗談に笑う。電車内を気にしてか、いつもより小さめに笑っていた。そんな様子に馴染宮も静かに頬が緩んだ。しかし、学校の最寄り駅が近づいてくるにつれ、また肩に力が入っていく。その様子に伴野は少し笑い、ちょっと不安気だった。

 最寄り駅に着くと、馴染宮の緊張がピークに達し、歩き方がロボットみたいになってしまっていた。伴野はその様子に、本当に笑いを堪えることが必死だった。馴染宮はそれに突っ込むことも気にすることも、全くの余裕がなかった。

 校門を抜けても同じだった。足がさらにカクカク動く。すると、それに気付いたらしい男子が気付いて走ってきた。

「おーっす。馴染宮何してんの?歩き方面白すぎるだろ」

「おはっよー、弾田(だんた)。馴染宮がさ!緊張してさ!」

「なんだよ、告白すんの?」

「ないない!ちょっと人紹介するの!」

「マジ?」

 弾田蓮武(だんたはすむ)は茶化し気味に馴染宮に話しかける。馴染宮は何も言わずに緊張のあまり自分の世界に入っているのだと思った。

「で、誰紹介すんの?」

「あのね、洞野って男子!」

「え!?あの?極道の息子の?まじ?伴野仲良くなろうとしてんの?」

「なろうじゃなくて、なったの!馴染宮に紹介するつもり」

「まじか!さっすが伴野!あの威圧力を押し切って!?」

「え!!!!!???」

 思わず馴染宮は声が飛び出す。『極道の息子』『威圧力』その単語が、伴野と仲良くするあまり話したことのない男子から飛び出してきた。それが、今日伴野に会わさせられる相手のことだと言うとさらに震え上がる。

「あ…あ…?ああ…」

 ついにパニックに陥りかける馴染宮の姿に、伴野と弾田がさすがに焦る。馴染宮は一切歩けなくなった。伴野はさすがにしまったと思った。弾田は言ってはならなかった気がして申し訳なかった。

「おま、大丈夫かよ」

「ちょっとぉ、ねえ…」

「あ、きょ、今日からテストあるよな!」

「そうだ!勉強してきた?」

「してきた!ばっちりかどうかは不安なんだけどな!」

 弾田が楽しそうにはねた。それでも、なかなか調子の戻らない馴染宮だった。どうやって馴染宮を落ち着かせるか考えていた。しかし、そんなときのタイミングがすごいと思う伴野だった。

「あ」

「あ」

 弾田が呟き、伴野も呟く。馴染宮は、その呟き声で一瞬落ち着いてその二人の視線を辿った。

 その先に、三人の人物がいた。

 長身の黒髪のポニーテールの活発そうな女子。低い身長でショートカットの落ち着きのある女子。

 そして、恐らく件の相手であろう人間がいた。長身の女子より高い、もしかしたら伴野や馴染宮よりも高いかもしれない。スタイルも羨むほどきれいだし、綺麗な黒髪で格好いいと思った。しかし、後ろ姿だけ見ても、何かしらちょっと怖い雰囲気が漂っていた。

「ええ…。あの、人…?」

「うん」

「うわ、ほんとに怖い…」

「大丈夫大丈夫!だって、ちゃんと優しい男の子だからさ!」

 そう伴野は弁明するが、弾田と馴染宮は首を思いっきり振った。絶対ない!といった感じで。伴野は茫然とする。もちろんそんな様子は知らず、舞野と夏鈴と洞野は昇降口に消えていく。弾田はやっと口を開く。

「いや、あれは…、やばいよ」

 弾田の言葉に激しく馴染宮が同意する。

「伴野…、どうやって仲良くなったんだよ」

 その問いに、伴野は夏鈴の言葉と舞野の行動を思い出す。

「挨拶だよ!挨拶!」

「あいさつ?」

 伴野はそう豪語すると、弾田は頭を掻いた。馴染宮はようやく落ち着いたらしく、やっと自然に歩きだせるようになった。


 テストのおかげで午前帰りだった。しかし、ほとんどの生徒は校舎に残り放課後の時間を過ごしていた。伴野と馴染宮もその中の人間だった。しかし、馴染宮は望まない残りだったのかもしれない。

