第三章ー4
土曜は生徒と保護者とその家族、そして日曜は一般公開される。演劇部ではコンクール入賞を果たしたということもあり、近隣からの注目度は非常に高い。演劇を目当てにやってくる者もいるぐらいだ。
ただし今年は事情が異なっていた。
先日の〈マスカー〉騒ぎを受け、警備員の数が増えていた。警察と思しき人間も外で見かけたらしい。
土曜の公開はつつがなく進行した。誰もが懸念していた〈マスカー〉による犯行もなかったし、不審者の目撃情報もなかった。トラブルもなく、最初は警戒の色を隠せなかった生徒や教員の雰囲気も、次第に緩和されていった。
そして日曜——一般公開の日。
「いやぁ、こうも平和だと嘘みたいだねぇ」
そう言ったのはクルミだ。屋台で買ったホットドッグを片手に、もう一方はタピオカドリンクを手にしている。
校内の入り口から少し離れた木の下のベンチにてミドリ、アカネ、アオイ、クルミらの四人が集まっている。
「少しはトラブルが起こってくれないと、張りがない感じがするよ。ぶっちゃけ」
「クルミ、物騒なこと言うな」
突っ込みを入れたのはアカネだ。
「だってさぁ。あたし、てっきりこの機に乗じて〈マスカー〉がやってくるんじゃないかって思ってたのよ。でも昨日はなーんもなかった。フツーの文化祭だったし、なんかもう刺激が足りないって感じがしない?」
「平和が一番だっての」
「つまんなーい。ミドリもそう思わない?」
「うーん、どうかなぁ。わたしもアカネちゃんと同意見かな」
ベンチの傍らに立つミドリは、りんご飴を持つ手を止めた。
「つまんないねぇ」と嘆くクルミ。
「ねぇ、アオイちゃんはどう思う?」
「アオイに聞くなっての」
アカネの隣に座るアオイは、チョコバナナをもしょもしょと食べている。「ん?」と顔を上げて、クルミをまじまじと見た。
「なんか言ったっけ、クルミお姉」
「だからぁ、刺激が足りないって話よ。こんなフツーの文化祭、アオイちゃんはどう思うかって」
「うーん……わたし、ミドリお姉とアカネお姉の文化祭に来れただけでもいいって思ってるし。普段お姉たちがどんな風に過ごしてるのかって興味あるし」
「あんたはあたしたちの保護者か」
「あうう」
アカネがアオイの頬を引っ張る。
クルミはすっかりふてくされ、スマホを取り出した。
「いいもーん、あたしにはこれがあるし。何か面白いことあったらすぐに通知が来るようにしているしっ」
「体に毒だからやめなって」
「ほら、もう早速ニュースになってるもん。また行方不明の生徒が出ているって」
そう言って画面を見せつけてくる。ただし、それは学内限定の――いわゆる裏サイトの掲示板であった。真っ黒な背景に、ところどころ散りばめられたドクロのマーク。赤文字だらけで、見づらいことこの上ない。
アカネはクルミの頬を強く引っ張った。
「あんたねぇ。アオイの前でこんなもん見せるなっての! しかも何なのこのサイト! こんなもん時代遅れでしょうが!」
「い、いひゃい……ひぇも、でも、今度はふぉんとにそれぽいんひゃよ……」
なおもスマホを突きつけてくる。
仕方なくアカネは画面を見た。
「なになに、
「いやいや、〈マスカー〉ならそれぐらいはお茶の子さいさいですぞ」
「仮に仮面の力があったとしても、どうやって五十もさらうのよ。まさか一人ひとり手間をかけて誘拐でもしてるってわけ? どうやって隠すの? あんたわかってないかもだけど、人間一人だけでも隠すのって相当苦労するのよ」
真っ当な指摘に、「さすが刑事の娘」とクルミが茶々を入れる。
「娘じゃない、姪だっての」
「そこまでにしようよ、アカネお姉―」
仕方なくアカネはクルミを解放した。
クルミは涙目で頬をさすり、「でも、確かに」
「アカネの言う通りだわね。五十人とまではいかなくても、軽く十数人は行方不明ってことになってるわけだし。どうやってんだろ」
「あたしに聞かれても困る」
「ミドリはどう思う?」
「え、わたし?」
クルミがうなずき、アカネもアオイも反応を窺っている。
病院での出来事は口には出せない。余計なことを知れば、〈ファントム〉に狙われるかもしれないからだ。
「えーっと、そうだね……わたしが思うに〈ファントム〉は、声で人を操っているんじゃないかな?」
「声? なんでそう思うのさ?」
