ちーちゃんと私

   ちーちゃんと私

 (この物語は毎段落視点が変わります。分かりにくかったらごめんなさいい。)  

   

 授業参観の日、母親と大喧嘩をしてしまった

 原因は単純。突然、母親の仕事が入り、授業参観に来れなくなってしまったから。一生懸命考えたお母さんへの作文も、無駄になってしまった。怒りが抑えられなかった私は、最後の抵抗として、マンションの入り口から出ていく母親の近くに、母親の大事な鉢植えを十一階の自分の部屋から落とした。粉々になった鉢植えを見た母親は、鬼の形相で私を下から睨んだ。その光景が、今でも忘れられない。学校についても、未だに母親のあの顔が、頭から離れられなかった。

 数日後、母親の様子が急に変化した。鉢植えの件以来、私と母親は言葉を交わさなかった。怒りに狂った母親を見た私は、あの時鉢植えを落とした事を酷く後悔した。

 そんな後悔の渦の中、突然、私の母親は笑顔で私にいつもの様に母親特製のオムライスを作ってくれた。俯いた私を見た母親は、授業参観に行けなくてごめんね、と言い、謝罪用にオムライスを作ってくれたと話した。私は、母親がやっと頭を冷やしてくれたのだと思い、安堵とともにあの時の事を謝った。それから、私と母親との間も修復され、いつも通りの母娘の関係に戻った。

 

 ちーちゃんが、私の大切な鉢植えを壊した。原因はわかっている。急な仕事が入り、ちーちゃんの授業参観に行けなくなってしまったからだ。やっとまともな休みが出来たのにも関わらず、急に部下から応援の連絡が来て、突如出勤する事になってしまったからだ。その話を聞いたちーちゃんは、酷く怒ってしまい、衝動的に、私の鉢植えをあの子の部屋から地面に落に叩きつけた。鉢植えを落とした事に関して、さほど怒りは覚えなかった。何よりムカついたのは、あの鉢植えは『私目掛けて』落とされていたという事。

 ちーちゃん、本名鬱実千春は私の大事な一人娘。夫が亡くなった今でも、私はちーを仕事と両立しながら頑張って育てていた。しかし、ちーちゃんは昔から『何かが』人とは違った。

 一体、どこで育て方を間違えたのか、私にはわからない。とにかく、ちーの行動力は異常だった。

 だから、私はあの件について許せなかったのだ。あの子の素直さで、きっと私をも簡単に殺せてしまうのだから。今まで一生懸命育ててきた私を、いとも容易く殺せるのだから、そりゃあ怒りもする。

 そしてその怒りの感情と共に、恐怖心も沸いて出た。だからこの数日間、私はまともにちーと会話ができなかった。怒りと恐怖。その二つの感情が、私の中で一気に台風の様に駆け巡る。こんな感情、娘に対して持ってはいけないのだ。だから私は、あれをする事を決意した。

 

 クリスマスの時の事、母親は私にクマのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。少し高そうな、大きくて上質なクマのぬいぐるみだった。母親は、お仕事が忙しい時はそのくまちゃんと一緒に遊ぶのよ、と言い、何か不安そうな顔で私にハグをした。本来、子供はぬいぐるみを赤ん坊の頃から持っているはずだ。寂しい時、不安な時、子供にはそういう時間が沢山ある。だからどんな家庭でもぬいぐるみは必須アイテムなんじゃないかと、思っていた。なのに私の家では、八歳にして初めて、ぬいぐるみを渡された。特に欲しかった訳ではないけど、私はとりあえず抱きついてくる母親の肩をぽんぽんと叩きながらお礼を言った。その後、母親はこう言った。

 『ぬいぐるみを見ると、お父さんを思い出すわ。』

 

 ちーちゃんにぬいぐるみを買ってあげた。仕事帰りに街を歩いていた時、とても可愛いクマのぬいぐるみを見つけたので、ちょっぴり高かったけどちーちゃんにクリスマスプレゼントとして買ってあげた。プレゼントを渡してあげた後、私はちーちゃんに突然、