「行くの?」

 朝の緊張がテストで消えたのだが、それが帰ってきた。手を引かれ伴野の教室に連れていかれる。馴染宮は若干嫌がるが、どうしても伴野に抗えないので仕方なく連れていかれた。

 そして、教室に入ると、朝に見た三人がそこにいた。ただし、馴染宮からでは見えなかった洞野の正面が見れて逃げそうになる。今まで見たことのない鋭い目つきが長い前髪の隙間から覗く。本当に『極道の息子』『威圧力』が完璧に合う人間だった。

「やっほー、君が馴染宮くん?」

 活発そうな女子が手を振りながら挨拶をする。

「こ、こんにちは」

 ちょっと萎縮しながらおとなしそうな女子が挨拶をする。

 しかし、例の男子は一切挨拶せず、じーっと馴染宮を見ていた。あまりにも見られるので、目を付けられてしまったのではないかと不安になる。

「おーい!洞野くん!そんな見つめて、馴染宮が好きなの?」

 そうやって伴野は、洞野の隣に移動しそうやって茶化す。しかし、一切表情変わらないまま、馴染宮から目を反らした。しかし、馴染宮は一方で、男子の名前が『ホラノ』だと知る。

 伴野は笑顔で馴染宮がこっちにくるよう手で促す。馴染宮は困惑し、警戒しながら、近づいた。四角に並べられたテーブルの一つに座る。隣には伴野と、活発な女子が座ってくれたおかげで安堵はしたものの、ちょうど向かいに例の男子がいたせいで、落ち着きはなかった。

(ずっと睨まれてる…)

「さて、馴染宮くん、下なんだっけ?」

「怜雄。かっこよくない?」

「怜雄くんかー、かっこよ!」

 そう褒められて素直に笑ったけど、それから強すぎる視線を感じてびっくりした。ゆっくり顔を上げると、例の相手が無言でじっと見ていた。


 夏鈴は、悟った。

 隣の洞野の姿に、どう考えてもどうすればいいか分かっていない様子だと思った。何度も相手の様子を窺ってはいるようだ。もちろん夏鈴も思っていたことではあった。伴野に突然「私の幼馴染を洞野くんに会わせたい」と言われて驚いた。流石に、洞野一人で会わせるののも、付き添いで自分がいても難しいと思ったため、一応舞野を呼んでおいたが、それが功を奏したようだった。

「私は舞野踊っていうんだ!よろしくね!」

「あ、私は。め、女川夏鈴です」

 馴染宮はそれぞれの挨拶にお辞儀を返すだけ。

「いやー、男子喋って?」

 舞野が楽しそうに馴染宮と洞野に訊ねた。馴染宮は驚いたように顔を上げ、逆に洞野はさらに馴染宮を見つめる。それに、馴染宮はおののく。

 しばらく会話、といっても舞野と伴野が話し、夏鈴が相槌を打ち、男子は一切喋らず相手のことを窺っているだけだった。

「…………うーん、馴染宮、先入観なくそうよー」

「あー、もしかして、『極道の息子』みたいの本気にしてる人?」

 舞野のその言葉に、洞野はびっくりする。夏鈴もそれに気付く。洞野は、しばらく考えた後、ちょっと悲しくなった。友達を作りたいのに、そんな話があったらできるはずがないと思ったから。

