第10話 肩透かし
作戦会議をしたものの、殆どお手上げ状態で終わってしまった。私が困っていても時間は流れていく。つまり仕事に行かなくてはならない。私は『アルマジロ』にちゃんと出勤してパンを作り続けていた。店の外では木枯らしが吹いていて、街路樹の黄色に変わりつつあるイチョウを荒っぽく揺らしている。
森本さん一行が再び来るのかもしれず、その心配をすると気が重い。でも大好きなパン作りをしていると少しは気がまぎれる。丸く整えたパン生地に十字にハサミを入れて、卵黄を塗る。『アルマジロ』イチオシの朝食向けミルクボールパンだ。よし、と思った所でアヤメが私の腕部分の袖を引っ張った。
「来たよ、あの人」
「えっ」
反射的に出入り口の方を見ると、居た。
森本さんだ。今日は一人。
レジの北村さんも彼女を憶えていたようで、やや緊張した声でいらっしゃいませと言った。私はおや?と思った。森本さんの表情だ。別に怒ってはいないらしくパンの棚を流し見している。
それでも油断はできないと、はらはらしながら、森本さんの動向を伺っていた。なんだか怖くなって、アヤメと二人で手に手を取って息をひそめて森本さんを目で追っていく。彼女は左手にトレイ、右手にトングを持ってパン屋にとってふさわしい行動、つまりパンを選び始めた。
「焼きたて、ふーん」
森本さんの唇がそんな風に動いた。まさか、単にパンを買いに来ただけ?この間のあの態度は何だったの。こちらの思いとは裏腹に、森本さんはパンをトレイに載せていく。選んだのはチョココーティングされたクリーム入りデニッシュと焼きカレーパンだ。どちらも売れ行きが良い商品だった。
レジで支払いを済ませると何事もなく、森本さんは店を出て行った。
なにこれ。そう思ったのはアヤメも同じらしく、ため息とともに言葉を発した。
「なんだったの、今の」
「分からん」
私は本当に何が何だか分からなかったから、そう答えた。北村さんが驚いたようにこっちの調理場を振り向いて言う。
「あの人、この間の人よねえ。何なのかしら」
私達二人はハモって答えた。
「うーん、分かりません」
その後の休憩時間にアヤメと話し合って、今日森本さんが来たのはあれはあれで脅しなのではないか、と結論付けた。
「多分そうじゃない?私の職場を知ってる、いつでもいけるぞ!みたいなメッセージが込められているのよ。今日の森本さんの行動は」
「うーん、そう、かなあ……。そういう時って、なんか捨て台詞とかを志帆ちゃんに言っていくものなんじゃないの?表情とか見ててもフツーにパン選んでて、単なるお客さんにしか見えなかったけど」
「向こうも考えているんじゃない?真っ白ちゃんが言ってたでしょ。悪意があるのはお互い様ってことにしたら私が助かるって。向こうは悪意の証拠を掴まれないようにしてるんじゃない?つまり、紛らわしい行動を起こして焦らしてるんだと思う」
アヤメはふーむという声を出しながら長い溜息をついた。
「そうかなあ……。そういう時ってニヤニヤしたりして余裕を誇示したりするもんじゃないかなあ……。調理場に志帆ちゃんがいるってこの間来たら知ってると思うけど、全然無頓着だったよ?」
「……うーん、そう言われれば……。じゃあ、何があったか真っ白ちゃんに訊いてみようかなあ」
木枯らしが電線を揺らす音がした。
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