第21話

「よし。俺たちも帰ろうか、エント」

「はい」

 陸とエントは今、因幡と因幡の家に泊まる夢岸を家の近くまで送り、二人の姿が家の中に入って見えなくなったことを確認してから、自宅に帰るために歩き始めた。

 ……しかし、かなり遅くなったな。

 これは家に着く頃には、父さん寝てるな。と、数年前から、年のせいか眠れなくなったと言って、毎日決まった時間に薬を飲んで眠っている父親を起こさないように家では静かにしなければならないと考えた陸は、そのことをエントに話すために口を開いたが、隣を歩くエントの姿を見た陸の口からその話題が出ることはなかった。

「――――」

 輝く星々の下、エントは歌い踊っていた。

 それは、舞踏会で踊っても恥じることのないダンス、というわけではなく、くるくると回っているだけであり、素晴らしき歌声を披露しているわけでもなく、ただただ高い音を発しているだけであった。

 だが、エントは間違いなく歌い踊っていた。一日が楽しかったことを喜び、命に溢れるこの星に感謝するように。

「……」

 ……本当に、別人みたいだな。

 姉、縁果はこんなことは決してしない。例え、やれと命じても、自然な笑顔が作れず、もっと不自然な動きになるはずだと考えた陸は、やっぱり、縁果がエントを演じているわけではないのだろうなと思った。

「……」

 だが、自分を別世界から来たロボットであると完全に思い込めてもいないのではないかと陸は考え始めていた。

 ……今日の肝試しで俺は何回かエントから姉さんの片鱗を感じた。音楽室に入る前の声のトーン。猫を抱いている時の笑顔。

 そして。

「……なあ、エント」

 焦る必要はないが、聞かない理由もないと陸はあの場で尋ねることができなかったことをエントに聞くことにした。

「はい、なんでしょうか」

「肝試しをしてたとき、休憩のために教室に入っただろ? あの時、エント、時間割を眺めて懐かしいって言わなかったっけ?」

 陸がエントに聞きたかったこと、それは途中でピアノの音に邪魔され、質問することができなかった、エントが小学校の時間割を懐かしいといった理由である。

「エントって別世界から来たロボットなんだろ? ……何で時間割を懐かしいと思ったんだ?」

 そして、そのことを下手に誤魔化すことなく直球で陸は尋ね。

「ああ、それはですね――――縁果さんが瞬間的に覚醒したからだとあの後考えたらわかりました」

 エントもまた誤魔化すことなく、真実を語った。

「……姉さんが覚醒……?」

「はい、あくまで一瞬ですけどね。その後もちょこちょこ、あったんです。音楽室に向かう時とか、猫を抱いている時とかですね」

「――――」

 姉の雰囲気を感じたポイントをエントが自分から言ってくれるとは夢にも思っていなかった陸は驚いたものの想像以上の手応えを感じながら会話を続けた。

「……時々覚醒するということは、姉さんは眠っていると考えて良いのか?」

「そうです。初めて会った時にも説明しましたが、私を構成するデータは脳の周りに薄い膜のように貼り付いていて、その奥で縁果さんは眠っているんです。あ、もちろん、私が眠らせてるわけではありませんからね? 縁果さんが自ら望んで眠り続けてるんです」

「姉さんが望んで眠ってる……? それは何故?」

「さあ、わかりません。脳から記憶などのデータを引き出すつもりはありませんから。……これはただの推測ですが、起きたくない理由でもあるんじゃないでしょうか?」

「……」

 ……起きたくない理由。普通に生活してたら、学校に行きたくないとか、仕事をしたくないとか、そういう一種の現実逃避としてあるんだろうけど。

 引き籠もりの起きたくない理由って、何だ? と、陸が既に最大級の現実逃避をしている人間の起きたくない理由について頭を悩ませていると、エントが珍しくため息を吐いた。

「正直に言うと、縁果さんには早く起きて貰いたいんです。この地球は大変素晴らしいですし、いる間はエンジョイする気満々な私ですが、……それでも私の住む地球ではないのです。私は早く戻って、創者と妹の助けになりたいんです」