 夏鈴は、否定した。

「洞野くんは、全くそんなのないです!」

 隣で完全に否定してくれる夏鈴を、洞野は、やっぱり優しい人だと思う。少しだけ、ほっとした。

 馴染宮は、夏鈴があまりにも否定する様子に驚いた。馴染宮の印象的には、夏鈴と自身は少し似ているような感じがしていたからだ。馴染宮も、伴野が変な噂が立ったら必死に否定するだろう。それくらい、大事な人間だから。夏鈴は、おとなしく、あまり人の発言を否定するようなタイプではなさそうなのに、洞野のことには真っ向から否定した。すぐに、馴染宮は察した。

「あ」

「………あ?」

 伴野が馴染宮の呟きを復唱する。

「あはっ」

「なに、馴染宮。ついに緊張のあまり頭おかしくなった?」

「……ちげーって」

「お、怜雄くんが喋った!」

 馴染宮は、察したせいか、ちょっと緊張が緩み楽になった。

「め、女川さん?で合ってる?」

「……合ってますよ?」

「わかった、女川さんのこと信じる」

「え?何それ、告白?」

「ちげーーーーって!!」

 伴野の茶化しをいつも通りに流した馴染宮はちゃんと自己紹介をする。

「馴染宮怜雄です、伴野とは幼馴染で、結構長い付き合いです」

「そー、コミュ障なの全く変わらなくてさぁ」

「うるせえ!」

 そんな漫才みたいな伴野と馴染宮のやり取りに、舞野は腹を抱えて笑い、夏鈴のくすくす笑う。一方で、洞野は笑わずに、二人を見ていた。

「あははははっ、いやー、面白いねお二人さん!」

「私達じゃなくて、この人が面白いだけ!」

 そうやって、自然と盛り上がる伴野と舞野。夏鈴もその輪に自然と入っていた。伴野が立ち上がって舞野と夏鈴の方に移動した時、世界が急に洞野と馴染宮の二人だけになった気がして怖くなった。

 伴野は、舞野と夏鈴と会話しながら、二人の様子を心配も含めて見ていた。馴染宮は始めての人と会話するときにどうしても固まってしまうし、洞野はもともと寡黙なせいで何を考えているのか理解されずらい。

 ただ、そんな心配は無駄だったことに気付いて、夏鈴と舞野の会話に集中できた。

「初めまして」

 一瞬、誰の声かわからなかったけど、馴染宮はすぐ、これが洞野が発した言葉だと気付いた。声が異様に鋭くて、こんな声で悪口なんて言われたら一生立ち直れない気がする。でも、発したのは悪口じゃない、ただの挨拶なので、返さなかったら意味がない。

「は、初めまして…」

「洞野です」

 淡々と、事務的な言葉を伝えられるように自己紹介が終わった。馴染宮は、夏鈴の言葉を信じてはみたものの、やっぱり怖い人なのかもしれないと思う。

「下の、な、名前は」

「恐矢」

 そこまで聞いて、名字呼びはなんか嫌な気がした。意味の分からない感情だと馴染宮は思ったのだが、下の名前まで聞いたくせにそれを使わないのは、しょうがないと思う。

「し、下で呼んでも…………いいかな」

 そうやって訊ねた時、ずっと真顔だった洞野の顔が変わった気がした。困ったり、悲しんだり、色んな感情が走って行った。そして、最後は限りなく真顔に近い笑顔だった。

「……ん」

 頷きながらそう答えた。本当に、怖い人なんかではないと、その返事だけで思った。

「じゃ、あ。よ、ろしくな!恐矢……」

 呼び捨てで行こうと思ったが、ちょっと怖気づいてしまった。

「……くん」

 馴染宮の迷いを、洞野は察した。

「呼び捨てでも、いいけど」

 なるべく優しく言ったつもりでも、やっぱり声になるとどうしても突き放すように聞こえてしまう。それが洞野の悩みでもあった。今回は正しく伝わったらしいので、それでよかった。

