ルカとレオ
淳がアレックスの葡萄園で働き始めて既に三週間が経とうとしていた。
相変わらず園に彩夏の姿は見られなかった。
心配になった淳は、彩夏のラインにメッセージを何度か送ってみたが、一度も返事は返ってこなかった。そして、そのメッセージは今だに未読のままだった。
「ジャン! よくやってるじゃないか! その調子だぞ!」
突然淳の背後で声がしたかと思うと、肩に衝撃を感じた。その拍子に淳は頭から転倒しそうになったが、寸でのところで持ちこたえた。
「すまない、すまない、力を入れすぎちまった、ははは!」
振り返ると、ルカが淳のすぐ後ろで笑っていた。
淳のバケツが葡萄で一杯になっていることに気が付いたルカは、数メートル先に置いてある大きな木箱の方を笑顔で指さした。
葡萄の各ラインの端には、大きめのプラスティックの箱が置いてあり、葡萄で一杯になったバケツをその箱の中へ移していく。箱が一杯になると、フォークリフトが箱をトラックに積み込んでいった。
もう三週間近くもここで働いている淳は当然知っていることだったが、ルカが褒めてくれたのは初めてのことだった。
ルカが大きな身体を揺らしながら、大声で笑っているところをみたのも初めてだった。
「あっ、ありがとう! 頑張るよ!」
淳が仏語でお礼を言うと、ルカは親指を立てた。
彼の頭上には、突き抜けるようなボルドーの青い空が拡がっていた。
淳にとっては毎日のように見てきた空のはずなのに、まるで今日初めて空を見つけたような気分になった。表情が自然と緩み笑顔になっていく。
彼は別のラインへ行こうとしているルカを呼び止めると、思い切って彩夏のことを聞いてみた。
「アヤカ? ああ、あの日本人の女の子か。そういや最近見てないな。レオに聞いてみるかな……おいっ! レオ! レオ!」
ルカは隣のラインの箱をフォークリフトで回収しているレオに向かって、大声をあげて手を振った。
レオはすぐにルカに気付くと、フォークリフトのエンジンを切って降りて来た。
朝方は着ていたシャツをいつの間にか脱いだらしく、レオは上半身裸だった。少し焼けた肌に無駄な脂肪のない引き締まった上半身が上下に揺れている。時折、首にかけているロザリオのような装飾品が太陽の光を反射していた。
淳は傍でしばらく二人の会話を聞いていたが、彼らの仏語が速すぎて、何度か出てきた『アヤカ』と『日本人』、そして『ジャン』という単語以外は、殆ど聞き取れなかった。
「悪いな、ジャン。レオもよく知らないらしいが、彼女はとっくに辞めたらしいぜ」
ルカは淳の方を振り向くと、出来るだけゆっくりと仏語で説明した。
「え? いつ?」
淳が驚いてレオの方を見ると、レオは苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。
「ジュン、オレは詳しい理由は知らないけど、確か先週だったかな。親父から彼女は辞めたとそう聞いたんだ。ジュンはてっきり知っていると思ってたけど……」
レオは仏訛りのある英語で説明した。
淳は、殆ど話したことのないレオが自分の名前を正確に憶えていることに少し驚いた。
「そう……ありがとう」
淳がそう言うと、レオはひとりで何度か頷いた。そして、ルカに何か言うとフォークリフトの方へ戻っていった。
そんな彼を、淳は暫くぼんやりと眺めていた。
フォークリフトに乗り込むとき、レオは一瞬淳の方を見た。その表情は、何処か微笑んでいるように淳には見えた。
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