【三】千年桜1
文久四年。
総司達が京に来て、二度目の春を迎えようとしていた。一年目の春は、浪士組が結成されたばかりで、春の訪れを楽しむ余裕はなかったが、今年こそは花見に行くのだとお祭り好きの原田を筆頭に隊士達は色めき立っている。そんな屯所内の様子を楽しそうに見つめていた総司は、壁に背を預け一人佇む丞の姿に気付き、そちらに足を向けた。
「監察方の丞君が屯所にいるなんて珍しいね」
丞と同じように壁に背を預け総司が口を開く。丞は、向けられた総司の笑顔を鬱陶しそう見つめ、眉間に皺を寄せた。
「先日から頼まれていた件の報告に来たのだが、帰り際に、花見の準備を手伝えと呼び止められてこの様だ」
肩を竦めて見せた丞に総司は苦笑を浮かべ、騒ぎ立てている原田の方へ目をやる
「ココの皆はお祭り好きなんだよ。丞君は、嫌い?」
「いや、皆でこうやって騒ぐのは嫌いじゃない、ただ……」
「ただ?」
総司が再び丞の方に顔を向けると、その瞳に射抜かれたのが心地悪かったのか、丞は珍しく顔を背けた。そして、丞はやっと聞きとれるほどの小さな声で、呟きを漏らした。
「桜の花は好きじゃないんだ」
何だか今にも消えてしまいそうだ。弱弱しい丞の姿に総司はそう思った。総司は、どうにか掛ける言葉を探した。けれど、その言葉を口にする前に、目の前に現れた人物を見て取ってその言葉は飲み込まざるを得なかった。
「沖田君と山崎君なんて珍しい組み合わせですね」
いつもの温和な笑顔を顔に貼り付けて、総司の前に現れたのは山南だった。その声で壁際にいた二人の存在に気付いて、その場にいた者たちの視線がさっと二人に向けられる。
「何言ってるんだ、山南、コイツ等は案外仲がいいんだぜ」
花見の準備に託けて、もう既に酒を飲んでいる原田がケタケタと笑う。そんな原田は無視して山南は
「そうなんですか?」と二人に顔を向けた。
「ええ、まぁ」
丞は心底仕方なさそうに答えた。能天気な総司の同類だとは思われたくないが、嘘も吐けない生真面目な性格なのだ。
「ところで、山南さん、いい花見の場所は見付かったのかよ」
そこへちょうど街に出掛けていた土方が帰ってきたようで山南に声を掛ける。
「実は、まだなんですよ」
形だけ申し訳なさそうに返答するが、山南の表情はどこか楽しげだ。
「ただ、興味深い話を耳にしましたが……」
「興味深い話?」
皆が一斉に山南に視線を向ける。
「ええ、京から少し離れた山に在るという不思議な桜の話ですよ」
そう言いながら山南は、隊士達の輪の中心に進み出て腰を下ろした。隊士達がその周りに円を描くように集まってくる。そんな中ふと丞に目をやった総司は、山南の話を聞いた瞬間進の顔色がさっと青褪めるのを見逃さなかった。だが、山南はそれに気付いていないらしい。
「これは、私が京に着てからお世話になっている店の店主から聞いた話なのですが」
とゆっくりと物語を紡ぎ始めた。
今からずっと昔、まだこの京に国の中心がおかれていた時代。
この京からそう遠くない山の頂に一本の桜の木がありました。大そう大きく立派な木なのですが、その桜の木は、春が訪れても花を咲かすことはなかったといいます。そんなある年、都では奇妙な噂が広まっていました。毎夜毎夜、白骨が桜の木のある山に向けて歩いていくというのです。気味悪がった都の者達は山に近付こうとはしませんでしたが、中には好奇心から山に向かう者もおりました。しかし、意気込んで出掛けて行った者達は皆帰ってくることはなく、噂が噂を呼び、人々は恐怖していました。そしてその噂を耳にした、時の帝は、とある名のある陰陽師に事の真相の解明を依頼したのです。
帝からの命を受けた陰陽師は、すぐにその山に向かいました。そして山に着いた陰陽師は、我が目を疑いました。何年も花を咲かせることがなかった桜が咲き誇っていたからです。しかし、咲き誇る桜に驚きはしたものの、動く白骨や物の怪の類の姿はどこにもなく、陰陽師は困り果てた様子で桜に近付きました。と、そこへ、リーン、と澄んだ鈴の音が響きます。陰陽師が音のした方に目をやると、白い水干を身に纏った一人の少年が立っていました。
