第14話
――――夢岸海。元号町の一つである平成十年町で生まれ育った中学三年生の少女はかつて周囲の大人達からこう呼ばれていたことがある。
夢岸海は、――――魔性の女の卵であると。
かつての夢岸は、嬉しいことがあると相手が誰であろうとハグをしたり、隣に座るとなると肌と肌が密着するほど物凄く近くに座ったり、喋る時は常に相手の顔を覗き込むように見ながら喋り、その会話も相手を絶対に貶さず、どんな小さな事でもべた褒めしたりと、全体的な距離感がやけに近く、男子を勘違いさせる行動を意識せずに行う魔性の少女だった。
幼馴染みであった陸もそんな夢岸の行動に数え切れないぐらいドギマギさせられたが、今のままでは夢岸は将来大変なことになるんじゃないかと陸は幼いながらも心配し、注意しようとしたが、幼かった陸は男女関係についてうまく説明ができず、撃沈。縁果も陸以上に夢岸を心配し、色々と話そうとしたが、無口な縁果はそもそもまともに話せず撃沈。
そして、具体的な解決が一切なされないまま、時間はどんどん進み、夢岸の身体もどんどん女性らしく発育していき、小学校高学年にもなるとポツポツと男子に告白され始め、その度に夢岸が断ると、あんなに思わせぶりだったのに、と毎回、軽い騒動が起きていた。
そんなときだった、因幡代という少女が町の外から転校してきたのは。
自分のクラスに転校してきた町の外からきた少女。それはこの時の夢岸にとって、救いとなった。
自分の行動の何がいけないのかがよくわからず、それでも自分の周りの雰囲気が悪いことを肌で感じていた夢岸は、特殊な町である平成十年町に因幡が慣れるまでの世話役を買って出た。
そして、現実から逃避するように夢岸が因幡に町の案内を夢中でした初日の、その別れ際に。
『あんたって、顔が良いだけで、言動の全てがキモいね』
因幡は夢岸を軽蔑するように、その言葉を吐き捨てた。
そのあまりにも直截的な言葉をぶつけられ、夢岸は涙を流した。
しかし、夢岸が涙を零したのは侮蔑されたからではなく、因幡が自分の救いであると再確認できたからであった。
家族や幼馴染みは自分に気を遣い、見知った顔は遠巻きに陰口を言うだけ。そんな状況で面と向かって気に入らないと言ってくれた因幡に夢岸は感謝し。
『お願い、そのキモいと思ったところ、全部教えて欲しいの』
自分の悪いところを全て指摘して欲しいと因幡に涙を流しながら頼み込んだ。
そして、涙ながらの願いを因幡は断ることができず、それから夢岸は因幡の監督のもと、無意識のうちにやっていた媚びを売っているようにしか思えない言動を頑張って矯正し、夢岸はそれから他者、特に男子と適度な距離感で接することができるようになった。
それは夢岸本人の努力と根気よく因幡が特訓に付き合ってくれたが故の成果ではあったのだが……。その後、ちょっとした問題が生じることとなった。
夢岸の他者との距離感をまともにするために、因幡は一時期四六時中、夢岸と一緒に過ごしていた。
そう因幡は、魔性の女の卵、とまで言われていた少女と本当にずっと一緒にいたのだ。
その魔力ともいえる夢岸の魅力はたとえ同性であったとしても、少しずつ、少しずつ因幡の心を侵し――――
「――――うん、今でも思い出す。学校から帰ってきたら、家の前に、知らない女の子が立っててさ。あ、この子が噂の転校生かな。もしかして、夢岸の家と間違えてるのかなーとか、そんなことを考えてたら、その子が話しかけてきたから、一言二言話したんだ。そして、その会話で俺が平原陸だってことがわかった途端に『この……! 生まれながらの変質者……!』って、大声で叫んだんだよ、その子」
「……やめません? その話」
「その子が何でそんな言葉を叫んだのか、全く意味がわからなくてさ。俺も混乱して、生まれながらってどういう意味……!? って、聞いたんだよ。そうしたら『年下の美少女が近くに住んでいて、小さい頃から遊んでいたなんて、そんな男にとって都合の良すぎる環境が偶然できるわけがない……! あんた、海を狙って先に生まれたんでしょ……!』……って言ってきたんだよな。ほんと、凄い考え方だったし、その子、目に狂気が宿ってたから、割と命の危機を感じたんだよな、俺」
「あの頃のうちはちょっとどうかしてたんですって……」
「けど、『海はうちが守る……!』って宣言してくれたのは助かったな。夢岸のことを幸せにしてくれるなら、殺されてもそこまで後悔はなかった」
「殺さなかったし、一年ぐらい経ってからでしたけど、滅茶苦茶謝ってうち許して貰いましたよね……!?」
とにかくやめましょうよこの話……! と、恥ずかしさから顔を真っ赤にした因幡を見て、少しからかいすぎたと陸は謝罪をして、ちょっとした切っ掛けから始まった昔話をやめることにした。
そして陸は。
