【二】始動1

 文久三年如月。


 それぞれの思惑を胸に、浪士組は上洛する将軍警護の名目の下、京入りを果たす。


 そして提出された建白書に対して、朝廷から攘夷実行の達しが下される。それは尊王攘夷を志す浪士組の存在が朝廷に認められた証拠でもあった。そして浪士組を京まで率いてきた清河八郎は、新徳寺に浪士全員を集めこう語る。


「浪士組の尊王攘夷という存在意義が朝廷に認められた。よって、戦争がいつ始まるかも知れない江戸へ戻り、それに備える旨を朝廷に願いでようかと考えている」


 だが、その言葉に、芹沢鴨一派、近藤勇一派は反対を示した。確かにこのまま江戸に帰っても尊王攘夷にはかわりはない。けれど、清河の幕府をないがしろにするやり方に納得がいかなかったからだ。かくして、芹沢鴨一派、近藤勇一派は京に残留することを決意する。そして、攘夷のために上洛する将軍家茂の警護にあたるという名目で、会津藩松平肥後守御預りとなった。これにより、晴れて、壬生浪士組が設立される。


 けれどそれを機に、彼らの苦難は始まっていくのである。


 目に余る芹沢の横暴。日を置かぬうちに壬生浪士組の評判は落ちていき、そして壬生浪士組を改め新撰組という隊名を下された年、彼らはことを起こした。






 それは、草木も眠る丑三つ時にことだった。


 人の気配も草木の気配すらしない夜更けに、総司は星の明かりだけを頼りに、打ち合わせ通り芹沢の部屋に忍び込んだ。すると、驚いたことに部屋の主は傍らで寝息をたてる女性の髪を撫でながら、総司の姿をその目に捉えていた。どうやら総司の来訪を予期していたらしい。彼の口からは、驚きの言葉ではなく、呆れの色が窺える。


「やっと来たのか。遅かったな」


 彼は、面白がるようなクツクツと笑った。総司は予測していなかった事態に困惑したが、自分の使命を思い出して心を落ち着かせる。相手のペースに乗せられては相手の思うつぼだ。


「芹沢さん、あなたは自分勝手が過ぎました」


「だからこれ以上自分たちに害をなす前に始末するつもりだろ? 俺に言わせりゃ、お前らの大将のほうがよっぽど勝手だぜ」


「あなたは僕が近藤先生の命令でここにいると思っているようですけど、僕は僕の意思でここにいるんです」


 啖呵を切ってみせた総司に、尚も芹沢はクツクツと笑う。


「そうか――自分の意思、ねぇ。お前に、殺る覚悟が本当にあるのかどうか」


 芹沢はそう言って、衣擦れの音と共に立ち上がった。そして、総司が構えている刀の切っ先まで自らの足で進む。そして、


「本当にお前に、その覚悟があるというなら、お前に殺られるのも悪くないかもしてねえな」


 と言って、芹沢は心の臓を示してみせた。そのいつもと変わらぬ芹沢の口調に、総司の中で迷いが生まれる。その心の揺れに呼応して、構える刀の切っ先がふるふると揺れた。


 それを見て芹沢は、呆れたように息を吐く。


「しょうがない奴だなぁ」


 そう言って芹沢は、素手で刃を掴み、自らの心臓の正面で固定した。


「ほら、よ……」


 その所業に、総司はわけがわからず、目を見開いた。


「どうして?」


「はっ、何だよ。お前の使命は俺を殺すことだろ? 今更、怖じ気付いたか、沖田総司」


「そ、そんなことは……」


「だったら、早くやれ」


 そう言って、芹沢は、今まで浮かべていたものとはまるで違う鋭い眼光で総司を睨み付ける。息が詰まる――総司はそう思った。それは一種の恐怖だ。


 その思いを振り払うように大きく深呼吸をして。


 ゆっくりと目をつぶる。


 そのまま―――。そう後は、腕に少し力を込めればいいだけだ。


 ただ、それだけのことのはずなのだ。


「ぐぬぅううう――」 


 呻き声ははたしてどちらがあげたものなのか。それは総司にはわからなかった。けれど、指の先、感覚の鋭くなったそこから伝わるのは、肉を裂く感触と血の温かさ。


 それらが全てが真実だと物語っている。「そうだ、それでいい」と、総司は最後に、芹沢の呟きを耳にしたような気がした。


 何かを守るには、犠牲はつきものだ。そう自分に言い聞かせながら、総司は頬を温かい涙ものが伝っていくのを感じる。


 その夜、総司は声をあげることなく、ただ、ただ泣いた。


 その夜の痛みを、総司はきっと忘れないだろう。


 その証拠に、それから数日間、総司は赤い目をして過ごした。


 人の死は、総司にとって身近であったが、決して簡単に受け入れられるものではなかったのである。しかし、だからといって、これから総司が進もうとする道は、死と切り離せないものであることも理解していた。それを、芹沢が痛いほど教えてくれたのである。そして、ようやく総司の泣き腫らした目が落ち着きを取り戻した頃、浪士組は本当の意味で始動の時を迎える。


 それは、数日ぶりに、近藤派が一堂に会する朝食の席でのことであった。沈黙のうちに始まった朝食の席で、最初に口を開いたのは土方である。


「芹沢達の問題も片付いたし、そろそろ本格的に活動を始めるか……」 


 先日、粛清のもと芹沢一派を惨殺してからあまり時間が経っていないため、山南などは口に運び掛けていた煮物を取りこぼすといった過剰ともいえる反応を見せている。だが、件の粛清はここにいる全員に暗黙の了解となっていた。大家達がいない以上、土方に気にする必要などないのだ。土方は、卓の上に置かれた自分の煮物の皿へと箸をのばして、皆の意見を待っている。


「歳、いくらなんでも、今は芹沢さん達の喪に服するべきじゃないのか?」


 山南の思いを代弁するかのように近藤が口を開くと、土方は、口の中の里芋をごくりと飲み込んだ。そして、近藤を見据える。


「何言ってるんだ近藤さん、こんな時だからこそ軌道に乗せなきゃなんねぇんだよ。それに、芹沢のせいで落ちた評判も取り戻さなきゃならねぇ」


「要するに、早めに汚名返上、名誉挽回すべきだと言いたいんだな」


「ああ、そう取ってもらって構わねぇよ」


 土方の返答に近藤は手を顎に添え、考え込むような素振りをみせた。しかし結論が思いのほか早く出たのか手をパンッと叩いた。その音を聞き、朝食の席に付いていたものは一様に食事をする手を止める。それを確認して、近藤居並ぶ面々を順に見渡した。


「歳の意見に反対の者は?」


 誰も異論を唱えない。それで納得がいったのか、近藤は土方の案に了承を示した。


「で、具体的には何をするんだ?」


「それはだな」


 皆、聞き漏らすまいと土方に顔を寄せる。もちろん、総司もその中に交じっていた。

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