第二章ー7

 台舞だいぶ警察署の取調室——


 狭い個室の中に、道化とダンはデスクを挟んで座っていた。そのすぐ近くには二井川にいがわがペンをくるくると回している。


 両手首に手錠をかけられた道化は、ここに連れてこられてからずっと無言を通していた。氏名と住所は、目的は何か、その恰好はなんのつもりなのか――そういった問いをいくらぶつけても、彼は口を割ろうとはしなかった。


「——ちっ!」


 机に拳を叩きつける。「あっ」と二井川の手からペンがこぼれ落ちたが、ダンは意にも介さなかった。


「強情な奴だ。病院ではペラペラ喋っていたくせに、ここにきてダンマリか? ああ?」


 道化は答えない。


 ダンは椅子の背にもたれ、息の塊を吐いた。


 すると横から、「せんぱーい」


「もう今日はこのぐらいにしときません? そろそろ日付も変わりそうですし。ご飯もろくに食べられてないし、お風呂にも入りたいんですけど」

「泣き言言ってんじゃねぇ!」


 怒声を浴びせかけると、二井川は肩をすぼめた。


 その時——「刑事」


 とっさに首を向けると、アーモンド形の両目がこちらを向いている。


「君に尋ねたいことがある」

「……なんだ?」

「ミドリくんは無事に家に帰れたのかな?」


 ダンは腕を組み、鼻を鳴らす。


「おい、二井川」

「あっはい。先輩の姪御さんはきちんと家で送り届けましたよ。怪我もなんもしてないですけど、やっぱりショックを受けてるみたいです」

「だそうだ」

「そうかい」

「〈マスカー〉風情がなぜミドリのことを気にする? てめぇ自身でミドリを巻き込んだんだろうが」

「そうだね。そういう意図があったことは否定しない」

「ミドリを利用していた、ってのは本当だったわけか」


 吐き捨て、道化を睨み返す。


 道化は両手をデスクの上に載せ、指を組んだ。


「巻き込んだことは申し訳ない。僕にも娘がいたから、心苦しいところだ」

「娘……だと?」

「生きていれば君の姪御さんと同じ年頃だろうね」

「何があった?」


「そうだね」と天を仰ぐ。


「僕は娘と二人で暮らしていた。ささやかだったけど幸せな日々だったよ。だが、僕は大きな病気を患ってしまった。顔の筋肉が動かないという奇病だ。娘はその病気をなんとか治そうとして、願いを叶える仮面を手にした」

「願いを叶える仮面だぁ?」

「だが、その仮面で娘の願いが成就することはなかった。僕の病気は治らなかったし、加えて娘の顔から仮面が外せなくなったんだ。そこで僕は一体、どうしたと思う?」


 ダンは口をへの字に曲げた。


「……てめぇ自身も仮面を手に入れたってわけか」

「そう。娘の仮面を剥がすためにね」

「それでどうなった」

「僕が仮面を手に入れて帰った時、娘はとっくに息を引き取っていたよ。顔の皮膚が剥がれていてね、見るも無残な有り様だった。まだ十歳にも満たない女の子がだよ。さすがにその時はすべてを恨んだね」

「……仮面を剥がして回っているのは、復讐か?」

「そうともいえる。そういう点では君と同じなのかもしれないね」

「一緒にすんじゃねぇ」


 言葉とは裏腹に、ダンの語調は弱まっていた。


「ミドリをてめぇの娘に重ねてるわけか」

「そうだね」

「なら、ますます理解できねぇ。それなら巻き込まないようにするだろうが。ミドリに協力する意思があったとしても、てめぇはそれをはねつけることができたはずだ」

「まさしくその通り。ただ、僕は〈ファントム〉の手がかりを掴むのに苦労していた。だから彼女の厚意に甘えることにしたんだ。これ以上〈ファントム〉による犠牲者を生み出したくなかったからね」

「…………」


 ダンは腕を組み直した。


 道化にふざけている様子はない。


 そんな彼を前に、戸惑っている自分がいる。


 信用していいのか――そんな疑念が芽生えたことで、ダンはつい首を振った。


「てめぇはしょせん、〈マスカー〉だ」

「そうだね」

「俺は〈マスカー〉なんぞ信じない。あいつらから親を奪った連中なんかな。てめぇがどれだけそれらしいことを言っても、その場しのぎのでたらめだって線は否定できないだろうがよ」

「まぁ、君ならそう言うと思っていたさ」


 ダンは立ち上がり、「だがな」


「てめぇがミドリを怪我させないようにしていたってことぐらい、俺にだってわかる。その点に関してだけは信じてやってもいい」


 それから取調室のドアに近づくと、「刑事」


「なんだ」

「ありがとう、とだけ言っておくよ。少なくともミドリくんのことに関してだけは嘘をつきたくなかった」

「ぬかしやがれ。……おい、二井川」

「あ、はい。なんですか?」

「後は適当に任せる」

「え? でも、このヒト〈マスカー〉なんですけど」

「安心しとけ。暴れたりはしねぇよ。……そうだろ?」


 道化の方を振り返ると、彼は肩をすくめた。


 舌打ちし、取調室を後にする。


 スマホを取り出し――ミドリに連絡しようかと思ったが――寸前で思い止まる。


「もう遅い時間だしな」


言い訳するようにつぶやき、ダンは薄暗い廊下を歩いていった。


「……ん?」


 ふと、違和感を覚えた。


 少なくともミドリに関してだけは、とはどういうことだろうか――

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