「こんなところでそうしたんだい?」
陰陽師は警戒しつつも、少年に声を掛けました。しかし、少年は返事を返すこともなく、陰陽師が立っている地面を見詰めるだけです。それを訝しく思った陰陽師は、自分の立つ地面を指差して少年に尋ねました。
「ここに何かあるのかい?」
陰陽師が睨んだとおり少年は頷きます。
陰陽師は、少年の示す通りに地に手をついて土を手に取ってみました。ところが、異常は見当たりません。陰陽師は、もう一度尋ねようと少年に目を向けようとしました。と、その時です。陰陽師の目に、何か得体の知れないものの一端が土の中から姿を現しているのが留まりました。陰陽師は慌ててそれに駆け寄り、その正体を確かめようと土を掘り起こしに掛かります。そして、ついに姿を現したものに、陰陽師は目を丸くしました。
桜の下には――
「死体が埋まっていたのです」
山南の話に聞き入っていた隊士達は驚いて声のした方向に顔を向けた。総司もまた同じように驚いた顔を隣に向けている。声を上げたのは総司の隣に佇む進だった。
「よく結末が分かりましたね、山崎君」
山南の言葉にはっと我に返った丞は、自分に皆の視線が集まっているのに気付き、居心地悪そうに身動ぎをした。丞の顔色は青いままで、さらに瞳にはどこか哀愁を帯びている。それが相成って総司には痛ましく思えた。それと同時に、この話は丞の過去に関係があるのだと直感がそう告げている。
「丞君……」
総司は心配そうに名を呼んだが、丞は心配ないと視線をよこし一歩前に進み出た。後ろに隠すように回された腕が震えているのを、後方に立つ総司だけは見て取ることができた。
「俺が生まれたのはその話の舞台と言われる地方で、昔からよく聞かされていた伝承だったんですよ」
「へえ、そうでしたか。じゃあ、もしかしてその死体の正体をご存知かな?」
びくんっと身を振るわせた後、丞は首を横に振った。それに気づかない山南ではなかったが、彼は聡い男だったので何事も問い詰めようとはしなかった。
「それは残念。私もこの先の話は聞けずじまいで、気になっていたのですが……」
「すみません」
「いいですよ。思い出したら教えて下さいね。それにしても、山崎君顔色が悪いですよ。少し休んだ方が良いんじゃないのかい?」
「あ、じゃあ僕が医療班のところまで連れて行きます」
総司は山南の言葉に慌てて名乗りをあげ、丞の手を掴んだ。丞の手はとても冷たくて、氷のようだ。総司は、心配そうに丞の顔を覗き込んだ。
「丞君、大丈夫?」
黙って頷く丞を連れて、総司はその場を後にする。こんな進の姿を見るのは総司とて初めてだった。そして、二人は屯所の廊下で人気がないことを確認すると足を止めた。顔色はまだ悪いままだったが、
「ここでいい」
と丞はしっかりした声で答えた。それに多少安心したように息を吐いて、総司は先ほどから気になっていたこと口にする。
「丞君……いや、シゲ君。君が桜を嫌いなのは,さっきの話に関係があるんじゃないの?」
丞は総司の問い掛けに総司を非難するように睨み付けたが、それで怯むような総司でもない。総司は、その視線を真正面から受け止めた。そうして二人は、しばらく睨み合っていたが、先に顔を背けたのは丞の方だった。
「場所を移そう」
そう言って丞がぱちんっと指を鳴らす。するといつの間にか辺りの様子は一変していて、総司は目を見開いた。そこは辺りを木々に囲まれた開けた場所だった。空が近いことから、どこかの山の頂なのだろう。その頂の中央には大の大人五人が腕を伸ばしやっと幹を囲めるくらいの桜の木が埋まっている。
総司は様子を窺うように恐る恐る丞に顔を向けた。
「ここは?」
「あの話の舞台となった場所――遥かなる時の華が咲く場所だ」
「遥かなる時の華?」
「これがそうだ」
総司の疑問に、シゲはすっと目の前に立つ一本の桜に歩み寄り、どこか悲しそうに苔の生す幹に手を触れた。
「昔話をしよう。この京がまだ平安と呼ばれていた時代の話を……」
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