【ニ】始動2
それから更に数日後、壬生の屯所内では藤堂や井上といった面々が慌しく右往左往していた。それは、あの日土方が提案した「新隊士募集」の案件に起因している。土方は、今のままでは満足な活動もできないと、組織を大きくする道を選んだのだった
。そして、それは同時に準備のために多くの仕事を生んだ。屯所内を駆け回る藤堂らは、新隊士募集の為の書類整理に追われているのである。その様子を目で追う総司は、体を動かすことには長けている一方で、事務面にはとことん向いていない。身の置き場に困った末に、総司は屯所の外に足を向けた。すると、丁度屯所を出たところで、見知った顔が総司の目に入る。
「おや、沖田君良い所に来てくれましたね」
屯所の門の前で、山南が受付の作業を進めていた。総司は自分の間の悪さを呪ったが、見つかってしまっては、手伝わないわけにもいかない。
手招きされるまま、山南の傍に近付いていく。
「どうしたんですか、山南さん」
「それが、私は他の仕事もあるのに、人手が足りず受付を離れられずに困っていたんです」
やはり気付かない振りをすればよかった、と総司は思ったが、それでは後が怖いのも事実だ。総司は、渋々、机の上に置かれた書類を手に取った。
「では、お手伝いしましょうか?」
「沖田君は察しがよくて助かります。受付を頼みますね」
笑顔で言う山南に、総司は深く溜め息を吐き、山南が空けた椅子に腰掛けた。
「この帳面に名前を書いてもらうだけで構いませんからね」
硯と筆を示して山南は次の仕事へと慌ただしく去っていく。総司は、それを見送って、うーんと大きく伸びをした。いつ来るとも知れない入隊希望者を待つ退屈さから、睡魔は時を有さず、総司に迫ってくる。だが伸びだけで眠気を紛らわすことにも限度があり、総司は眠気に誘われるまま舟をこぎ始めた。
だが、乾いた音と共に自らの頭を襲った衝撃に、睡魔は一瞬にして遠退いて行く。
「痛いなあ、もう!」
何分ほど寝ていただろうか。その衝撃に飛び起きた総司の目に最初に入ってきたのは、灰色の着流しと茶色の帯だった。そのまま総司が視線を上に向けと、呆れた表情を浮かべた友の姿がある。
「ああ、シゲ君、おはよう……」
総司は叩き起こした人物が成則だとわかると、眠そうに目を擦りながら口を開いた。
「まったく、なんで俺が来るときに限って、お前はそう寝てばかりいるんだ」
成則もその様子に呆れ果てて愚痴をもらす。総司は、居心地悪そうに苦笑を浮かべた。
「あはは、面目ない。ところで、シゲ君はどうしてここに?」
茂則が総司を訪ねる理由など一つしかないのだが、その言葉には居眠りから話を逸らす算段も入っている。そして、どうやら話を逸らすのに成功したらしい。成則は眉を寄せたが、懐に手をやると一通の文を取り出し総司に差し出した。
「奈都からだ」
それを受け取った総司はその場に目を輝かせると、破れんばかりの勢いで文を開いた。
「奈都は何と?」
「うーん、今度京に遊びに来るって」
「そうか」
「って、シゲ君、何してるのさ」
開いたときとは比べ物にならないほど綺麗に文を閉じて、総司が目を上げると、成則が目の前に置かれた帳面に何やら書き込んでいるところだった。よく見れば、それは名前であることが見て取れる。しかし、それは総司が馴染んだ名ではなく、「山崎進」という、見ず知らずの者の名だった。それに気付いた総司は、問い質すように茂則を睨みつけた。
「どういうこと?」
「俺が入隊することに何か不都合でもあるのか?」
「え?」
返ってきた返答に、総司は思わず間抜けな声を上げた。この友人にどういう意図があるのか見えてこなかったからだ。
「でも、シゲ君って成則じゃなかったっけ?」
「それは本名、山崎丞はこの時代での名だ」
お前の名もまたこの時代での偽名だろ、と続けて問われ、総司は罰が悪そうに笑う。だが、総司が真に聞きたいのはそんなことではない。
「何で今更入隊しようなんて気になったのさ」
その疑問を素直に口にすれば、
「ここに来る前に料理屋に立ち寄ったんだ。そこで、お前、俺のことを言いたい放題言っていただろう? もっと早くに気付くべきだった。お前を野放しにしておくべきじゃなかったとな」
と眉間の皺をさらに深くして、茂則が呟いた。
それに対して、総司は彼にとっての自分の印象を垣間見えたよう気がした。だが、料理屋で成則のことを散々漏らしていたことは事実だったので、総司には何も言い返せない。そして、止める間もなく成則は山南に連れられ屯所の中へと消えていったのだった。
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