第78話 ネリカ・ロッシュ

ご令嬢ダーマ、あの、あの、わたし、ネリカと申します」


 緑色の髪を三つ編みにして、大きな眼鏡をかけた少女はおどおどしながら花に話しかけた。

 背中を少し丸めて、時折周囲を伺う様子は、いかにも臆病な性格のようだった。


「初めまして、花です」


 ネリカは返事を聞いて表情を明るくした。興奮で少し頬をピンク色に染めて、両腕で抱きかかえたローブをぎゅっと抱きしめている。


「ハンナ様。ハンナ様は社交クラブに入られるのですか?」

「いえ、私、学院のことあまり詳しくなくて。社交クラブは部活動みたいなものですか?」

「ぶ活動? ぶ…? えっと、貴族の子弟と、貴族の後援を受けた方々が互助ごじょのために入るグループみたいなものです。わ、わたしはあまり身分は立派ではないのですが、入る予定で。良ければ本日の歓迎会にご一緒できればと……」

「ああ」


 花は落胆の混じった曖昧な相槌を打った。他の生徒たちの流れに従ってネリカと二人、自然と教室から出て外へゆっくり歩く。


「私は貴族の後援受けてないんです。だから難しいかな」

「えっ!」


 ネリカは信じられないと言いたげな表情をした。


「そ、その、失礼ですけど、神官の方ではないですよね。その魔力で、後援を受けておられないんですか? 名の知れた商家の方とか?」

「どれも違ってて。特に身分というのは……。強いて言えば魔術師の遺産を継いだ?」

「へえ……。でも、その魔力なら、きっと引っ張りだこですよ」

「そうかな。どっちかというと自由にやりたいんだけどね」


 ネリカは怪訝そうな顔をした。花は自分の気持ちがネリカにいまいち伝わっていないことをすぐに理解した。

 きっと社会や文化の違いだろう。ネリカのことはまだ詳しく知らないから、なぜそんな表情をしたかまではわからなかった。


「じゃあ、今日の歓迎会にはいらっしゃらないんですね」

「そうだね、帰って授業にいるもの買おうかな。よかったら連絡先とか……これからクラスメイトだし」

「えっと、そうですね、お手紙であればリューバッハ市にあるロッシュ男爵家のタウンハウスです。わ、わたしも……仲良く、してほしいです」


 ネリカはにこっと今日一番の笑顔を見せた。態度や言葉は臆病そうなのに、声をかけてきたところといい、案外大胆なところがあるのかもしれない。


「それじゃあ、三日後の授業でまたお会いしましょう。わたしは歓迎会に行かないといけないんです。社交クラブには有力者の子弟がたくさんいらっしゃるから」


 ネリカは残念そうに言った。花もなんとなく歓迎会に行けないことに対して惜しい気持ちになるくらい、とても残念そうだった。


 神官たちと貴族たちはそれぞれ目的をもって校内のどこかに向かった。幾人か、貴族の後援を受けたであろう生徒たちが貴族の後ろについていっている。


(社交クラブか……)


 貴族だから特別仲良くしたいという気持ちがあるわけではないが、ドーレスと会えるかもしれない、と花は思った。しかし、貴族の後援を受けるということは、その貴族に義理立てもしなくてはならない。貴族の勢力図のわからない現状では、分の悪い賭けに思えた。


 花は校門へ向かいながら、あらためて必要なものリストとパンフレットを読み直した。授業に使用するもののリストはそれほど多くはなかった。一日か二日で買いそろえられるだろう。


 そして、花が校門を出た途端、ポケットに入れていた小型通信機マイクロカムが小さく震えた。花は学院のことに集中して小型通信機マイクロカムの不具合を忘れていたことに気が付いた。


「もしもし、シラー?」


 小型通信機マイクロカムを耳につけると、また”ジジ”というノイズが聞こえた。しばらくしてサアっと砂をかき混ぜたようなおとなしい雑音ののち、聞きなれた声が聞こえた。


〈マスター、ご無事ですか。長時間の通信障害にさらされました。バイタルチェックを行います。10秒間安静にしてください。イチ、ニ、サン〉


 花はシラーに話しかけたい気持ちを抑えて乗合馬車の駅で10秒間立ち止まった。


〈異常なし。お疲れ様です〉


「ありがとう。それで、やっぱり校門に入ってから繋がらなくなったのかな」


〈ご推察のとおりです。校門を境に強大な魔術波を観測しました。小型通信機マイクロカムに搭載された受信用魔法陣の許容限界を超過し、通信不能となりました〉


「そっか。普段は観測したりしてたと思うんだけど、そういうデータは残ってるの?」


〈屋外のデータは断片的に保存されています。建物内については、複数の強大な魔法陣の干渉により強制的にシャットダウンしました〉


 不便だ。

 授業中にマイクロカムを装着するのはカンニングみたいなものだからもとからしないつもりだった。しかし、学内の地図はまだまだ頭で覚えられていない。それ以外にも授業や試験のとき以外は、学院でのことをあれこれ聞きながら過ごそうと思っていた。


 魔法陣を変えれば何とかなるのか? それとも、そもそも不可能なのか?


 花の現在の知識では検証の仕方すら思い浮かばなかった。不便だがしばらくは我慢するしかない。


 あれこれと考えているうちに、乗合馬車がやってきた。


〈目的地を自宅に設定しますか?〉


 御者に奇妙に思われたくなかったので、花はタラップを踏む足音にまぎれさせるようにして答えた。


「ううん、必要なものを買うから、エッポの骨董店へ」

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