第77話 木彫りのゾウ

 魔術師の卵たちはみんな、整った容姿と若々しい身体の持ち主だった。


 新入生が集まる大教室は、講堂とは別の建物にあった。天井の高い贅沢なつくりのこの本館は、ピンクベージュの石が敷き詰められている。

 入り口に飾られた甲冑の飾りものが通り過ぎる新入生たちに歓迎の敬礼をした。中が空洞でからころと金属同士の触れ合う音が反射して響き渡っている。


 ぞろぞろと歩く新入生たちの中でも、ひときわ目立った生徒が一人いた。彼は下級神官たちとそっくりの形の貫頭衣を着ていたが、その服の出来は明らかに違っていた。下級神官たちの衣は一目でいかにも質素だという印象を受けるのに対し、彼の衣は豪華な刺繍が施されていた。


 廊下には不思議な装飾がたくさんあった。大きなゾウの頭の形をした木製の彫刻が、大きく鼻を揺らしてひときわ目立っている神官にちょっかいをかける。

 神官は無言のままじろりとゾウを睨んだ。薄緑の冷たい瞳に射貫かれて、木彫りのゾウの頭はすぐに縮こまってしまった。


「あの人、今回の神官生徒のなかで一番って噂の人かな」


 比較的つくりはいいものの、シンプルなツーピースに身を包んだ男子生徒が小声で聞いた。似たような身なりの友人の男子生徒は、気づかれないように気をつけながら返事をする。


「そう、ヨハン様だったかな。確か侯爵家だって。敬虔な天子教の信徒の家系で、娘か息子のうち1人はいつも神官になるらしい」

「ああ、貴族だったのか」

「そう、でも変なこと考えるなよ。ヨハン様、ここ10年の新入生イチの魔力があるらしい。寡黙な実力派だって」


 木彫りのゾウは、ヨハンが通り過ぎるとすぐに後続の生徒にちょっかいを出し始めた。ゾウは、ヨハンの噂をしていた生徒たちが睨み付けても、素知らぬ顔で衣服を長い鼻でもてあそんだ。


 花はそれが面白く、普段目にすることのないうごく彫刻にワクワクした。

 しかし、木彫りのゾウは花の方に鼻を伸ばした後躊躇した。期待に輝く花の瞳の前をふらふらと長い鼻が揺れる。やがてゾウは鼻でうやうやしくお辞儀をして、次の生徒の髪の毛にぶわっと息を吹きかけた。


 二階にある大講義室には、座席のひとつ置きにローブと書面、いくつかの用具が置いてあった。

 50代に見える男性の教授が学生を案内した。


「ローブの置いてある座席に座ってください」


 一番日当たりのいい東側の座席は、貴族らしい格好の生徒たちが真っ先に陣取った。やがて、入り口近くの前の座席から神官生徒たちが席に着く。自然と似たようなグループの生徒たちが近くに着席することになった。

 花はどちらにも属していなかったので、講義室のちょうど中央あたりの席に座った。


「皆さんにはこれから、一学期間で魔方陣の基礎を学んでもらいます。それから、後期が始まるまでには専攻を決めていただきます」


 花は机に置かれていたごわごわした手触りの紙でできた案内用のパンフレットを手に取った。見開き2ページのパンフレットは、紙の端の印のようなものをつまむと、黒いインクが生き物のようにうねる。しばらくして、この”つまみ”がそれぞれ1つのページに対応していることが花には分かった。


 しばらくパンフレットに夢中になっていた花は、学科の簡単な説明が始まってようやく顔を上げた。教授と目が合う。彼は不自然なほどじっと花を見つめていた。

 様子をうかがうような視線だった。花が見られていることで気まずくなったころ、ようやく教授は目をそらした。

 それは野生の珍しい生き物を観察しているような振る舞いだった。


「専攻できる学科は3つあります。まず作用科、主にモノに変化をもたらす魔術です。次が具現科、ないものを作り出す魔術。最後が霊峰科。霊峰科を選ぶ人はそう多くはないでしょうが、念のため。霊峰のもたらす神秘を探求する学科です」


 ”そう多くはないでしょうが”といったところで、貴族らしい生徒たちの方からくすくすと控えめな笑い声が上がった。神官生徒たちはすこしざわつき、お互いを伺うように視線を合わせては外している。

 教授は咳払いした。


「こほん、失礼。確かに神殿からは毎年一名、かならず霊峰科に来ていただいています」


 教室は静かになった。特に神官生徒たちは、自分の存在感を消そうとしているかのようだった。たったひとり、あの薄緑の目の神官、ヨハンを除いては。

 ヨハンはみんながざわついていたときも黙りこくっていて、堂々と座席に座っていた。微動だにしていないが、その存在感は教授が話し始める前も、後も同じだった。最前列の中央に座っていて、彼の表情を花がうかがい知ることはできない。


「時間割をご覧ください。来週からこの時間割どおりに授業があります。授業に使うものは入学案内に載っていますから、当日までに用意しておくように」


 全員がパンフレットの端をつまんだ。


「それと、授業のある日はローブを着用してください。ローブの胸元には学院徽章をつけること。自分でローブを仕立ててもかまいませんが、学院の生徒としての品位を」


 教授は言葉を区切ってぐるりと生徒たちを見渡した。


「損なわないように」


 過去に学生がローブのデザインか、何かで問題を起こしたのだろうという印象を花は持った。学院指定のローブも手触りのよい上質な生地で、背中に学院徽章が薄い色であしらわれている以外はシンプルなものだった。花にとっては学院指定のローブで十分だった。


「それでは今日はこれまで。おのおの自由に帰ってください。社交クラブの宴会はほどほどにね。長い間お疲れ様でした」


 教授が話し終えると、15人ほどの新入生たちはざわざわと話ながら立ち上がった。

 花も生徒たちの輪に入ろうときょろきょろ見渡してみた。しかし、特にきらびやかな服を着た生徒たちと、神官たちはすぐに輪をつくって入りづらい雰囲気だった。

 しかも、ほとんどの生徒たちがときおりちらちらと花の方を観察しているようだった。


 そんな花のことを背後から呼び止める、可愛らしい少女の声があった。


「あのう、ご令嬢ダーマ

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