第15話

「――――と、今までお話しした通り、私の本職は戦闘ではないのですが、戦場で戦果を上げたことがないというわけではないのです。例えば、欧州に向かう際の連峰では、居城であり戦艦でもある動く城、アーリーズ・エクステリアの移動能力が制限され、何処からともなく湧いてくる『敵』に苦戦しましたが、妹との合体機構を応用し、エクステリアと私の感覚を連結し、探査によって連峰の中に『敵』に作られた偽の山を発見し、エクステリアの右舷を使ってその山をそこで生産されていた有象無象ごと叩き壊したことがあります。他にも……」

「……」

 抱きついた時のリアクションを見て、エントという存在が縁果の演技かどうかを見極めるという作戦をすると決めてから、十分ほどの時間が経過していた。

 エントに抱きつくことを試みる大役は夢岸がすることに決まり、陸は因幡と共に駄菓子屋の外に置かれた椅子に座って、エントの話を聞き、夢岸がエントに抱きつこうとするその瞬間を待っていた。

「……」

 ……しかし、なぜだろう。なんか、普通に聞いてしまうんだが……。

 夢岸と若干気まずい雰囲気になったせいか、エントの語る幼稚園児がおもちゃ箱の中身で組み上げたようなストーリーが心地よく聞こえ、陸が割と真面目に別世界のロボットの戦闘について考察していると。

 ……ん?

 脇腹を小突かれる感覚を得た陸が横目で隣に座る因幡を見ると、因幡は本当に小さな声で。

『もうあれから十分以上経つんですけど、海、まだ抱きつこうともしてませんよね?』

 と言っており、そういえばそうだなと、因幡の座る位置からでは見えにくい場所に立っている夢岸に陸は視線を向け――――。

「――――な」

 陸は驚きのあまり目を見開き、声を漏らした。

 ……夢、岸?

 抱きつきやすいようにとエントの隣に立っていた夢岸はエントに抱きつくために腕を上げるが、何故かすぐに下ろしてしまい、その行動を何度も繰り返していた。

 そして、明らかに混乱している夢岸の瞳が陸を捉え、夢岸は陸に状況を伝えるために口をパクパクと動かし。

『ごめん、りくちゃん。抱きつこうとしても抱きつけない……』

 声を出さずにそう語った。

「っ……!」 

 ……プランBに変更……!

 夢岸の状態を把握した陸は心の中でそう叫び、その次の瞬間には。

「エント……!」

 エントに向けてある物を投げた。

「っと、何ですか急に。――――え、陸さん、これは……?」

 そして、唐突に投げられた物体を器用にキャッチしたエントは手のひらに収まったそれをまじまじと眺めた。

 陸がエントに渡した物、それは――――百円玉硬貨であった。

「エント、ありがとう、面白い話だった。それはお礼だ。中に入って好きな駄菓子を買ってくると良い」

「いいんですか!?」

 やったー! と、歓喜の声を上げた食い意地の張った自称別世界のロボットはすぐに駄菓子屋の店内へと飛び込んでいった。

「夢岸……!」

 そして、エントがいなくなったことを確認した陸は立ち上がって、明らかに異常な様子だった夢岸に駆け寄った。

 すると、夢岸は側に来た陸に向かって。

「あー、ごめんねー、りくちゃん」

 両手を胸の前で合わせ、ふにゃふにゃとした声を発し、陸に謝罪した。

「お、おう……?」

 その夢岸の普段通りの表情を見て、陸は少し安心し、肩の力を抜いた。

「夢岸、その、大丈夫か……? さっき、様子がおかしいように見えたんだが……」

「うん、ちょっと焦っちゃったんだー。何度もえんちゃんに抱きつこうとしたんだけど、さあ、やるぞーって思うと、ふにゃあって力が抜けちゃって……。今のえんちゃん、自称別世界のロボットさんだし、誰も寄せつけない謎パワーでも出してるのかなー?」

 いや、そんな謎パワーは出てないだろうと心の中で突っ込みを入れながら、陸は夢岸がエントに抱きつくことのできなかった本当の理由を考え始めた。

 ……これは、あれか。因幡に会う前の自分の行動がトラウマみたいになってて、人に触れるのが逆に怖くなっているとかそういうことなのか……?