 『ぬいぐるみを見ると、お父さんを思い出すわ。』

 と、口走ってしまった。なぜ突然死んだ夫の事を言ったのかはわからない。ただ、なぜか急に脳の片隅から夫の顔が思い浮かんだのだ。ちーちゃんは首を傾げながらそうなんだ、と言い、夕食を食べに席に着いた。どうやらどうでも良かったらしい。

 最近、ちーちゃんは様子がおかしい。以前とは変わらぬ素直さ。だけど、何かが違った。確証は持てなかったけど、私に対する態度が今までとは何か違っていた。それがとても恐ろしい。ちーちゃんは、普通の子供とは違い、何を考えているか全くわからない。例えるならば、虫と話している気分だ。動物ではない。ちょこまかと動く昆虫だ。

 そう。ちーちゃんは蝶々の様だった。

 

 母親は、私の事を一度もぞんざいには扱わなかった。私の父親が亡くなっても、苛立てず、いつも通り、優しく育ててくれた。

 母親は、科学者だ。サイバーなんちゃらとかで、兎に角コンピューターにまつわる研究をしていたらしい。だから一人で家にいる事は多々あった。 寂しいとか、一人が怖いとか、そう言う感情はとうの昔に卒業していた。

 『無』

 それだけが、一人でいる時にの私の頭の中にはあった。

 母親は、私の事を愛しているのだろうか。料理はきちんと作ってくれる。そりゃあ疲れた時はレトルトとかカップラーメンで済ませるが、それはどの親にもある事だ。暴力は多少あったかもしれない、暴言も少し。だけど、授業参観の喧嘩の後にオムライスを作ってくれた日以来、一向に私に怒らなくなった。それどころが、今まで以上に優しくなったのだ。誰かが憑依しているかのように、母親は変わってしまった。この変化は良い事なのだろうけど、以前より一層、母親と距離を感じた。私は、母親に何かしてしまったのだろうか。そう思っていた。

 

 最近、研究があまり良く進まない。私は今、部下達と共に、サイバーシステムの研究している。プログラミングの視野をさらに広げて、まるで某未来映画の様な社会を作ろう、と言うのがわれわれ研究所の目的だ。そしてもう一つ、私はある実験を極秘で始めていた。数人の部下とともに、何日も、何年もかけて。それは『不老不死』の研究だ。

 夫を失って以来、私は大事な人を失う恐怖を味わった。その悲惨な出来事を二度と経験しない為に、私は世間一般で言う非人道的な実験をしていた。

 

 父親は、私が六歳の時に亡くなった。研究所での事故らしい。その時母親は、こんな事を呟いていた。

 『プログラム…。』

 話は変わるが、私の母親は少し変わった境遇で育ってきたのだ。

 捨て子で、今まで何人もの家を転々としていたらしい。それゆえに、『親しい人がいなくなる』と言う経験が無いらしかった。だから、唯一の愛する夫を失った瞬間、母親は今までにないくらい涙を流した。亡くなって数週間、母親は自傷行為を続けていた。見ていられない光景だった。そんな母親を見て私は悟った。私の母親は、『未完成』な人間なんだって事を。昔から母親は被害妄想が激しかった。人とあまり関わりを持たなかった母親は、『人』と言うものに関して理解が欠けていた。文学が苦手な母親は人の心がわからないからだろう。そう思っていた。

 

 ちーちゃちゃんは素直だ。私の言ったことはなんでもやるし、ダメと言ったものは必ずやめる。こんな良い子に育ったのに、どうして私はこの子に恐怖心しか抱けないんだろう。

 最近、記憶が定期的に失われる事が多いい。それは多分、あの研究のせいだろう。複雑な研究のせいで脳のほとんどは不老不死の事で蝕められている。頭が痛い。だんだん、夫のことも、ちーちゃんの事も忘れてきている自分がいる。研究が進むにつれ、私の脳は退化してきている。ちーちゃんの事を忘れるのも、時間の問題なのだろうか。

 

