第二章ー2
「——というわけで予定通り、今度の文化祭で『オペラ座の怪人』の公演は決定事項となります」
エリが淡々と告げる。
部室の中は静まり返っていた。誰もが不安そうに顔を見合わせている。そんな中で率先して手を挙げたのは、マキだった。
「
「どうぞ」
「『オペラ座の怪人』をやるとなれば、必ず生徒や教師、保護者からの反発を招くかと思われます。それでもなお敢行することに意義があるのか、よろしければご教示いただけますでしょうか」
ミドリの肩がぴくっと上がった。
部員を代表して声を上げたのだろうが――違和感を持ってしまった。
「そうね」とエリは手元の台本に手を置いた。
「正直に言えば、今から別の劇をやる時間がないというのが大きな理由よ。過去の劇をやり直すにしても、あれは卒業生がメインの劇だったから」
「中止にする、という線は?」
「それも考えたわ。学園長とも話し合った。ただし文化祭の後にコンクールが控えていることと二連覇を目指している以上、中止にすることは考えにくいというのが学園長の弁。批判は怖いけれど、それ以上に二連覇という快挙に学園長は釣られているの」
「それが『オペラ座の怪人』であっても、ですか?」
「そうよ」
「……わかりました」
マキが着席する。
再び場が静まり返る。十数人の部員たちは、誰もが口を開けずにいた。ミドリもまた同じで、この状況の中で口を出すことなどとてもできない。
「みんなの不安はわかるわ」
エリは淡々と続ける。
「けれど、軌道修正はできる。つまり『オペラ座の怪人』を古典的なラブストーリーではなく、〈マスカー〉への脅威を知らしめるものである、と。ヒロインを愛する男性が〈ファントム〉を打ち破れば、それは観ている人への大きなメッセージになるのではないかしら?」
部員たちが一斉にざわつく。
「もちろんそれには宣伝のやり方、台本の修正が必要になるけれど。……引島さん」
「はい」と立ち上がる。
「聞いての通りよ。公開までもう時間はないけれど、できるかしら?」
「……努力します」
「それではダメよ。任される以上はやりきるしかない。そういった言葉ではみんな不安になってしまうわ」
「……やります」
「結構」とエリはうなずいた。
「では早速、稽古に取り組みましょう。ホールは〈マスカー〉騒ぎのせいでしばらくは使えないから、体育館でやるわ。……いいかしら?」
誰も反対しなかった。そもそもこういった場でもそれ以外でも、エリに意見を差し挟める人などいない。ただ一人を除いては。
部員たちはぞろぞろと、小道具などを持って体育館へ移動を始める。マキはといえば、エリと何やら話している。声が小さくて聞き取れないが、劇のことで何かしら打ち合わせをしているのだろう、と思うことにした。
台本と赤ペンを持ち、他の部員に続こうとしたところで――
「引島さん。少しいい?」
「え……はい?」
呼びかけたのはエリだった。マキと一緒にこちらを見てきている。
エリはまず、「ごめんなさい」と言った。
「いきなり台本の変更なんて無理があるわね」
「い、いえ。そんなことは……全然、大丈夫です!」
「そこで提案があるの。ちょうど今、中条さんが言ってくれたことよ」
「提案?」と首を傾げる。
エリはうなずき、マキに促すようにうなずいた。マキはにこりと微笑み、台本を胸の高さに持ち上げる。
「この台本だけど……私と一緒にやってみない?」
「え!?」
「私がヒロインを演じることになっているし、内容も把握しているから。軌道修正するなら、流れを知った上で変えられる人も加わればいいと思うの。……引島さんがよければ、の話だけれども」
「…………」
不安げにエリを見やる。彼女は腕を組んだまま、口を開こうともしない。決定権はミドリにある、と言いたげだった。
確かにマキがいてくれれば、修正もやりやすい。実際に演じる側としてもメリットがあっての提案なのだろう。
しかし、それでも不安だった。
二人はその不安を、台本を書き上げられるかということから来ているものだと感じ取ったらしい。
「大丈夫よ」とエリは端的に言った。
マキはミドリの手を握り、ぐっと力を込める。
「そうよ、引島さん。もっと自信を持って。私がフォローするんだから、そんな顔をしないで……ね?」
同意を求められては、うなずく外ない。
マキはわぁと声を上げたが、エリはあくまでも表情を崩さなかった。
「良かったわね、中条さん」
「はい、私も精いっぱい頑張ります」
「期待しているわ。それじゃあ、私は行くから」
エリはそう言い残し、部室から立ち去った。
その背中を見送った後で、マキが振り返る。
「さて、やることがたくさんあるわね」
「そう、ですね」
「まずは稽古を見ながらどう修正をしていくか、考えてみましょう。それから話し合いがてら修正になると思うけど……大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫です」
「いいわ」とマキは再び微笑んだ。同性でもうっかり見とれてしまうほど、柔らかく温かい笑顔。
それなのに、どうしてこんなにも落ち着かないのだろう――
「じゃあ、行きましょう。時間が惜しいわ」
「は、はい」
二人で部室から出る。
マキが扉にカギをかける音が、やけに大きく響いた。
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