第1頁:人狼(1)

 晴天が照らす石造の町、慎ましくも賑わうはずの昼下がり。大通りの一角は、不穏な騒めきに支配されていた。

「また……」「これで4人目……」「まさか彼女まで……」「かわいそうに……」「祓魔師は何をして……」「誰か腕の良い狩人を……」

人々が注目する──しかし誰ひとりとして直視はしない──路地の奥、自警団の団員たちの足元には、布をかけられた遺体があった。

「通していただきたい。」

凛とした女性の声が、野次馬を振り向かせる。陽に輝く飴色の髪に、この辺りでは珍しい金の目。

「デラ分団長、こちらです。」

団員の1人が人の波を掻き分け、彼女を遺体の元へと案内する。再び路地を塞いだ野次馬は、少しだけ安堵の色を見せた。

「ウェンデルガルト分団長なら……」「頼りになる御方だから……」「今日もお美しい……」「彼女なら町を護ってくださる……」「お忙しい身なのに……」

陽の届かない野地裏で、分団長は膝を着き、無惨に喰い殺された女性に祈りを捧げた。

「君の死は無駄にしない。この剣に誓って。」

祈りの最後にそう付け加え、遺体にそっと触れた。日陰の石畳みよりずっと冷たい腕に、その瞳が揺らいだ。

 その様子を見つめる人影が1つ。暖かな日差しの中で目深にフードを被り、黒いローブから覗く両手にも、手袋をしている。決して小さくはない体格と、不気味な出立ち。通りがかった女性が、頭1つ大きいその人影に息を呑み、踵を返す。男性を連れてその場に戻った時には既に、その人影は消えていた。


 自警団の本部には、とある夫婦が訪れていた。

「見たんです、私……」

女性は思い出したのか、震えながら訴える。その肩を、男性が優しく抱き寄せる。

「ウェンデルガルト分団長、妻の話を聞いていただけますか?」

「もちろん。それと、私のことは〝デラ〟で結構だ。」

「ありがとうございます。おい、話せるか?」

女性は頷いて、口を開いた。

「昨日、人狼が出た路地の近くで、怪しい人を見たんです。」

「どんな格好をしていたかな?」

分団長は優しく問いかける。

「はい……黒いローブを着ていて、背は、主人と同じくらいで……あっ、あと肌が、口元まで布で覆われていて、少ししか見えませんでしたけど、とても白かったです。まるで、人間じゃないみたいで……」