「ただの勘だよ。知らないかもだけど、『オペラ座の怪人』こと〈ファントム〉は、ヒロインを色んな手で惑わすの。姿をちらっと見せたり、鏡を使ったり、音楽や声で惑わしたり……そんな感じかなって」
「ふぅん。……で?」
「で、って?」
「それでどうやってたくさんの人をさらって隠すの?」
「……そこまでは考えてなかった」
「いやいや、アカネ氏。ミドリ氏の言っていることは案外的を得ているのかもしれませんぞ!」
「はぁ?」
「例えばどっかの大企業の社長とかを操って、でっかい収容所みたいなのに人を隠せばよいのです! ついでに警備員とかも操って他の人が入れないようにすればパーペキ! これぞ吾輩の見事な名推理——あううっ!」
「まーたあんたはくだらない戯れ言を! ミドリもこいつが調子に乗るようなことを言うなっての!」
「ご、ごめん!」
「いひゃい、いひゃい! まひでいひゃい!」
「アカネお姉、やめなよー」
四人でわいわいとやっている中——人混みからのっそりと、ダンが姿を現した。
「おう」と低い声かつ剣呑な目つきも相まって、クルミがびくついてしまう。
「こんなところにいたか、探したぞ」
「あ、おじさーん」
アオイがベンチから離れ、ダンに駆け寄る。三女の頭を撫でてやりながら、ダンはミドリたちに一瞥をくれた。
「ここで油を売ってていいのか。もうすぐ公演なんだろ」
「……覚えてたんだ」
「アオイから口うるさく言われたからな」
「だって、ミドリお姉が書いた台本なんだよ。おじさんだって気になるでしょ?」
「まぁ、気にならないことはない」
あごを擦りながら言う。
ミドリはきゅっと口を結んだ。心のどこかで嬉しいと思っている自分がいて、けれど――それを口に出すのははばかられた。
アカネが肘でつついてくる。
ミドリは諦めたように肩を落とし、「おじさん」
「来てくれてありがとう」
「……おう」
「お仕事、大丈夫なの?」
「大丈夫だ。この日のために色々片づけて……っと」
ちっ、とダンは口を隠しながら舌打ちした。どうやらこのことは言うつもりはなかったようだ。
誤魔化すように頭を掻いて、ミドリたちから目を背ける。
「まぁ、なんだ。せっかくのお前の晴れ舞台だからな。それに高校生活ってのは人生でほんの一度限りだ。いつまたこんな機会があるかどうかなんてわからないからな」
「おっさんにしては珍しく、まともなことを言うじゃない」
「うるせぇ」
にやにやと笑うアカネと、渋面を作るダン。
いつも通りの雰囲気を前に、なぜか疎外感を覚えた。遠くからダンたちを見ているような気がして――するとクルミがそっと近づいてきた。
「あの人がミドリたちの叔父さんなんだよね?」
「まぁ、うん。そうだね」
「コワモテだけど、意外と優しそうじゃない?」
「そうだね……怖いけど、うん。まぁ、優しいところはなくもないかな」
「なに、その言い方。変なのー」
ミドリはぎこちなく笑った。
ダンは腕時計と文化祭のパンフレットを見比べ、「そろそろか」
「ミドリ、お前は行かなくていいのか?」
「そうだね。台本は終わったけれど、裏方としてやることはまだあるから」
「なら行ってこい。アカネとアオイは俺が面倒を見てやる」
「なんでおっさんなんかに見られなくちゃいけないのよ。アオイはともかく、あたしはもう高二よ」
「うるせぇ、俺からすればお前らどっちもまだガキだ」
「おじさん、失礼だよー。アカネお姉はともかく、わたしはもう立派なレディーなんだから」
「しゃらくさいこと言ってんじゃないわよ、アオイ!」
「あうううう!」
「おい、やめてやれ」とたしなめるダン。
疎外感がますます強くなる。まるで自分一人だけ置いてけぼりにされているようだ。
なぜこんな気持ちになるのか、自分でもわからない。
いや――本当は気づいている。ただ、それを口に出せないだけ。言葉にすればこの平穏が崩れてしまうような気がして。
振り切るつもりでミドリは、無理に笑顔を作った。
「じゃあ、行ってくるね」
「おう、行ってこい」
「行ってらー」
「ミドリお姉、頑張ってねー」
「あたしも観に行くからねー!」
ミドリは手を振りながら、四人に背を向けた。
多目的施設に向かう途中で、ふと視線を感じた。周囲には生徒、保護者、一般の客しかおらず、ミドリに注意を払っている気配もない。
「気のせいか……」
半ば、自分に言い聞かせるような声になっていた。
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