 もしそうだとしたら、これはこれで結構な問題だぞ。と、陸が夢岸もまた心に深い傷を負っているのではないかと推測したその時。

「……強化しすぎたか」

 陸の背後で、一人の人物がポツリと言葉を呟いた。

 あまりにも場違いな、というか現実ではまず聞くことがないような言葉であったため、陸は戻ってきたエントがその言葉を呟いたと思ったが。

「……?」

 振り返っても、エントはおらず、そこにいたのは。

「……因幡?」

 陸の後ろにいたのは、冷や汗をダラダラと流し、気まずそうにしている夢岸海の親友、因幡代だった。

「今、呟いたのは因幡か? 強化ってどういうことだ?」

 そして、夢岸が抱きつけなかった理由に因幡が心当たりがあると推測した陸が質問を飛ばすと、因幡は陸と視線を合わせず、申し訳なさそうに声を発し始めた。

「あの、その、なんといいますか。……ほら、平原さんもご存じの通り、うち、海絡みでちょっと情緒が激しかった頃があったじゃないですか?」

「ああ、あの面白かった時期のことな」

「やわらかい表現ありがとうございます。あの頃、うちは海に人との適切な距離感を教えていたんですけど、途中から、……というか適切な距離感って何? そもそも、うち以外の人間が海に近づくとか許せなくない? うちの海を他人が触るとか許せない……! ……というような思考に支配されまして、うち以外の人間には必要な時以外は触るな触らせるなと滅茶苦茶激しく教育したんです」

「それはつまり……」

「はい。おそらく、うちが強化しやり過ぎたのが、まだ残ってるんです」

 ごめんなさい。と頭を下げる因幡を前に、いや、そういう話を俺に謝られても。と陸が困惑していると、夢岸が、あー、と声を上げ、納得したと言わんばかりにポンと手を打った。

「そっかー、うん、そうだねー。抱きつこうとしてふにゃあって力が抜ける感覚、思い出したよー。あの頃、しろちゃんがこれも教育だからって言って、わたしの寝てるベッドに入ってきて後ろからこう、がばーって」

「海、お願いだから黙ってて。それは外で言っていい話じゃないし、平原さんに聞かせる話でもないから……!」

「……あー、とにかく、だ。夢岸が人に抱きつけないのは二人の問題であって、大事ではないと俺は認識して良いのだろうか?」

「……一応は、それでいいと思います」

 と、夢岸に過去、ちょっと激しい教育をしてしまった因幡からのお墨付きを貰った陸は、この件に関しては今のまともになった因幡に任せるべきだと判断した。

「よし、それじゃあ、エントには俺が抱きつくとするか」

 そして、陸は夢岸の状態を考え、自分がエントに抱きつくことを試みると宣言すると、因幡が、え、とくぐもった声を上げた。

「本当に平原さんが抱きつくんですか? 誰かに見られたら通報されません?」

「……」

 言われ、陸は想像する。白昼堂々、道の真ん中で男が若い女性に抱きついている場面を。

「……うん、完全に通報されるな。それなら、そうだな、家に帰ってから抱きついてみるか」

「……それ、絵面ヤバすぎません?」

「……」

 言われ、陸は想像する。高校一年生の弟が二十歳を過ぎた姉に家の中で隠れるように抱きついている姿を。

「……ヤバいな」

 まずい、これはどっちにしても厳しいぞ。と、陸が頭を抑え、その場で唸り始めると、因幡がやれやれといった感じで。

「仕方ないですね。うちが――――」

「りくちゃん、悩まなくても大丈夫だよー。わたしがちゃんとやるからー」 

 声を上げたのだが、因幡の声は夢岸の元気な声に掻き消された。

「……夢岸がやる? いや、だって、夢岸、お前、抱きつけなかっただろ?」

「うん、けど、今、抱きつけなかっただけだからー」

「……今?」

 それは、どういう意味だ? と、説明を求めるために陸の視線は自然と因幡の方を向き、何故か呆けていた因幡は、数秒後に陸に視線を向けられていることに気づき、少し慌てて喋り始めた。

「あ、えっと、それはですね。当時のうちが海に教育したのは必要な時、適切なタイミング以外では他人に触るな触らせるな、というものだったんです。常時他人に触れられなかったら日常生活で困りますし、――――緊急時に他人を盾にできなかったら、海が傷ついちゃうじゃないですか」

「あ、ああ……」

 昔の話であったせいか、言葉の端々に当時の狂気の片鱗を感じ、陸は若干たじろいでしまったが、陸は因幡の説明を咀嚼し、理解した。

「つまり、自然に抱きついてもおかしくない場面であるのなら抱きつけるってことか。……自然に抱きつけるときってどんなときだ?」

「それは……」

 そして、夢岸が抱きつけるのはどんなときなんだ? と陸は因幡に尋ねたが、そのタイミングに関しては因幡も考えておらず、陸と因幡は夢岸に視線を向けた。

 すると、夢岸は、無邪気な子供のような笑顔を浮かべて。

「今日の夜、みんなで――――肝試しに行こうよ」

 夏の風物詩を皆で楽しみたいと語った。

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