「え? ……姉さんが起きると、その、エントは元の世界に戻れるのか?」

「はい。機械などの無機物に取り付いていれば、向こうで新しい身体ができればすぐに戻れたんですが、生物、しかも人間に定着してしまったものですから、縁果さんの意識がはっきりしない限り戻れないんです。縁果さんが起きて、私を拒絶してくれれば、こう、パーンと弾き飛ばされて、私の地球に戻れるんです」

 まあ、新しいボディを創者が用意してくれているというのが大前提ですが……。と、若干不安げに語るエントを見ながら、先程の発言に矛盾を感じた陸は声を上げた。

「待ってくれ、エント。さっき、君は姉さんが覚醒したと言わなかったか? 姉さんが起きたんだったら、もう君は元の世界に戻れてるんじゃないのか?」

「そうだったらよかったんですけどね、ダメだったみたいなんです。やっぱり縁果さんには中途半端な覚醒ではなく、しっかりと起きて貰わないと」

「……中途半端な覚醒? それは寝惚けているってことなのか?」

「たぶん、そうなんじゃないかなと思います。私はまだこの身体で眠りを経験していないので断言できないんですけど……、寝てたのに、一度起きて、また寝た。みたいな感じなんじゃないかなと思います」

「……姉さんが起きるタイミングは決まってるのか?」

「あ、そのことについてなんですけど、逆に私が陸さんに聞きたいんです。縁果さんって時間割や猫が好きだったりしました?」

「……時間割に思い入れがあったかはわからないけど、猫はたぶん好きだと思う」

「それなら、瞬間的に覚醒するタイミングはなんとなくわかりました。ズバリ――――縁果さんはやりたいことや好きなものがある時だけ覚醒するんです。そして、興味のないことや、やりたくないことがある時は眠っているって感じなんだと思います。一言で言ってしまえば、――――おいしいとこ取りをしてますね、縁果さん」

「……おいしいとこ取りかあ」

 なんだよそれ。と、陸が軽く笑うと、つられてエントも笑い、二人は笑い合いながら夜の町を歩き続けた。

「――――」

 ……考えろ考えろ俺。

 その笑みの裏で必死に頭を働かせながら。

 今の会話を陸は、縁果が出してくれたヒントだと思ったのだ。

 ……これ、私が出す要求を呑めば、普通に戻るよっていう姉さんのメッセージだよな。エントはこう言った。やりたいことや好きなものがある時だけ一時的に覚醒すると。それはつまりやりたいことや好きなものを大量に用意すれば、常時覚醒する、つまり、ちゃんと起きて、昔の姉さんに戻ってくれるってことなんじゃないか……?

 となれば、姉さんの好きなものを色々思い出さなきゃいけないな。と、陸が自分の推理を信じ、考えることに没頭している時。

「……」

 エントもまた必死に頭を働かせていた。

 何かがおかしい、と、エントが感じ始めたのは数分前。命溢れるこの町、この場所に――――不純物が混ざったという感覚を得たのだ。

 それは己が不純物であるからこそ得られた感覚であったが、エントはその感覚を信じ切れずにいた。

 何故なら、他に不純物があるということは、自分と同等の存在がいるということである。

 この地球、この時代にそんなことがあり得るのかと、エントは周囲を注意深く見渡し、耳を澄ませた。

「……」

 そして、視覚は何の異常も捉えず、聴覚も夜に鳴く鳥の声が聞こえただけであったため、エントは、昼の件は私の勘違いだったようですし、これもやっぱり気のせいでしたか――――と、思いそうになった自分を叱責するように、再度、思考を巡らせ始めた。

 自分が大丈夫だろうと思ったときに本当に大丈夫だったことはあまりに少ないのだからとエントは基本に立ち返って考える。何故、数分前に急に違和感を覚えたのかということを。

「……」

 そして、違和感を覚えた数分前に自分が何をしていたかをエントは思い返し。

「――――」

 その事実に気づいた。

 エントはその時、陸と会話をし、創者という存在について語っていたのだ。

 もし、それに反応したというのなら――――

「陸さん……!」

 そして、ある可能性に気づいたエントは慌てて声を出したが。

 ソレはもう――――眼前に迫っていた。

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