 ある日のことだった。こっそり私は母親の書斎に入った。そこには、あるプログラムの名前が入ったノートが置いてあった。なぜ入ったのかはわからない。ただ、最近研究で疲れた母親を見て、一体何をしているか気になっただけだった。

 『対人用潜在化プログラム』

 中身をペラペラめくった私は、驚きを隠せなかった。人の脳みそを操る事が可能なチップのプログラムについて、何十ページも書き込まれていた。正確に言うと人の細胞を脳みそから操る事が可能なチップだ。母親が何をしたいかわからなかったが、ふと、私の頭の中には点と点が繋がった気がした。そこからの事はあまり覚えていない。

 

 ある日、ちーちゃんの様子がおかしくなった。私を見るとよそよそしくなると言うか、妙に他人行儀だった。元々何を考えているかわからない子だったけどここ最近さらに解らなくなった。人の心は数式と違い、答えが無い。好感度とかが目に見えていたら、こんなに苦労はしないだろう。数字が無い、予測不可のな所が人間の面白い所だ、と、誰かが言う。私はそうは思えない。

 そういえば、去年のクリスマスの時、なぜ私はぬいぐるみを見て夫の事を思い出したのだろう…。私は書斎の中で何か手がかりを見つけようとアルバムを見始めた。そこである写真が目に入った。その写真には、まだ結婚する前の私と夫が映っていた。だけど私は、ぬいぐるみの件以前に、こんな事を考えてしまっていた。

 『私の夫って…、こんな顔してたかした…。』

 そんな考えを抱いた瞬間、背筋が凍った。

 顔が思い出せなくなっていた。旦那の。大切だった夫の顔が、まるでモザイクをかけるように消えていた。

 『嘘…、なんでこんな大切な事…。』

 その時私は自覚した。

 実験が進んでいる事を。

 

 母親は、物忘れが激しくなった。私の誕生日も自分の出身地も全て。それになんだか身長も縮んでいる気がした。老化とかそう言う物じゃなく、不自然な縮み方をしていた。きっとこれは母親の研究だ。私はそう思った。私は母親の事が、怖くなった。前から怖かったけどこの時の恐怖心は異常だった。きっと私の存在自体もいつか忘れてしまうのだ。居た堪れなくなった私は、ある事を決意した。

 

 ちーちゃんが何かをしていた。最近、夜遅くに家の中をゴソゴソと嗅ぎ回っている。こっそりあの子の部屋を覗いた。すると、ちーちゃんは大きなカバンを出して、荷物詰めをしていたのだ。私はちーちゃんに何をやっているの?と聞くとちーちゃんは一瞬びっくりして、その後、修学旅行の準備してるんだよ!と言った。ちーちゃんって、もうそんな歳だっけ?だめだ…もうちーちゃんの歳ですら思い出せない…。頭が混乱してきた私はその場から去った。

 次の日の事だった。ちーちゃんが家から綺麗さっぱり姿を消していた。私は慌てて家を出てあの子の事を探し回った。警察に捜索願いも出した。この数日間、私は研究を放置してちーちゃんを探していた。

 

 私はあの母親から逃げる為に家出をした。荷造りの最中、母親が私の部屋に来たが修学旅行で誤魔化した。本来、まだ八歳の私に修学旅行なんてありえない。だけど母親は、なんの疑問も持たずに部屋から去った。そこで私は気づいた。もうこの母親は手遅れだと。私の推理から察するに、私の母親はあの研究で自らを崩壊させていた。もう後戻りはできない。私は次の日の早朝、寝ている母親の額に最後のキスをして涙目で家を出た。行く宛はあった。母親が昔いた孤児院だ。色々な家の養子になる前に、その孤児院で育てられいていたらしい。なけなしのお金で私はそこへ向かい、自立するまでそこで暮らした。

 

 ある日の事だった、私の身長が凄まじく縮んでいた事に気づいた。壁の前に立ち、油性ペンで自分の身長をなぞろうとした時、突然ドアのチャイムが鳴った。目の前には警官の男が立っていた。