「わ、や、やったー!」

 馴染宮は両手の拳を天井に向かって伸ばしながら、声を上げた。突然のことに、女子三人は驚いた。

「馴染宮、なんだよ!ほんとに頭おかしくなった?」

「ちげーーって!!」

「大丈夫大丈夫、私だって同じくらい嬉しかったもん!」

 馴染宮の周りに舞野と伴野が集まる。夏鈴は自然に洞野の隣に行った。

「……どうだった?」

「………………………」

 しばらくの間が空いて、洞野は胸のあたりに拳を作る。

「………やったー」

 洞野は小声でそう言うと、夏鈴は思わず笑った。洞野なりの冗談だと思ったし、素だとしても洞野に馴染宮という友達ができたのは紛れもない事実だから、喜ぶのも当たり前だと思った。

「なあ、あの二人って…」

 馴染宮は舞野と伴野に訊ねた。二人は面白そうに笑う。

「そ!」

「そう!」

 二人同時にそう言った。馴染宮も面白そうに笑った。隣同士で楽しそうに会話を続ける二人が、本当にお似合いだと思った。

「あーあ、いーな」

「いーな?何が?青春したいの?」

「してーよ」

「わっかるー、青春したいよね!」

 三人が楽しそうに会話する。しかし、そんな事も気にならないほどあまりにも楽しそうに会話するので、逆に三人が困った。

「お似合いにもほどがあると思うけど」

 伴野が思わず呟いた。

「むしろ何を会話してるんだろ」

「……置いてってみる?」

 舞野の提案に、二人は頷いてみた。


 というわけで、舞野と別れた帰り道。馴染宮と伴野は歩いている。

「やっぱ二人でよかったのかよ」

「いーよいーよ。馴染宮だって気づいてたでしょ?あの二人」

「まあ、気付いたけどさ」

「あんなに綺麗な両片思いないでしょ!」

「そうだよなー。………片思いね…」

 馴染宮が天を仰ぎながら呟いた。伴野は馴染宮の顔を下から覗き込む。馴染宮が地面を向くと、伴野の綺麗な顔が目に入った。

「…………んだよ」

「ん?なんか悩んでるみたいだけど」

「………だって、目の前であんなのみたら、楽しそうだなって思うだろ。青春したいなって思うだろ」

「嘘だあ、もっと他の理由でしょ?」

「ちょっと嫉妬するよね」

「嫉妬!?まさか、夏鈴が好きになったとか言わないよね!?」

「いや、女川さんは可愛いけど、でもあんな分かりやすく相手がいたらね!」

「いやいや、まだ付き合ってないよあの二人!」

「え?両片思いから付き合ったんじゃないの?あれでまだ付き合ってねーの!?」

「まだ両片思いだよ!」

「って言うかどうやって両片思いだって気付いたんだよ」

「ほら、こんな感じで」

 馴染宮の問いに、何も下心なく伴野が例えてみせた。馴染宮に手で顔を寄せるように促して、それに何も考えず馴染宮も従う。そして、耳元で伴野が解説する。

「夏鈴がこんな感じで洞野くんに話しかけてた。そしたら、洞野くんがさ。めっちゃ真っ赤になってたの。それ見た夏鈴も真っ赤になっててさ」

「あ、それは完全に気付くよな」

 ちゃんと互いに向き直す。

「むー、本当にあの二人入学式で初めて会ったの?そうとは思えねーんだけど」

「初めましてだってさ。すごいよね、距離やばすぎ」

「ほんと、俺と伴野なんて10年くらい一緒にいて、いまださ…」

「へ?いまだ?」

「いーや。なんでもねーよ」

「なんだよ、なんでそんな茶を汚すの」

「俺お茶は苦手だから濁さないとおいしく飲めないから」

 馴染宮の冗談に素直に大笑いする伴野。それが、いつもの会話だった。

「や、お茶濁すのいいと思う」

 そうやって伴野は笑う。

「ていうか、お茶汚すなよ」

 小声で馴染宮が突っ込む。

 馴染宮の中で人生史上、一番緊張した日は、こうして友達が三人増えて終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る