「んー、なるほどー、そういうことかー」
陸の願いを聞き、その内容に一定の理解を示してくれている夢岸に視線を向けた。
陸が夢岸に頼んだこと、それは。
「……しかし、海への頼み事が、お姉さんに抱きついて欲しいって」
中々にシンプルですね。と、少し落ち着き、顔色が元に戻った因幡が陸の頼み事を言葉にした。
そう、陸は夢岸に昔のように縁果に抱きつこうとして貰えば、この問題は解決するかも知れないと考えていたのだ。
「つまり、平原さんは、あれが演技なら咄嗟の行動には素が出るって考えてるんですよね? うちもその方法、悪いとは思いませんけど、なんで海にやらせるんです? 平原さんが抱きつけばいいじゃないですか。姉弟なんだし」
「俺だと昔と比較ができないんだ。俺が姉さんに抱きつこうとしたことは一度も無いから」
「あ、いや、冗談なんですから本気で答えないでくださいよ。……けど、そういうことですか。確かにうちと会う前の海なら幾らでも……抱きつこうとした? 抱きついた。じゃないんですか?」
そして、陸との会話で微妙に噛み合っていない部分を見つけた因幡が首を傾げると、その説明を陸ではなく夢岸が始めた。
「えんちゃんはねー、抱きつこうとすると、こう、スッ……って避けるんだよねー、りくちゃん」
「ああ、昔、姉さんが俺たちと遊んでくれた時に夢岸が抱きつこうとすると姉さんは全力で回避してたんだ」
「……何故です? 海の服が遊んで汚れていたからとかですか?」
「いや、誰であっても純粋に触られるのが嫌だったんだと思う。姉さん、子供の頃から、孤高の人って感じだったから」
「えー、それは違うよー。えんちゃんは照れてただけだよ」
そうか? そうだよー。と、意見が食い違い言い合う二人を見て、因幡は、何にしても面倒臭そうな人ですね。と、思わず言いそうになったが、何とかその言葉を呑み込んだ。
「と、とにかく、話をまとめると、海が抱きつこうとした時に、お姉さんが昔のように避けようとしたら、演技の可能性が高いので現状維持。海が抱きついても平然としていたら、本当に自分のことを別世界のロボットと思い込んでいる可能性があるので、病院に連れて行くことも考慮する。……という感じでいいですか?」
ああ、そういう感じだ。と、今後の方針をまとめた因幡の言葉に陸は頷いた。
「夢岸」
そして、陸は、この作戦の要である夢岸が手伝ってくれるかどうかを確認するために声をかけた。
「夢岸、もし今お前が姉さんに抱きついたりすることで、因幡が町に来る直前の、その、色々と大変だった時期のことを思い出してしまうかもしれないと、少しでも不安に思っているようだったら、ハッキリ嫌だと言ってくれるか。その場合、判断は難しくなるが……、――――俺がやるから」
と、陸は夢岸の意思確認をするための言葉を投げかけたが、夢岸から返ってきたのは。
「……ほへっ」
言葉ではなく、しゃっくりをした際に出るような不思議な音であった。
「……夢岸、ほへ。とは?」
「あ、変な声出しちゃって、ごめんね、りくちゃん。ちょっと驚いちゃって」
「?」
驚く? 一体何に? と、今の会話の流れで驚く要素が思いつかなかった陸が首を傾げると、夢岸は感情の読めない笑顔を浮かべ。
「今のりくちゃんって、ただしく、気を使えるんだなーって驚いたの」
とても明るい声で、自分が驚いた理由を語った。
「……え?」
「ほら、昔、それこそ今、話に出た時期に、りくちゃん、わたしに気を使ってくれたよね。あの時のりくちゃんの気の使い方って、わたし的にはゼロだったんだ。もちろん、マイナスじゃないから全然ありがたかったけど……、もし、今みたいなプラスの気の使い方をあの時にしてくれていたら、――――とってもうれしかっただろうなー。……って、思っちゃった」
「……夢岸」
「ごめんね。変なタイミングで変なこと言っちゃって。もちろん、この抱きつき作戦はわたしがやるよー。わたしの抱きつきチャレンジ、ちゃんと見ててねー」
それじゃあ、先にえんちゃんのところに行ってるね。と夢岸は言い残し、陸の側から離れていった。
そして、それから暫くの間、陸は夢岸の後ろ姿をただただ眺め続けていたが。
「……逃がした魚はなんとやら、ですかね」
「――――」
哀れむような、励ますような微妙な声音で因幡が言葉を呟き、その声で我に返った陸は、拳を強く握りしめ。
「……いや、これでいいんだ」
俺とあいつの関係は、このぐらいが丁度良いと、現状を肯定した。
あいつは俺にとっては本当に大きすぎるやつだから。と、陸はこの先、夢岸との関係が友人以下になることはなくとも、友人以上になることもないという現実を噛み締めながら、ゆっくりと歩き始めた。
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