第20話

「いやー、嘘も未知もいいですけど、猫が最高ですねっ!」

 なんですか、この柔らかすぎる生物は! と、満面の笑みを浮かべて、音楽室に迷い込んでいた三毛猫のお腹をわしゃわしゃと撫でるエントを陸が少し離れた場所から眺めてると。

「懐中電灯、返してきましたよ」

「それとねこちゃんのことを受付の人に聞いてみたんだけど、近くに住んでる人が放し飼いにしてる子みたいで、普段は受付で観光客の人に撫でられるのを喜ぶおとなしい子なんだって。学校に入り込んだことなんて今までなかったのに。って受付の人、ちょっと驚いてた」

 受付に懐中電灯を返すついでに音楽室にいた猫のことを聞きにいった夢岸と因幡が戻ってきて、陸に話しかけた。

「飼い猫か。まあ、首輪もしてたしな。じゃあ、あの猫はここに……」

「うん、慣れてるこの辺りに置いておけば、勝手に飼い主さんのところに戻るだろうって、後、学校の中から連れてきたことを感謝されたよー」

「そうか」

 なら、これで肝試しの後始末も全部終わったな。と、陸は思った以上に内容が濃くなった肝試しが無事終了したことに安堵の息を零した。

 陸たちは今、団体の観光客と入れ替わるように校舎を出て、校門付近で雑談をしていた。

 もう肝試しは終わったので、後は帰るだけなのだが……。

「……それで、どうするんです」

 少し離れた場所で猫を撫でているエントと合流する前に、陸のくだした決断を聞きたいと因幡が陸に問いかけた。

「最初の最初で、海が平原さんのお姉さんに抱きつくことが成功してしまい、演技ではなく、自分を別世界のロボットだと本気で思い込んでいるという結論が出てしまいましたが、……その後で少し、別世界のロボットにしてはおかしな発言をしましたよね? その辺りも踏まえて、平原さんは今、どういう風に考えているんですか?」

「……そのことについてなんだが……」

 そして、陸が因幡の問いかけに対し、今の自分の考えを言葉にしようとしたその時。

「――――りくちゃん」

 話に割り込むように、夢岸が陸の名前を呼んだ。

「りくちゃん、覚えてる? りくちゃんが五年生で、わたしが四年生だったとき、どこかの家から逃げてきたおっきな犬がグラウンドで走り回ったこと。そして、そのことをえんちゃんに二人で話したら、珍しくえんちゃんが自慢げに『私が、六年生の時、猫が迷い込んで、捕まえて、飼い主さんも見つけた』って言ってたこと」

「……」

 そして、話を中断させてでも夢岸が伝えたかったことを理解した陸は。

「……ああ、覚えている」

 夢岸を見つめながら頷いた。

「なら、大丈夫だね」 

 そして、自分の思いが正しく伝わったと感じた夢岸は笑顔を浮かべて、因幡にその場を譲るように一歩下がった。そんな夢岸の動きを見て、夢岸に詳しく説明する必要はないと考えた陸は因幡に向けて自分の決断を語ることにした。

「因幡、約束を破るようで悪いが、――――俺は姉さんを町の外には連れて行かないと決めた。この町で一緒に生活し、いつか元に戻ってくれることを待つことにする」

「……そうですか。何となくそんな気はしてましたけど、一応、うちも結構関わったんで理由ぐらい教えて貰えますか?」

「色々あるが一番の理由は、ほんの一瞬だったが……、――――姉さんの心からの笑顔が見られたからだ」

「一瞬だけ浮かべた、心からの笑顔……。……え? あの人、デフォルトでいつも笑ってません? 今も猫と遊んで滅茶苦茶楽しそうに笑ってますし」

「あ、いや、あの元気な笑い方じゃなくてな。こう、口角が上がってるんだか上がってないんだかわからないぐらい微妙に上がって、笑い声はしないんだが息を吐く音がちょっとだけ聞こえて、そして、目がほんの少しだけ細まる笑顔のことだ」

「……それって笑顔なんですか?」

「ああ、それが俺の知ってる姉さんの笑顔だ。それを音楽室で一瞬だけ見られた。……希望はそれだけあれば十分だ。別世界のロボットと思い込んでいても構わない。本当の限界の限界まで、俺は今の姉さん、エントと一緒にいると決めた」

「……わかりました。平原さんが本気でそう決めたのなら、うちがこれ以上、言えることはありません。ま、頑張ってください。……もしまた助けが必要になったら、遠慮なく言ってください。あなたに頭を下げられるのは、結構いい気分になれますから」

 そして、因幡の言葉に隠しきれない善良さを感じ取った陸は、今日一日自分に付き合ってくれた二人に何かお礼をしたいと考えた。

「はは、頭を下げられるのが好きってのは、あまり良い趣味じゃないな。けど、うん、今日は悪かったな、二人とも。中学三年生の貴重な夏休みを丸一日潰させてしまった。今度何か食事でも、いや、何か欲しいものがあったら――――」

「あ、そういうのは結構です。平原さん家が色々と厳しいことはわかっているので、買って貰うものを気を遣いながら選ぶのは、正直嫌ですから」

「そ、そうか……」

「ええ、平原さんが大人になって自分で稼ぎ始めたら遠慮はしませんが、今は、……そうですね。平原さんはうち達と同じ中学校に通っていたからわかると思うんですけど、あの学校、中学三年生に自由研究をやらせる頭のおかしい学校ですよね?」

「え? ああ、頭がおかしいってのは言い過ぎだが、町の中の高校なら、ほぼ全員受かるとはいえ、一応は受験生の三年生にまで自由研究をやらせるのかこの学校は……。って、俺も去年不思議に思ったが……」

 それが一体どうしたんだ……? と言おうとした陸だったが、因幡が浮かべる穏やかな微笑みを見て全てを察してしまった陸が疑問を声に出すことはなかった。

「平原さん。うちにお礼がしたいと思っているのなら、――――昆虫採集とその観察日記、頑張ってくださいね。平原さんが書いたものを夏休みの終わり頃に写させて貰いますので」

「あ、それなら、わたしもお願いしたいなー、ああいうのは男の子の方が得意だと思うしねー」

「……」

 がんばってねー。という、夢岸の適当な声援を受けた陸は、物置にしまった蟻の巣キットとコオロギ用のカゴがまだ使えることを祈りながら帰路につくことになったのであった。

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