第三章ー5
開演三十分前。
集合場所である空き教室に入ると、部員たちが揃って暗い顔をしていた。女子の一人に「どうしたの?」と尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「
「え!?」
「それで、〈ファントム〉役をどうするのかってみんなで話し合ってるとこ」
さすがに寝耳に水だった。主役が怪我をして出演できないとあれば、公演は台無しだ。
「それで、代沢くんは?」
「保健室に運ばれてる。なんか、いきなり骨を折られたんだって」
「骨を折られた?」
「詳しいことはよくわかんない。でも、みんな〈ファントム〉に襲われたんじゃないかって言ってる」
「そんな……」
「落ち着きなさい、みんな」
そう言って部員たちの前に出てきたのはエリとマキだった。マキはドレスを身をまとい、エリはといえば――タキシード姿の上にマントを羽織っていた。手には〈ファントム〉の白い仮面。
これにはミドリも、部員たちも驚いた。
エリはいつもの冷徹な調子を崩さず、「あまり騒がないで」
「公演までもう時間がないわ。代沢くんのことは残念だけれど、仕方のないことと割り切りましょう」
「えっと、久良木先生。その恰好は……」
「見ればわかるでしょう。私が代わりを演じる」
部員たちは今度こそ言葉を失った。
エリは台本を顔の高さに持ち上げる。
「何度も読み返しているから、内容は頭の中に入っている。それとも私の代わりに〈ファントム〉役を全うできる人はいる?」
返答はなかった。
エリは「結構」と小さくうなずく。
「私が出ること以外は変更なし。戸惑うのもわかるけれど、舞台の上でアクシデントは付き物よ。そこでどうやって立ち回るのか、個々人の技量が試されるわ。全員、ここが正念場だと思ってちょうだい」
はい、と覇気に欠けた声が揃う。
「結構。それでは全員、ホールへ移動。手早くね」
エリがそう言うや、部員たちは慌ただしく動き始めた。それぞれ小道具や衣装を持ち、我先にと教室から出ていく。マキも同様だった。
ミドリも続こうとし――「引島さん」とエリに呼び止められる。生徒たちがあらかた出ていったのを見計らってから、彼女は声をひそめて言った。
「あなたの叔父さん、警察なのよね?」
「え? あ、はい……」
「相談したいことがあるの」
意外な言葉に胸を突かれた。
エリはうつむき、唇を噛んでいる。
「相談って、何をですか?」
「これは内緒にしておいてほしいんだけど……最近、身の回りでおかしなことが起こっているの。だからあなたの叔父さんに相談できればと思って」
「警察に相談するような出来事なんですか?」
「ええ、おそらくね。詳細は話せないけれど、このままだと何かとてつもないことを犯してしまいそうで、私はそれが怖いの」
「…………」
「お願いできる? 引島さん」
「……わかりました、後でおじさんに聞いてみます」
エリは安心したように息をついた。彼女らしくない表情を前に、胸中で不安が膨らんでいく。
エリはかぶりを振り、「いけないわね」
「本番前に弱気になるのは禁物だけど、どうしてもね」
「久良木先生、大丈夫なんですか?」
「ええ。情けないわ、生徒の前でこんな姿を見せるなんて」
「いえ、全然!」
エリを励ますつもりで言うと、彼女は緩く微笑んだ。これもまた、滅多に見せることのない顔だ。同じ女性なのに、うっかり見とれそうになる。
「ありがとう、引島さん。少し気が楽になったわ」
「いえ、わたしなんかで力になれるなら」
するとエリはいつもの調子で「ダメよ」と言った。
「『わたしなんか』は禁物。舞台の上で自信なく振る舞えば、それは自ずと見ている人にも伝わるものなの。伝えたいことがあるのに別のことを伝えてしまっては、本質が揺らいでしまうわ」
「本質?」
「素顔とでもいうのかしら。あなたが本当に言いたいこと、伝えたいこと。でも、往々にして人は色んな言葉で、態度で覆い隠してしまうものなの。度し難いかもしれないけれど、まだ若いみんなにはそういうことをしてほしくないわ」
「そう、なんですか……」
あまりピンとこない話だった。
エリは腕時計を見、「時間ね」
「行きましょう、引島さん。これが終わればゆっくり話しましょう」
「はい」
できる限り力強く応え――ミドリとエリは教室から出た。
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