 『奥さん、申し訳ありません。未だに娘さんの行方は分からずじまいです。何か他に心当たりや手がかりはありませんか?』

 男がそう聞くと私は酷く混乱した。

 『娘?私、ずっと一人暮らしですよ?部屋を間違えたのでわありませんか?』

 そういうと警官の男は困惑した。そして、訳のわからない事を言い出した。どうやら私が捜索願いを出したそうだ。鬱見千春と言う少女の為に。意味がわからかったので取りあえずその捜索願いを取り下げた。おかしな事を言う警官だったわ…。

 

 こうして私、鬱見千春は孤児院を出て、一生懸命バイトし、母親の研究について調べた。そして二十年立った今、私はあの時住んでいた家へ訪れた。するとそこは既に空き家になっていた。母親の行方を探すために、私は母親の研究所へも訪れた。すると、ある研究員が、いきなり私の名前を言ってきたのだ。

 『もしかして!鬱見千春さんですか?』

 『は…はい。』

 『待っていました!あなたのお母さんならこの奥にいますよ!』

 研究員は優しい声色で私を母親の元へ案内してくれた。するとそこには、一人の少女が空な表情で椅子に座っていた。その少女は、当時の私と瓜二つだった。

 『あの、母親は私の失踪中、新しい娘でも産んだんですか?』

 目の前にいる少女に疑問を持ちながら、私はその研究員に聞いた。

 『いえ、このお方はれっきとしたあなたの母親です。』

 あの時とは背反対の姿に、私は呆然とした。けど、元を辿ればこの光景は必然的でもあった。

 つまりこう言うことだ。

 母親は不老不死の研究の為、脳みそを蝕む『対人用潜在プログラム』を作っていたのだ。先ほど書いたように、それは、脳みそから細胞を操るチップで、使うにはかなりのリスクがあった。研究所の人達は、このチップのモルモットになる事を恐れていた。そんな中、私の母親は自らを実験対象とする事を選んだそうだ。そう、授業参観の後、オムライスを作る前日に。脳みそにチップが埋め込まれた母親の脳みそは酷く刺激されたらしく、記憶の一部をも消すほど、強力なプログラムだったらしい。それから母親は、日に日にそのチップに記憶を吸収させていたらしい。

 そして、最終的に母親の体は若返った。記憶と共に真っ白な状態で。脳に刺激を与え、細胞を全て新しくする事により、体の幼児化が進んだそうだ。難しい事はよく分からない。

 そうして、母親は『二度目の人生』を歩む事となったのだ。それすなわち、未完成な不老不死を手に入れたと言う事だろう。永遠の命ではなく、細胞を作り替え、また体を最初の形へ戻すと言った感じだ。母親の研究は、とっくに成功していたのだ。

 私は、小さくなった母親の手を取り、母親を引き取る事にした。研究員の嬉しそうな顔を見る限り、幼児化した母親はもう用済みだった事が判明した。

 『今までありがとうございました。千冬さん。』

 一人の研究員がそう母親の名前を呟いた。

 細胞が狂った母親がいつまで持つか分からない。だから私は、その母親が壊れてしまうまで、一緒にいる事にした。

 

 こうして私は、この騒動を記録する事にした。何分、母同様文学が苦手なので所々意味が伝わりにくかったかもしれない。そういえば、小さくなった母親の事を母さんと呼ぶのはあまりにむず痒いので私は、昔母親が呼んでくれたように『ちーちゃん』と彼女を呼ぶようにした。




 二○××年

 著者:鬱見千春 

 ちーちゃんと私の記録 

 

 

 














 

 余談だが、昔ゴミ袋にぬいぐるみが入っていた事を思い出した。それは、私が母親から貰ったぬいぐるみとはまた違う物だった。母親が昔書いた日記を辿って見た所それは私の父親、母親の夫からのプレゼントだった事が判明した。それを問答無用で捨てていたのは、その時にはもう、母親の頭にはチップが埋め込まれていて、その時の記憶を失っていたからだろう。

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