そこまで言うと、また女性は恐怖に身体を強張らせた。男性が肩を摩って落ち着かせる。

「他に、何か気が付いたことは?」

「それ以上は……ごめんなさい。」

「いいえ、話してくれてありがとう。君の勇気は、きっとこの町を救うだろう。」

 分団長は夫婦を見送り、団員に指示を出すと、立て掛けてあった片手剣を手に取った。

「怪しい黒いローブ、ね……」

少し刃を出し、そこに写る金の目を見つめる。納めると、心地の良い音が鳴る。彼女は剣を佩き、夕闇が迫る町へと赴いた。


 静まり返った町に、1人分の靴音が響く。路地の闇に溶け入る、黒いローブ。

「何者だ!」

女の声が響く。月は陰り、フードを深く被り直した黒ローブは、影のようにぼんやりと佇む。

「私はウェンデルガルト。自警団の分団長の1人だ。君、この町の人間ではないね?」

「…………」

「いまこの町では、狼男による被害が発生している。夜間の外出は原則禁止だ。襲われたくなければ、今すぐ宿に戻れ。それとも──」

分団長は剣を抜く。

「──〝獲物〟を探していたのか?」

構えると同時に一歩踏み出した靴が、石畳みを鳴らす。

「先日、狼男の被害が出た路地の近くで、黒いローブの男が目撃されている。そう、君がいま着ているようなね。話を聞く必要がありそうだ。大人しく──」

分団長が言い終わるよりも前に、黒ローブが背を向けて走り出す。

「待て!」

分団長がかどを2つ曲がると、既に黒ローブは姿を消していた。

 警戒しながら路地を出る分団長を、屋根の上から見る赤い目が2つ。肩に止まった青い蝶が飛び立つと、黒ローブはそれを追って屋根の上を静かに跳び、森へと消えていった。


 ペンが紙の上を走る音を、ノックの音が遮る。

「どうした。」

「デラ分団長、新しい祓魔師の方がお見えです。」

「新しい?呼んだ覚えはないが。」

「それが彼曰く、旅人だそうで……」

「……まぁ良い、お通ししろ。」

分団長の部屋を訪れた眉目秀麗な男は、黒の司祭服を身につけていた。

「お忙しいところ申し訳ありません、ウェンデルガルト分団長。」

「祓魔師の方だそうで。何か?」

分団長は彼を一瞥すると、またペンを走らせた。

「何か、とは。ははっ、冷然たる物言いですな。」

「私は忙しい。用が無いのであれば、お引き取りを。」

「なぜ忙しいのですか?」

ペンが止まる。

「貴殿に関係が?」

「もちろん私は祓魔師ゆえ、この町で起きている事件の解決を、お手伝いできればと。」

置かれたペンが、カタン、と机を打つ。分団長は顔を上げた。

「つまり、この町で起きていることを知っていながら、貴殿は私に〝なぜ忙しいのか〟と、そう聞いたわけだね?」

「これは失敬。応えることには慣れておりますが、問いかけることには慣れておりませんので。」

不気味なほど整った祓魔師の笑みに、分団長はため息を呑み込み、立ち上がった。

「どうぞ。」

「失礼いたします。」

扉の前で立ったままの祓魔師を長椅子に促し、分団長も対面に座った。

「旅人だそうで。」

「ええ。各地を廻り、先々で祓魔を請け負っております。」

「珍しい祓魔師もいたものだ。それで、の貴殿に、この町の魔を祓えるのか?」

「これは手厳しい。ですが、腕には自信があります。どうかこの私にお任せを。」

「教会から派遣された正統な祓魔師でさえ、なんの成果も上げていないのに?」

「あぁ、礼拝堂に籠っていた彼ですか。申し上げ難いのですが、おそらく下級の祓魔師ですので。」

「そうだったのか。」

「えぇ、はい。、半人前にすら成っていないかと。」

分団長の視線が、鋭く祓魔師に刺さる。

「あぁ!既に祓ってありますよ。悪戯程度しかできないような、弱いのものでしたが。」

「……その分の代金も、支払った方が良いかな?」

「いいえ、本当に簡単なものでしたので。分団長殿の時間をいただければ、十分でございます。」

分団長は訝しげに祓魔師を見ながらも、彼に応える。

「私は何をすれば?」

「えぇ、今までにわかっていることを、お聞かせいただければ。」


 祓魔師は、ぬるくなった紅茶のカップを手に取った。

「まとめると、被害者は4人とも女性で、夜の間に人狼に喰い殺された。そして、人狼の姿を見たものはいないが、怪しげな黒いローブの人物が目撃されている、と。」

「我々は、そのローブの男が狼男ではないかと考えている。」

分団長は手配書を睨みながら、そう言った。祓魔師はカップを口元へは運ばずに、低い位置で揺らし、そのままソーサーへと戻した。

「なるほど。では、私は独自で調べてみるとしましょう。」

「我々と協力するのでは?」

「もちろん、必要であれば。しかし、今まで人狼が捕まっていないとなると、方法を変えてみるのも手かと。」

「どんな方法で?」

「企業秘密ですので。それでは、私はこれで。何かあれば、また参上いたします。」

〝失礼〟と祓魔師は笑みを残し、部屋を後にした。

ローテーブルには、ほとんど減っていない紅茶が2つと、並べられた事件の資料。分団長は自らの紅茶を飲み干し、資料を眺める。祓魔師の残した紅茶から、金の目が彼女を見つめていた。


 荒い呼吸が、路地を縫うように走る。

「はぁ…いや…」

1つは泣き声が混じる少女の呼吸。もう1つは、石畳みを蹴る爪の音と、腹を空かせた獣の唸り声を含んでいた。

「きゃっ!」

逃げ惑う少女は、誰かにぶつかり、倒れそうになる。

「おっと、大丈夫ですかな?」

それを支えたのは、黒い司祭服の男だ。

「はぁ……し、神父様?た、助けてください!人狼が!」

路地から聞こえる靴音に、少女は恐怖し、声も上げられずに涙を流した。見開かれた目には、黒いローブと、赤い2つの目が写る。

「さぁ、こちらへ。大通りに出れば襲ってはきません。」

祓魔師は少女を連れてその場から離れる。赤い目は路地から出ることなく、その様子を見ていた。2人の姿が見えなくなると、路地の奥へとローブを翻した。


 再び自警団の本部を訪れた祓魔師に、分団長は頭を下げた。

「礼を言う、旅の祓魔師。住民を護ってくれてありがとう。それと、先日の非礼を詫びよう。私は、貴殿のことを信用していなかった。」

「いえいえ、当然のことをしたまでです。たまたま通りがかったのですが、あの少女を救えて良かった。」

「私も、毎夜のように巡回はしているのだが……」

分団長は紅茶に口を付けた。

「おや、昼も職務をこなしていらっしゃるのに、勤勉ですなぁ。町の人々から信頼されているのも、頷けるというものです。」

祓魔師は美しく微笑む。分団長の置いたカップが、小さく音を立てた。

「それで、狼男を見たのか?」

「さて、どうでしょうな。彼女を助けた時、路地の奥には黒いローブの人物が立っていました。あれが人狼かどうか。」

「違うのか?」

「さぁ、いささか私の抱く印象と違いましたので。2本足で立っていましたし、耳も尻尾も鋭い爪も、見えませんでした。とはいえ、人の姿と狼の姿を自在に変えられる者もいるのでしょう。」

分団長は考え込むように腕を組み、ローテーブルを見つめた。

「やはり、ローブの男が怪しいな。あの赤い目は、魔のものだ。」

「そうお考えですか。では、私も夜の見廻りを続けましょう。」

「貴殿1人で危険では?」

「ははっ、ご心配には及びませんよ。それでは。」

扉が閉まり、遠ざかる靴音が聞こえなくなると、分団長は長く息を吐きながら呟いた。

「どうするべきか……」

背もたれの上縁に頭を預け、天井に顔を向けて目を瞑る。ここ最近の疲れが溜まっていた。しばらくそのまま動かずにいたが、夕暮れに響くファンファーレに、目を開けた。

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